「ウンメイ」が「たられば(運命)」を織り成す世界だよ

運命には
「分かれ道」があるけれども
ウンメイには
「分かれ道」はないのさ

運命
「直線」だけれども
ウンメイ
「輪」になって
ひとつに繋がっている
んだ

運命には
「たられば」があるけれども
ウンメイには
「たられば」はない

運命には
「自力」と「他力」があるけれども
ウンメイには
その両方がないんだ

運命には
「過去」と「未来」が存在するけれども
ウンメイには
「今」だけしかない

運命には
「生」と「死」が存在するけれども
ウンメイには
「命」だけしかないのさ

運命には
「始まり」と「終わり」があるけれども
ウンメイには
「永遠」だけしかない

運命には
「善」と「悪」があるけれども
ウンメイには
「愛」だけしかないんだよ

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出典:スニーカーバックス










きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「えんえんととんでいく / 奥田民生」
作詞・作曲 奥田民生

えんえんと えんえんと えんえんと行くのさ
えんえんと えんえんと えんえんと行くのさ
永遠の 永遠の 永遠のながめさ
永遠の 永遠の 永遠のさだめさ




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テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

「罪びと」だけしかいない世界だよ

現代社会において
「犯罪者」という枠組み
その中にカテゴライズされた人々が
敬われるようなことは
まずありえないし
このぼくもまた
「犯罪そのもの」
それを敬うつもりは
毛頭ないんだけれども


ただ 
どうしてもげせないのが──


「彼ら 
彼女らが
いかに悲惨で痛ましい
愛情に恵まれない
不幸な生い立ちだったとしても
やったことは
許されるべきことではない」



コメンテーターやキャスターが
口々にそう言うこと


その罪びと
いかなる先天性を抱え
いかなる生い立ちだったのか
その誕生から始まって
その罪を犯すまでの
その年月の中で
いかなる経験を経て
いかなる人生哲学が形成されてゆき
計画的にしろ 
突発的にしろ
なにゆえに
その罪へと
帰結せざるをえなかったのか



そんなことは
本人として生きてみでもしない限り
本当のところは
どうしたってわからないよね


おのおのに
おのおのの言い分
おのおのの真実が存在するように
罪びとにも
罪びとだけが知りうる
罪を犯すにいたるまでの
真実がある
から



もし仮に
罪びとと同じ真実を見ることが
可能であるなら
コメンテーターやキャスターは
果たして
同じコメントを言えるだろうかね



誤解しないでほしいのは
ぼくは罪びと
庇護しているわけじゃないんだ
「罪そのもの」を切り離した
あるがままの
その人を見ようとする試み

それをしようとしているだけのことさ


 という
生涯消えることのない焼印が
あるがままのその人を
見えなくしてしまうから



結局のところ
きみやぼくが
わかることができること
それは
きみやぼくが
その罪びとの肉体を持ち
まったく同じ時間
まったく同じ時代に生まれ
まったく同じ環境で育まれ
まったく同じ人間関係の中にいたなら
きみは同じ場所 
同じ時間に
寸分たがわず
同じ罪を犯していたという
ゆるぎない真実




言ってみれば
きみが目撃する
すべての罪びとは
きみ自身でもある
んだ










きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「罪と罰 / THE HIGH-LOWS(ザ・ハイロウズ)」

デカいドリルで穴を掘って 地獄の門にションベンする
天国の扉をたたいて ピンポンダッシュでバカ笑いだ

正しい道だけを選んで 選んでるうちに日が暮れて
立ち止まったまま動かない 結局何もやらないなら

有罪 有罪 有罪 重罪




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「しあわせ」の最果てにあるもの

しあわせは
どんなところにでも
あるとはいうけれども
ほんとかよって
思ったりもするんだけれども
これが意外と
まんざらでもないんだ

しあわせは
どんなにちいさなものにも
あるとはいうけれども
やっぱりほんとかよって
思ったりもするんだけれども
これまた意外と
まんざらでもないんだ


たとえば
キーボードを
ただ味わうようにタッチしてみてごらんよ
きっとその感触には
しあわせが隠れているから

きみのお尻を
けなげなイスが
受け止めてくれていることを感じてごらんよ
きっとそこには
しあわせが隠れているから

まぶたをとじたり
ひらいたりできることを
つぶさに味わってごらんよ
きっとそこにもまた
しあわせが隠れているから

車が地面を
走りぬけてゆく音
気持ちに余裕がないときは
うるさく感じるんだけれども
味わおうと思って向き合ったなら
これもなかなか
おつなもの

PCの
冷却装置のまわる音
そうか
PCだって 
生きている
ここにも
しあわせは隠れている

鼻の穴に
冷たい気配が
しのびこむ
ここにも
しあわせは隠れている

鼻の穴から
あたたかな気配が
たゆたう
ここにも
しあわせは隠れている

心がただ
しん とする
ここにも
しあわせは隠れている

ゆっくりと
ゆったりと
ただ
しあわせを
感じようと
励むことができる
今この瞬間
ここにも
しあわせは隠れているよ



このまま
最少単位の
しあわせにまで
たどり着けそうな
そんな予感

ふかまってゆくよ
ふかまってゆくよ

ふかまりきった
先にあるもの
ささやかになりきった
その先にあるもの

本当のしあわせは
ひょっとしたら
そんなところにこそ
ひそんでいるのかもしれないよ

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出典: 500px.com








きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「MY LIFE / FISHMANS(フィッシュマンズ)」
作詞作曲 佐藤伸治

もう知識はいらない
もう知識はいらない
知識はいらない
もう知識はいらない
何もわからなくても
今はいいよ My Life




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鏡(世界)がなければコーディネート(体験)ができない世界だよ

いま
そこに近ければ
近いところに在る
ほどに
きみは過去を
支配するよ
きみは未来を
支配するよ


けれども
いま
そこから
引き離されているあいだ

きみは過去に
支配されているよ
きみは未来に
支配されているよ






「過去」という名の
牢獄
へと押し込められ
「未来」という名の
足枷
をはめられ──

過去
きみを支配するのを
感じるかい
未来
きみを傀儡するのを
感じるかい





けれどもね
きみがどんなに
傷つこうとも
きみがどんなに
泣き叫ぼうとも
いま
閉じ込めることなんて
誰にもできないんだ
いま
足枷をはめることなんて
誰にもできないんだ



「いま」とは
肉体を超えた
「真なるきみ」
のことさ



実を言えば
きみは
足枷をはずす鍵
牢獄をあける鍵
その両方を
すでに手にしているし
鍵を失くすなんていうことは
どうしたって起こりえない


それでもあえて
鍵がかけられたままにされているのは──



永遠という名の
パーティー会場
その特別な場所に出かける前に
コーディネートをチェック(人生を体験)
ヘアスタイルを整える(自らを発見する)ための
鏡(この世界)が必要だから



さあて
そんなわけだからさ
過去
現在
未来

この三面鏡
50年100年かけ
くまなく眺めて
パーティーへの準備を
今日も整えておいでよ
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大丈夫
どんなに時間がかかろうとも
パーティーは
終わったりなんかしないんだから













きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Unlock / 三浦大和」
作詞 Nao’ymt

いつからYou lost who you are
閉じ込めたのは何を守るため
心に絡む蔦
鍵ならすでにきみの手の中に




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「自分との闘い」もまた、実は「他人(寄生我)との闘い」

最大の敵は、自分
あるときプロフェッショナルを見ていたら
横綱白鵬関がそんなことを言ったんだ


わざわざぼくが述べるまでもなく
このことは
「自分との闘い」
意味しているよ


このブログを訪れる年齢の人々の中で
このフレーズを
耳にしたことがない人なんて
1人でもいるのだろうかね


アスリートだろうと
芸術家だろうと
学生だろうと
ビジネスマンだろうと
職業や人種に関係なく
自分自身と向き合わなければならないとき
持ち出される言葉
というのがぼくのイメージだけれども
みんなはどうだろう




ぼくはというと
この言葉を耳にしたとき
「キターーーーー(゚∀゚)ーーーーー!!」
思わず叫び出さずには
いられなかったんだ



なぜなら
この言葉ほど
人間の本質を突いたひと言は
そう見当たらないし
同時に
これほどまでに端的に
人間が抱える矛盾
明るみにするフレーズは
そうない気がする



リアル人生ゲームをプレイする以上
言うまでもなくそこには
様々なステージ(課題)が待ち受けてるから
場合によっては
「自分との決裂」
なんてこともあるだろうね
「自分との和解」
なんてこともあるだろうし
「自分との対話」
なんてことだってあるよね




そうして毎日
「自分との~」をくり返すうちに
まれに気がつく人が現れるんだ

「自分との闘い?
おや?
『自分』であるにもかかわらず
その『自分』から切り離し
思ったり考えたりできる対象として
認知することができるそれって…
オレがいつも『自分』って呼ぶそれって実は…
自分じゃなく『他人』じゃんよ!」
てね




考えてもごらんよ
自分が「自分」て呼ぶその人が
本当に「自分自身」なんだとしたら
そもそも向き合って闘えるはずもない



「自分と闘うことができている」ということは
その「自分」とはちがう
別な☆自分☆がいなきゃ矛盾するし
その「自分」とはちがう
別な☆自分☆の存在
証明しているようなものさ






さあて
ようく観察してごらんよ
いつでも
きみの一番近くにいる他人のことを
きみが「私」と呼んだり「オレ」と呼んだりする
もっともちかしい隣人のことを



そいつは
きみが
「自分」としての
最期の日を迎える
そのときまで
☆自分☆
寄生しつづける
寄生我でありつづける



☆自分☆
自分(他人)と他人とを
比べることを
体験させる
自分(他人)と他人とで
争うことを
体験させる


そしてときには
自分(他人)と他人とが
共鳴しあい
愛しあうことを
体験させる


そうしてついには
すべての他人
☆自分☆から派生したものであることに
気がつくことになるんだ

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きみのその身に
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ぼくは変わらず
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今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Ghost / androp(アンドロップ)」
作詞作曲 Takahito Uchikawa

ふっと流れた涙に滲むアイライン
そっと流れた涙に嘘はない
ずっと演じ続けている私が
笑って影を消したんだ




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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。