「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という光

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先週の土曜日
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という
五感の中でも主役的な感覚機能
「視覚」を封印し
100%の暗闇を体感することができる
体験型のイベントに参加して来ました。

「ダイアログ」とは、英語で「対話」を意味します。
なので、直訳すると「暗闇の中の対話」となります。



会場が地下に設営されていることの意味を
体験を終えた人であれば
問うまでもなく理解します。

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ダイアログ・イン・ザ・ダークのことを知ったのは
ずいぶんと前のことであったと記憶しますが
「これは絶対に行ってみたい」と内に秘めながらも
そのときの目の前のことをこなすことに埋もれ
すっかり記憶の片隅へと追いやられていました。

ところが
今年で40歳になる相方の
例年とは違う特別な体験となるような
アニバーサリーな贈り物を考えていたとき
ふとここのことが思い浮かんだのです。



思いもよらぬ想念が自動的に思い浮かぶ
というサプライズもまた
この「縁起世界」の賜物です。

天から降りてきたメッセージと解釈するも
ガイド(守護霊)がくれたメッセージと解釈するも
運命であると解釈するも
おのおのの自由なわけですが
この世界におけるいかなる現象も
「縁起」に起因されていることには変わりません。




この日の昼の時間に予約した
初めて顔を合わせる
何の素性も知らない8人が
ロビーで顔を合わせます。
もちろん私も
相方以外の6人で知っている人は1人もいません。


明るいロビーから
少し照明を落とした部屋へと通されると
アテンド(介添人)が紹介されます。
社会との関わりあいの中で
視覚的障害に直面するいち個の人間であるのと同時に
暗闇との対話のエキスパートでもある
その明るく懸命で誠実な女性は
自らの愛称「ミキティ」を名乗り
初顔合わせの8人もまた
その場で簡単な自己紹介をし
おのおの愛称を名乗っていきます。

普段は人の名前を一度聞いても
そのほとんどを忘れてしまう私ですが
(何度も何度も耳にしてようやく覚えられます)
「音」としての「名前」
これほど重要な意味を持ってくるのか
ということを
間もなく私は思い知らされます。




8人それぞれ
視覚障害者が使う白杖を手にし
いよいよ完全なる暗闇へと踏み入ります。

多少の不安はあったのかもしれないのですが
それは未知への好奇に打ち消されます。



ゆっくりと
事故のないように
慎重にミキティがアテンドしてくれます。
見えない誰かと接触したり
混みあっていそうなところでは
声を出して名を名乗るだけで
他の7人の助けになることはもちろん
自分の身を守ることにも繋がります。

そうやって
誰がどの辺りの位置や距離に在るのかを把握するのと同時に
空間の全体的な様子もおぼろげに把握することができるからです。
「聴覚」のありがたみにしばし胸を打たれます。



小さな公園?のような空間で
地面の石畳の感触
生い茂る草(シュロチク?)の感触
池の水のひんやりとした心地よさ
木製のベンチに座ってみたり
ハンドメイドな質感のブランコに興じます。
どういう仕掛けかはわかりませんが
森林の中のような
澄み渡った空気と鎮まりへといざなう香りが
嗅覚を刺激します。



初期仏教や禅の瞑想法に
いま自分が行動しているあるがままを
認識することだけに重きを置いた瞑想法がありますが
視覚情報がシャットされた状態に在ると
瞑想という形式をとるまでもなく
残された4感は自動的に研ぎ澄まされ
日常生活では考えられないほどに
豊かになって外部世界が反響します。





8人が8人とも
誰に強制されるでもなく
おのずと自発的になっていきます。
普段はどちらかというと無口で控えめな性格の私も
誰かとコミュニケーションを取りたい気分になっていきます。
いつの間にか8人は
不思議な連帯意識の中にいました。
そして
私にはその理由がわかる気がしました。




「人は見た目じゃない」とは
ひょっとするともはや死語なのかもしれませんが。
暗闇の中に在って初めて
私はこの言葉が真実になりえることを
垣間見た気がしました。




われわれ人間が
いかに視覚的情報に囚われ
日々を生きているか。




「この人は怖そうで話しかけにくいな」とか
「この人は好みのタイプだからドキドキするな」とか
「この人は私のことを避けてそうだから気まずいな」とか
「この人は裏では私のことをなんて言ってるかわかったもんじゃない」とか
人間誰しも「先入観」という名の主観フィルターを通し
世界を見ている
わけですが。
そういった視覚的情報に惑わされることなく
他者とコミュニケーションができるという真実がもたらす
安らぎにも似た多幸感のようなものがあることを
視覚情報が完全にシャットされた状況に在って
私は知ることになりました。





ロビーで顔を合わせたものの
ほとんど誰もなんの印象も残っていなかった6人の姿が
気がつけば生き生きと感じられてきます。
顔を見てさえ名前を覚えられない私が
本人の声の特徴だけで
全員の名前が自動的に浮かんできます。
(ちなみにミキティは私の手に少し触れただけで
私を言い当てました。
ミキティ恐るべし!)




広い芝生の空間では
キャッチボールをしたり(これが思いのほかできてしまうのです)。
鬼ごっこをしたり(スーパースリリング!)。
顔も思い出せないけれども
たびたびぶつかってしまうような縁のあった女性と
背中を合わせて会話をしたり。
寝転がってみたり。


暗闇の喫茶店では
8人でひとつのテーブルを囲み
ポケットに用意していたお金を
視覚障害者の店員さんに支払い
私は抹茶ラテとお菓子を注文し(美味そうなお酒もありましたよ)
しばし他の7人とミキティと店員さんとの談笑にふけりました。



味覚があることの豊かさ
かけがえのない喜びを
暗闇が教えてくれました。



私が
食べないことによって
食べる喜びを再発見した
ように
参考記事↓
絶飲絶食の禊修行から見えてきたふしぎ発見 前編


見ることができない状況が
見ることができるということの喜び
そして
見ることができるということが
必ずしも豊かであることの条件ではないし
幸福を約束してくれるものでもないこと

私に教えてくれました。

「闇」「ダーク」「暗い」「見えない」などと耳にすると
ネガティブなイメージを抱く方が多いかと思うのですが

「闇」「光」
なりえるのです。
「闇」こそが
「光」を解き放つことをすることが
必ずや起こりうる世界なのです。
この世界は。





30~40分くらいに感じたイベントは
終わってみれば80分が経過していました。

8人ひとりひとりのその手を
いつくしむように握るミキティのぬくもりが
今でも私の心奥で光を放っています。

プロ意識からなのか
いつも気丈に振る舞うミキティですが
たくさんの困難や逆境があったかと思います。



ミキティは
享受された感覚機能をフル動員し
世界と繋がり
闇すらも光であること
闇があるからこそ
光を認識できること

見えている人々に向けて体現しようとしているのではないかと
そんなふうに私は感じていました。



見えているけど
人の文句ばかり言いながら生きる人生
できないことばかりあげつらう人生
があれば
見えないけれど
残された感覚機能をフル活用し
自分にできることを懸命に模索し
自らの運命に誇りを持ちながら
日々を生きようとする人生
があります。
たとえば
ミキティのように。

前者とミキティ
本当の意味での盲者
果たしてどちらなのでしょう。











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「夜が明けたら / きのこ帝国」
作詞 佐藤

でも でも でも
夜が明けたら、夜が明けたら、
許されるような そんな気がして
生きていたいと涙がでたのです




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

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人間を人間たらしめている唯一無二のベストバランス

二ヶ月ほど前、
「ハオルシア」という植物を入手しました。
別名「十二の巻」(由来が知りたいですね)。
この方↓です。

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ネットで検索するとわかりますが、
ハオルシアにもいろんな形のハオルシアがあります。
こんな珍妙なハオルシアもいるようです。

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園子温監督「リアル鬼ごっこ」の
ショッキングなオープニングシーンを彷彿とさせる断面感です。







話しは最初のハオルシアに戻りますが、
飼い始めて一ヶ月ほどが経過した頃、
これまた珍妙な、謎のひもがニョキニョキと生えてきます。
とげとげしいヴィジュアルからは想像もつかない、周囲の誰も傷つけようがない何かです。


全部で2本生えているのがわかります。
初めて見た時は、何か別な生命体がハオルシアに寄生したのではないかと思ったものです。

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この写真からさらに一ヶ月経った今では、
7カ所ほどから生えてきています。




するとなんと、
このひもの先端が拡散したかと思うと、
それぞれの先っちょが蕾となり、
花が咲き始めたのです。

IMG_20160607_084620.jpg


ベジータの頭のような攻撃的な様相から、
このようなアンバランスな形体で花が咲くだなんて、
一瞬でも想像することができませんでしたね。





ところが
私の主観が勝手にこの姿や様相をアンバランスに見ているだけで
この十二の巻にとっては、
このアンバランスな姿形こそが
唯一無二のベストバランスなのです。






自分が見ればゴミ屋敷でも、
使ってる本人にとってはベストな状態だったり。

自分が見ればブスな人でも、
その人を愛している人にとっては、
それがその人のベストな容姿です。

自分が見れば幸せそうな人が、
自殺を視野に入れているほどに、
悩みもだえているかもしれません。


人間同士においても日々起こり続けているこの
偏見現象






ここで視点を変えてみてください。
「偏見」があることこそが、
人間を人間たらしめている
唯一無二のベストバランスだとしたら──?


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著作者: t.abroudj



自分とは違う主観フィルターや価値観の人間も、
今よりほんのちょっぴりは許せるかもしれません。












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ドラマチックアラスカ / 人間ロック」
作詞 ヒジカタナオト

ろっくでなしに愛を鳴らして突き進め
不器用でも僕は自由だ
すなわちロックンロール
六弦震わせて鳴らす僕の等身大
何かが変わる気がしたんだ
答えろ人間ロック




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『運命は自分で切り開ける』という意識レベルと 『運命は変えられない』という意識レベル

数日前
友人からこんな内容の質問を受けました。

妻のことをどうしても愛することができないが
努力次第でいつか愛せる日は来るのか。

あるいはその時々の距離感や
共に過ごした時間などによって
それは変化していくものなのか。







質問に対して私は回答したのですが、
読者のみなさまにも何らかのお役に立つような気がしたので、
要約して掲載してみようと思いました。

表現の中に「レベル」という言葉が使われますが、
私たち人間は「レベル」と聞くとそこに優劣を見い出す習慣があります。
ゲームにしろ勉強にしろ「レベルが上がる=成長」を意味しますから、当然と言えば当然のことです。
ですがこの回答に関しては「優劣の話」ではないことと、
「個人差」もあるだろうことに注意し、読んでいただければ幸いです。




愛する努力をし、その努力が実る場合はあるし、実らない場合もある。

そして、「実るか」「実らないか」という行き着く結果は、すでにさだめられている。

私たち人間が、自らこの肉体や個性を選んで生まれてきたわけではないように、
ある人とのあいだに生まれる距離感も、共に過ごす期間も、
本当のことを言ってしまえば、自分では選ぶことができない。

かなりざっくり、乱暴に人間の持つ意識を2種類に分けてしまえば、
『運命は自分で切り開ける』という意識レベルの次の大きなステップに、
『運命は変えられない』という意識レベルが待ち受ける。

それが人間として行き着く終着点としての意識だが、この世界のほとんどの人間は、自分が人生を切り開いているような錯覚を享受しながら生かされてる。

成功の法則や引き寄せの法則の類いは、すべてがその意識レベルにある人のためにある。
本当にそのとおり願望が実現したり、実現しなかったりして涙をのんだりしながら、人生の荒波に翻弄されることを体験するために。

だからといって後者が優れているとかいうことではないし、自分の意思で後者の意識レベルに移行できるものでもない。
けれども仮にもし、このブログを読んでいる人が後者の意識レベルに移行することがあったなら、このブログに書き記されていることが、呼吸をするくらいに当たり前のことになってしまう。

後者の意識レベルに移行してしまったなら、変えられないことを受け入れなければならない苦しみというものが待っている。

その一方で、すべては起こる必要があって起きていることを理解している意識レベルにあるため、過去への後悔や未来への期待といった波風が激しくは立ちにくくなる。
そういう意味での平穏は得られる。

引き換えに、過剰に幸福を感じることはなくなり、過剰に不幸を感じることもなくなる。
自分で人生を切り開いているような達成感や充実感は、希薄になる。
人によっては虚無感に苛まれる(私にもそういう時期がありました)。


結局のところ、どちらの意識レベルであっても、この世界に肉体を持って存在する限り、
「苦」が100%完全に滅却されることはない。



意識レベルの話は、この↓ふしぎ発見も参考になるかもしれません。

必要なパーツがすべて噛み合って、初めてそれは自転車(世界)だよ










今年もまた冬を越し、
春も越えて、
実をつけたパクチーの種の収穫期が来ました。

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花が咲き、この枯れ枝のような状態になるまで放っておき、
種をつまむとぽろぽろと種がこぼれてきます。
年々、取れる種が大きくなっていってるのがわかります。
冷蔵庫に保存すれば、数年持ちます(元気な種なら10年くらい経ってもいけるかもしれません)。
単純に、育てたパクチーがいろんな場所に波及していけばいいなと思うので、
遠慮なく「種をおくれ」と連絡下さい。





前のパクチーに関する記事で
パクチーは夏に弱いことをお伝えしましたが、
いつか真夏にも耐えうるパクチーを育てるべく(夏にこそ一番食べたい植物だけに)、
あえてうちのパクチーが苦手な時期に種を植え付けました。
で、10日ほど経ってこの通り芽が。

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さあ、今年こそはパクチーたちは真夏の猛暑を耐えぬくことができるでしょうか。












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ナオト・インティライミ / 未来へ」
作詞 オオキノブオ

誰のせいでもない運命
恨む相手がいたら救われたのだろうか




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瀕死の状態から起死回生の復活を遂げたゴーレム

こいつは多肉植物のゴーレムといいます。

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初めての出会いは
忘れもしません。



私の相方がひどく体調を壊し
付き添い
タクシーで向かった病院の玄関で
「ご自由にお持ち帰りください」と
しなびた老人のような
余命いくばくもなさそうな
瀕死の状態で
光の挿さない隅っこに置き捨てられていたのが
こいつでした。





それが今ではどうでしょう。
この鮮やかなどみどり具合
漲る生命力
サワーズグミのような
はち切れそうなほどのむちむち!






瀕死の植物が
見事に復活する様に立ち会えることは
ベランダーであることの
ひとつの醍醐味なわけですが





私たち人間は
勝負ごとや
ひとつの物語における
起死回生の逆転劇
大好物です。




ある種のスリルや快楽がそこにあるから
そういう理由も確かにあるかもしれません
ですが私は
起死回生の奇跡に
自覚的にしろ無自覚にしろ
神(本当の自分)を垣間見るからこそ
人間は起死回生を何度でも求める
のだと
そう感受せずにはいられないのです




そしてその奇跡は
決して偶然などではなく
私たちの本質がいままさにここにあるというヒントを
指し示すためにこそ
必然的に起こされる
のです
これからだって
何度だって











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
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今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「起死回生STORY / THE ORAL CIGARETTES(ジ オーラル シガレッツ)」
作詞 Takuya Yamanaka

存在の価値は一体どこの誰が決めたんだろうか
世界というものに一切の価値を生み出せない人間に
誰が希望を与えるべきか
自分か はたまた赤の他人か
そんなことに誰が興味を持つか
そもそも自分以外の人間にそんなことは関係ない




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Perfume 6th Tour 2016 「COSMIC EXPLORER」ロゴから見えて来るふしぎ発見

熱烈なPerfumeファンの友人に誘っていただき
来月の幕張メッセでのライブに行けることになったのですが。

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ツアーで使われている
このロゴデザインに込められた
その意味を分析した以下のサイトに
「おお」と目を見開きました。


Perfumeって何?



このブログで取り上げられていた
「絶対不可侵領域」
昨日どみどりくんが書き記した
ふしぎ発見にあてはめるなら
それこそが
「コトバ」そのものです。
そしてロゴの円こそが
「言葉」を意味します。



この円と円の重なりと連なり
何もPerfumeの3人に限ったことではなく
すべての人が
この円と円の重なりと連なりの中にある
のです。
それこそが 縁の世界(この世界)です。




かしゆかさんが言った
「誰にも触れられないもの」
いつだって
誰のそばにだって
時空を超えて
寄り添っているのです。











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
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今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Pick Me Up / Perfume(パフューム)」
作詞 中田ヤスタカ

大切な想いが
Feeling Feeling 伝わって
だんだん重なる タイミングに
運命感じる
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。