哲学者「スピノザ」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート2

たとえば

「消費者」

そう呼称されることに
違和感を覚える人間が
この現代社会において果たして
どれだけいるのだろう




ぼくらは
「消費」をするために
生まれてきたわけじゃない

生きるためにこそ
生まれてきた存在
だっていうのに




そんなふうに
ぼくたち人間が
この現代社会において
「消費者」と呼ばれることに対し
なんの違和感もなく
自明のこととして
消費奴隷に仕立てあげられている
ように



まったく疑われることなく
見過ごされている
人間という存在の
その根源的な問題
について
スピノザはこう言及するんだ


「人間たちは
自分が自由な存在であると考える点で誤る。
こういう考えは、
彼らが自分の行為について意識していながら、
自分たちが決定されている諸原因を知らないということにのみ存する」

『エチカ』第二部定理 5




「消費者」という
呼称と同様
なぜだか
ぼくら人間は
それが当たり前の前提として
自分の自由な意志によって
何かを行為し
日々を生きていると
そう信じて疑わない



なぜに誰も疑わないのかというと
それは人間の行為を決定している
その諸原因となるものを知らないから
だと
スピノザは言うんだ



じゃあ訊くけど
スピノザさん
その諸原因とやらが
なんなのかを
聞かせてもらおうじゃないの

当然
そういう疑念が
湧くことになるよね




その諸原因について
スピノザは
たとえば
こんなふうに
語るんだ


「事物について何かを肯定したり否定したりするのはわれわれではない、
事物自身である。
事物がわれわれの中で自分自身について何かを肯定したり否定したりするのだ。」

『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』第2部第16章



「事物」とは
ぼくがこのブログで
くりかえし書き記してきた
「世界」のことさ
一般的な意味合いで使われる
「世界」のことではなくね
そして
「事物」とは
「宇宙」のことでもあるんだ


「事物」が
「世界」が
「宇宙」が
ぼくらの行為を
導いてくれているという
スピノザ的真理の全貌

少しずつ
このブログに明らかにしていくからね

p_cvdroit_spinoza03.jpg











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「フィッシュマンズ / 救われる気持ち」
作詞 佐藤伸治

物語の流れは
いつもそっと消えて
振り向いた瞬間
何も見えないよ




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哲学者「スピノザ」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート1

いつかは
書き記さねばならないと思いながらも
ぼくにとって
あまりに特別すぎて
あまりに他人とは思えなすぎて
逆にどう紹介すればいいものか
そのタイミングをなかなか見つけられない
そんな哲学者が
一人いるんだ



実は
ブログ初期の頃に
一度だけ紹介したんだけれども
その人に関して伝えたいことが多すぎて
うまくまとめることができなかった
そんな経緯があるよ

だからと言って
今はまとめられるのかというと
そんなこともなくて…



とはいえ
そんなことずっと言ってたら
いつまで経っても書けないし
いつまで生きれるかもわからないから
少しずつ 
小出しに
手探りで書いていこうと思ったんだ






そんな噂の哲学者は
1632年
オランダ生まれ

現代とは比較にならないほどに
一神教的宗教観が根強い
当時のオランダでは
社会体制的に
無宗教の人間などありえない
暗黙の圧力があったし
一神教的神を否定しようものなら
「非国民」と同義だったし
それでもなお
発言を辞さない構えを取るならば
殺される覚悟で
思想や宗教観を
発しなければならない
そんな時代の 
そんな地で
ユダヤ教団を破門にされ
ユダヤ人コミュニティから追放されながらも
身の危険を顧みず
唯一神(ただひとつの神的存在者を信仰すること)を否定し
聖書を真理とする解釈を否定し
一元的汎神論(相対的な神など存在せず
この世界には神の他に何もない、ということ)
を唱え
人間には本質的には自由な意志がないことを唱え
挙げ句には「無神論者」「危険人物」のレッテルを貼られてしまった
そんな彼の名は 
バルフ・デ・スピノザ
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バルフ とは 
ヘブライ語で
「祝福されし者」

スピノザ は
「Espinosa(茨)」という
ポルトガル語が由来の
名前だとか
(イエスの茨の冠と
関連があるのだろうかね)




初めてスピノザの言葉に触れたのは
上野修という大学教授の書いた入門書
「スピノザの世界―神あるいは自然」
だったんだけれども
初めて読んだ
スピノザの本が
この本で本当によかったと
そう思うんだ




たとえば
生前に出版されることがかなわなかった
スピノザの代表作
「エチカ」
病的なまでに徹底して
「個」「人間臭さ」
できうる限りに排除し
「偏見」「主観フィルター」
できうる限りに排除し
幾何学的な演繹手法を用いて
非情なまでに合理的に
書き記されているだけあって
解説なくして読むには
あまりに難解だし
あまりに厳格だし
あまりに大衆離れしているから


上野先生が
補助輪の役目をしてくれなかったなら
言語処理能力に乏しいぼくは
こんなにも近くにいる存在でありながら
スピノザと共に走り出すこともできないままに
スピノザをあきらめていたかもしれない



けれどもぼくは
上野先生のおかげで
スピノザと
400年近い時空を超え
言語を超えた
深甚な領域の中で
繋がることができた
んだ

「なんだ、おまえもか」
「うん、ぼくもだよ」ってね





「神即自然(神=自然)」とは
スピノザを代表する言葉

一見するとこの言葉は
多神教と同義にも
思えるけれども
ここで言われてる「自然」とは
ぼくらが一般的に口にする「自然」
その意味合いとは少し違くて


山や海や川や
動植物や昆虫のみならず
人間も 太陽も 月も 宇宙も
銃器も 紙幣も 添加物も 化学繊維も
プラスチックも 原子力施設も 汚染排気物も
人間の肉体も 
人間の思念も
人間の想念も 
人間の感情も 
善も悪も 
生も死も
なにもかも──

世界そのものが 
自然であり
世界そのものが
神である
という
そういう意味が
込められているよ



「神即自然」
この四文字は
般若心経に記された
「空即是色」
実は
さしたる違いはないんだ

なぜならば
「神」「空」
同じもののことを言っているにすぎないし
「自然」「色」
「神」あるいは「空」なくして
立ち現われることなど
決してないから








最後に
哲学する者ならみんな大好き
池田晶子さんの
スピノザについて述べた言葉を引いて
パート1を終わりにしたいと思うよ

唐突だが、西洋合理主義の権化のようなこの人が見ていた光景は、仏陀のそれに近いのではなかろうか。「因果の理法」と仏陀は言った。宇宙の一切は因果の縁起で生起する。時間的因果ではない。無時間的すなわち永遠的因果である。「永遠の相の下に」一切を観照したスピノザのそれは、西洋では稀なものだ。永遠を観る者に死後は不要とするそれが、異端として排斥されたのは当然である。
池田晶子著「人生は愉快だ」より











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Gathering Stories / Jonsi(ヨンシー)」

Over the stars
Over the nights
Over the rains
Over the moons

Over the days
Over the streams
Over the skies
Over the ponds

Over the fires
Over the lakes
Over the trees
Over the minds

Our kid zigs
Open doors
Over the doors
I am alive

星を越え
夜を越え
雨を越え
月を越え

日々を越え
川を越え
空を越え
泉を越え

炎を越え
湖を越え
森を越え
こころを越える

そいつら神の子が言うんだ
いくつものドアをひらいてる
いくつものドアをひらいてる
それがあなたなんだよって




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「みうらじゅん」さんが教えてくれたふしぎ発見!だよ

かつてじゃっくが
迸る下心のままに
出会い系サイトばかりを眺めていた頃
直接会うにまで至った
知的好奇心あふれるお姉さんが
大ファンだったのが
みうらじゅんさんだったんだって

みうらじゅんさんのことなんて
な~んにも知らないじゃっくは
若かりし下心を達成せんがために
ちいとも
その良さや面白さがわからない
どこを切り取っても
怪しいし胡散臭い
みうらじゅんさんを
どうにかこうにか
わかろうとしたんだけれども
結局よくわからなかったし
お姉さんの知的好奇心を
満たすことができず
下心が達成されることもなく
じゃっくは撃沈したよ

そんなじゃっくが
結局何をしてるのかも
結局何がしたいのかも
よくわからない人
みうらじゅんさんの
その本質を開眼した
その言葉が
これ

「そこがいいんじゃない!」

誰しもに
必然的に
その身に
埋め込まれた
主観読み取り機能
バーコードリーダーのように

ピッ
学校なんて「大キライ」

ピッ
「つまらない」映画を観てしまった

ピッ
彼氏のファッションが「ダサイ」

ピッ
金欠で「苦しい」

ネガティブな解釈で
リーディングする
主観読み取り機能を
反転させる力が
この言葉には
秘められていて


「欠点が2倍プラスで戻ってくる呪文」であると
みうらじゅんさんは
話しているんだ

それもそのはず

学校なんて「大キライ」に
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
嫌いな学校も
少しおおらかな気持ちで
見ることができるかもしれない

「つまらない」映画を観たときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
「つまらないこと」が
その映画の「良さ」となり
その人の映画観や
その人の人生観に
新たな奥ゆきが生まれるかもしれない

彼氏のファッションが
「ダサイ」ときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
ひょっとしたら
そのダサさこそが逆に
彼氏の魅力となるかもしれない

金欠で「苦しい」ときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
お金がない苦しさを
どうにか笑い飛ばせるかもしれない


このように
あらゆる欠点要素を
うっちゃりのごとく
肯定してしまうのだから
まさに2倍プラス
なんだか
ものすごく得した気分

もらってもちっともうれしくない
土産物を
日本全国集めてまわり
「いやげもの」と名付け
ブームに仕立て上げ
誰も見向きもしなかった
津々浦々の
ゆるいキャラクターを
日本全国取材してまわり
「ゆるキャラ」と名付け
これまたブームに仕立て上げた
みうらじゅんさんが
流行らせた造語や概念すべてを
ここに書き記すことは
蛇足だからしないけれども

多くの人々の意識を
大きく扇動していき
ひいては
「なかったはずの仕事」を
「ある仕事」
ことごとく
変えてしまうエネルギーーは
「そこがいいんじゃない!」なくして
生まれえなかった

ぼくは思うよ

そしてまた
この「そこがいいんじゃない!」
その人の「豊かさ」を測る
バロメーターとしても
活用することができるんだ

なんせ
この反転技は
「豊かさ」それのみを
原動力とするから

「そこがいいんじゃない!」では
済まされない問題

遭遇してしまった
その段階が
現時点での
その人の
豊かさの限界


けれども
安心して

実を言えば
[豊かさ]の不足
イコール
「貧しさ」

この「貧しさ」もまた
「豊かさ」
の中の大切な仲間さ


つまりは
この世界には
「豊かさ」以外に
何もないってわけ

みうらじゅんさんは
いつだって
その抜群の造語センス
飽くなき「豊かさ」への情熱でもって
「豊かさ」は
そここにあるんだよ
ってことを
体現してくれるんだ





















今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「君は千手観音 / みうらじゅん with 人間椅子」
作詞 みうらじゅん

暗いお堂に一人立ち
極楽浄土のサウンドで踊る
観音!
千手千顔戦慄の
蓮華世界をパノラマで映す
観音!






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数学者「岡潔」が教えてくれたふしぎ発見だよ! パート4

「死なばもろとも」
と言い合っていた同胞が
戦争終結と同時に
食糧を奪い合うのを見て
その人生観
情熱を傾ける矛先
大きく変えていくことになる
後年の岡潔
数学の世界を飛び出し
「1」の意味を求めて
宗教に帰依
アメリカの3S政策
3S =  SCREEN(映画)
      SPORTS(スポーツ)
      SEX(セックス)
(大衆の関心を
政治に向けさせないための
愚民化政策)

その政策にまんまと
大多数の国民が侵食されてゆき
退廃してゆく日本国を憂い
本質(情緒)から遠退いてゆく
功利的な教育現場を憂い
迫りくる危機に対して
警鐘することに急き立てられ──

それまで以上に
精力的に論文を書き
様々な栄誉ある賞を受賞し
随想「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」をきっかけに
一躍時の人となり
様々な依頼が殺到し
多忙を極める執筆活動に
大学講師や宗教活動
講演活動やセミナー活動
著名人との対談など
多忙を極める
日々を送るようになり
胃の5分の4をも切除する
胃潰瘍を患い
血を吐きながらも
再び超絶的忙殺の日々へと
舞い戻り──

日本の未来を
真剣に考える
そんな若者を育て上げる組織
葦牙会(あしかびかい)
構想したりしながら
最終的には
真理の書
「春雨の曲」を記すこと
そのことに
残されたすべての時間を
費やすことになるんだ

書き上げては
反故にし
書き上げては
反故にし──
何度もそれを
くりかえし

岡潔
唯識的真理世界
15識の世界までをも
見い出すことになったものの
「春雨の曲」
とうとう完成することなく──
1978年3月1日未明
岡潔
老衰によって
死去したよ


こんなブログを
書くことにならなければ
生涯出逢うことなどなかっただろう
岡潔 という
数学者について
4回にわたって
ぼくの数少ない知識や
手持ちの関連書籍を
参考にしながら
書き記したわけなんだけれども

岡さん
もし2015年の
現代を生きていて
コンピューターというツールに
接することがあったなら
数字の「0」「1」だけによって
機能する
眼前の精密機械を前に
この世界が
「0」「1」だけによって
成り立っていること

そのことの象徴を
コンピューターシステムの原理
見たのかもしれないね


「0と1でコンピュータが動くってどういうこと?」
という方は
この↓サイトが参考になるかもしれません
コンピュータが使う言葉「2進数」ってなあに?



なんせ
森羅万象
すべてのもの

ぜんぶまとめてようやく
ひとつ(「1」)であり
その森羅万象を
映し出している
プロジェクターの役割となるものが
「0」
にあるから

何よりぼくの
奥深くに届いた
このブログにふさわしい言葉を
「春宵十話」から
ふたつ引いてきて
岡潔が教えてくれたふしぎ発見!
終わりにしようと思うよ


「宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。
しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない。
人は何故向上しなければならないのか、と開き直って問われると、
いまの私には「いったん向上の道にいそしむ味を覚えれば、
それなしには何としても物足りないから」としか答えられないが、
向上なく理想もない世界には住めない。
だから私は純理性の世界だけでも、また宗教的世界だけでもやっていけず、
両方をかねそなえた世界で生存し続けるのであろう。」


「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、
私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。
咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、
それはスミレのあずかり知らないことだ。
咲いているのといないのではおのずから違うというだけのことである。
私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。
そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ダイナマイトに火をつけろ / BO GOMBOS(ボ・ガンボス)」
作詞 BO GOMBOS

誰も彼も占い師
宗教時代だ大ボラ吹いて
でかい地震でみんな海の底へ
守るルールは何もねえ
死んでしまえば全部おしまい
価値ある人生好き勝手にやるのさ






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数学者「岡潔」が教えてくれたふしぎ発見だよ! パート3

「数学のもとになるのは頭ではない。
情緒だ。
数学は印象でやるもので、
記憶はかえって邪魔になる。
忘れるものはドンドン忘れて行く。
これが極意です」




「私は大小関係があることまでは
すぐにわかるのだが、その下の、
ではどちらが大きいのかというところからは
さっぱりわからない。
方角も同様で、
方角があるというところまではすぐわかるのに、
どちらが西で、どちらが東かはさっぱりわからず、
街を歩いていても、一度店へ入って出ると、
すましてもと来たほうへ戻っている」




世界中の数学者が
果敢にいどみながらも
誰も解けなかった
多変数函数論(???)についての
三つの問題を
解いてみせた
そんな人物の発言が
このとおりさ

外国人の研究者が
このニュースに接したとき
「岡潔」という名を
日本の数学者集団
そのネーミングだと思ったらしいんだ
フランスに「ブルバキ」という
第一線の数学者集団がいて
そんな集団が日本にもいたのか!
なんて思ってたら
一人の初老の老人だったってことで
大騒ぎだったんだって

そんな人物がまた
宇宙の究極的な
最奥部(第10識)
には
「真情」があると
そう発言するんだ

数と論理の探求
その最果てに
真情(情緒)を見て
宇宙が「情」を実体として
成り立っていることを
発見した
岡潔

「数」 という
一見すると無機質な
あまりにあたりまえに
ありつづけてきたもの
で あるがゆえに
それに意味だったり
メッセージだったりが
込められているという
想像力
そもそも働かないもの

ところがその
数の究極点を見た者が
垣間見たそこには
「情」があった という
「数=情」だった という
この大発見

この「情」こそが
あらゆる伝道者たちが
この大宇宙すべてに
遍満するものがあることを
説きつづけた
「神」だとか
「仏」だとか
「命」だとか
「無」だとか
「空」だとか
「道」だとか
「物自体」だとか
「0(ゼロ)」だとか
「非二元」だとか
「これ」だとか
「それ」だとか
呼ばれてきたものに
他ならなくて

はっきり言って
呼び方なんて
なんだっていいんだ
「情」だって
たくさんの言葉や
たくさんの呼び方の中の
ひとつにすぎないんだもの

もっと言えば
岡潔が感受した「情」
ぼくが感受した「情」とが
パーフェクトに同じもの
ということも
ありえなくて

だからね
その日の気分や
その日の天気で
洋服をコーディネートするみたいに
自分がそのとき
呼びたい呼び方を
コーディネートすればいいまでのことさ

もし仮にきみが
「それは◯◯じゃなく◯◯だ
きみは間違ってる
私は肉体を超えたのだ」

なんていう人に出くわしたら(いないと思うけど)
放っておくか
もしくは
こう言えばいい

「あなたの肉体が
そうして脈を
打ち続けている限りは
個人の主観の域を
超えられていないわけですが
純度100%のそれ
認識したと証明することも
純度100%のそれ
言葉にして言い表すことも
未来永劫にできない以上
正しいとか
間違ってるとか
あるんでしょうかね?」

ってね

そして
今日のこの
ぼくの気分で
岡潔の伝えたかった「情」
それをぼく個人としての
「情」として
別な一文字で
言いあらわすならば
たぶんそれは
「愛」なんだ


「数学者「岡潔」が教えてくれたふしぎ発見だよ!パート4」につづく










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「お嫁においで 2015 / 加山雄三 feat. PUNPEE」

例えば著名で有名な哲学者達も名言をたくさん残したけど
これに関してはあまり良い言葉を不思議と残していないな

多分あいつらも自分の趣味に恋いこがれちまったんだろう 結局
偉いヤツもここじゃおこちゃま ナポレオンとレッドぶるウォッカで乾杯
(泣) 






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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。