水槽世界に見る縁起世界 BYじゃっく

今日は終戦記念日ということで
戦争にまつわる社会悪ネタでも
イモータン・ジョーにかましてもらおうかとも思いましたが
あえて
こころに潤いをもたらす
生き物たちネタにします





うちで暮らす動物たちの中でも
一番長く暮らしている動物であるにもかかわらず
ご紹介するのが後回しになってしまいました

ニホンイシガメの「らいちゃん」です
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カメラの調子がわるく
ブレブレですいません



ケースワーカーをしてる友人の
その施設の同僚が
訪問先の道端で拾い上げ
飼い主が見つからず
施設内で保護されていたらいちゃんですが
友人が私なら引き取るのではと
連絡をくれたことが
らいちゃんとの出会いのきっかけでした





実は最初
少し戸惑いました




なにかと
カメが好きな私は
ちょっとした不注意で
溺愛していたホシガメを死なせてしまった経験があり
15年以上ものあいだ共に暮らした
相棒のミドリガメも息を引き取り
悲しい別れを繰り返したくないがために
動物を飼うことを
無意識に避けていたのです




ですが
自ら求めることもなく
(意識下では求めていたのかもしれませんが)
縁起が織り成す流れのままに
話が舞い込んだ生き物です

私は再び
カメを飼う決心をしました





これがうちに来たばかりの頃の
らいちゃんです
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いやはやこれまた
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悩ましいほどに──
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可愛くないところを探すことが困難(泣)












大きなミドリガメを飼っていた水槽なので
小さな身体のらいちゃんだと
そのスペースを持て余してしまいました

そのことと
らいちゃんが気性が穏やかな性格であることを見こし
水草熱帯魚ヌマエビたちを招き
水槽内はどんどん賑やかになっていき
らいちゃんが他の生物たちを襲うことも
1年に1度くらいしかありません
(1年に1度ほど、何故だか野生に目覚める瞬間があるのです)




水槽の管理というと
とても面倒に思う方が多いかと思うのですが
私の木村秋則イズムな管理方法を実践していただければ
そう大変なこともありません
近日中にその管理方法を掲載します



それにしても
水槽の中を覗くたびに
いつも思うことは
この「水槽という箱の中」
昨日の記事でどみどりくんが話してくれた
ここだけの話、誰も何もしていない世界なんだ、この世界は パート1 BYどみどりくん



宇宙という名の大きな箱の
ミニチュア版
でもあるということです



水槽の中では
多種多様な生物が
おのおの生まれ持った肉体の
その能力や特質のままに
「水槽の中」という
限られた空間や環境
限られた資源やアイテムの中で
他者とぶつかったり
他者に譲ったり
他者をめでたり
他者を騙したり
他者を疑ったりしながら
その生命をまっとうします



水槽の中に
玉と玉とが
相互依存しつづける世界
小さな縁起の世界
浮かび上がって来る
のです
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人は
怠けている人や
甘えている人を見るとよく
懸命に生きている動植物や
身体に障害を持つ人物や
不幸な生い立ちを持つ人物を
引き合いにだすことをしますが──



それこそが実は
この宇宙がなんであるか(真理)を見過ごす落とし穴

怠けている人も
甘えている人も
人を騙して生きてる人も
人を傷つけて生きてる人も
人をゴイム(家畜)と考える人々も
そのとき
そう在ることが
その人の生物としての
「懸命」であり
「全力」なのです




「全力でない生命体」など
この宇宙の中において
いち生命体たりとも
ありえないのです











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Pyramid Song / Radiohead(レディオヘッド)」
作詞 Tom York

All my lovers were there with me
All my past and futures
And we all went to heaven in a little row boat
There was nothing to fear and nothing to doubt
そこには かつてのすべての恋人がいて
すべての過去 すべての未来があった
ぼくらみんな、小さな手漕ぎボートでそこに行ったんだ
そこには 
恐れるものも疑うべきものも 
なにもなかった




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世界総人口削減を企てる者たちにもいち人生がある BYじゃっく

お久しぶりです
じゃっくです

みなさま
この夏いアツを
いかがお過ごしですか




東京23区の中においては
毎年恒例のごとく最高気温を叩き出す
練馬区に居を構える
我がマンションのその一室は
気がおかしくなりそうなほどの
高温多湿注意警報が発令され続けています




生き物を愛で
放任主義的に管理し
育てることが趣味のひとつの私は
半日でカラカラに乾いてしまう
ベランダのたくさんの植物たちの水やりや
すでに紹介したペットたちや
まだ紹介できてないペットたちの
その世話をすることに
結構な時間が費やされます
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これらの他にも
室内の植物
ヒキガエルのけろぴー
ニューフェイスのまんまるちゃん
カタツムリのニラちゃん
ミミズなどもいます



夜勤明けで
激アツのベランダで水やりをし
激アツの室内でペットの世話をし
明らかに自分の体力や能力や日程の
そのキャパを超えてるのを感じるとき
こう思うことがあります






「ちょっと、生きもの飼いすぎかな…」


「もう少しこいつらが少なかったら、管理しやすいだろうな…」








ここで私は
はっとします






「そうか
だからお金で人間社会を
管理しコントロールする者たちは
人口を減らしたいのだ」







0.1%の支配する側にとって
99.9%の奴隷民の存在は
人間以下の存在であることは
疑いの余地がなく
言ってみれば
家畜のようなものであり
彼らがしていることは
私が日々
植物や爬虫類や両生類や昆虫などの世話をし
管理することの規模を
地球規模に大きくしたようなものです
(私の場合は愛情を持って管理しておりますが)
あまりに家畜の数が多すぎれば
当然監視の目は行き届かなくなるし
脱獄を計画する者や
マイケル・ジャクソンや
ジョン・レノンのような
反旗を翻し
その地位を脅かす分子が
誕生する割合も高くなりかねません







私は妙に納得してしまいました







「ああ…
そりゃ人口削減したくなるわな」



そしてこんなことを思いました



「あんたらもあんたらできっと大変なんだね
財閥同士の勢力争いが
あったりもするんだろうし
ぼくのブログを読んで
悪魔なんてものが
幻想でしかないことに
気づいてしまったにもかかわらず
財閥仲間で固い結束をし
その結社を抜け出ようものなら
殺されてしまうような
契約を交わしてしまったがために
ひきつり笑いで
偽りの悪魔の笑みを浮かべ
したくない殺人をしたりしてる
そんな財閥もいるかもしれないし
99.9%の人々が
オレの正体に気づいてしまったらどうしようと
ガクガクぶるぶる
大豪邸の隅っこで震えている
そんな財閥もいるのかもしれない」







そんなことを思うと
ジョン・レノンとマイケル・ジャクソンが
そんなことやめて
「Come Togethr!(おまえもこっちへ来いよ!)」

言い放ったがごとく
「Come Togethr!(おまえもこっちへ来いよ!)
一緒にふしぎ発見しよう
こっちの方が
支配者ゲームなんかより
100倍面白いぜ」

支配者たちを
ハグしたい気持ちにもなるのです












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Mr.Children / 抱きしめたい」
作詞 桜井和寿

抱きしめたい 溢れるほどに
君への想いが 込みあげてく
どんな時も 君と肩をならべて
歩いてゆける Wow Wow…




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「悩める民衆」がいなかったなら「釈迦」や「イエス」ですらも役立たず。

私が勤める介護施設では
介護従事者に救いを求める
高齢者やその家族であふれています。


ところが
「お世話をしてくださってありがとう」
という意味での言葉が飛び交うことがあっても
「お世話をさせてくれてありがとう」
という意味での言葉が飛び交うことは
私の記憶の中ではありません。

これこそが
人類が抱える根深い落とし穴のひとつであると
言いえることができるかもしれません。





ここでひとつの論争を巻き起こした
3年B組金八先生の有名な一説

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「いいかみんな
人という字はな
人と人とが支えあって出来ているんだ」






思わず「なるほどそうか!」と
納得しそうになるこの一説ですが──



よく見ればこれ
長い棒が短い棒にもたれかかるような形で
「人」という字になっています。
片方は楽して
片方は苦労しているかのようです。

なので
「金八先生の一説はウソだ!」という論争が
巻き起こったわけです。





ところが私は
それでもなお
金八先生が正しかった
ことを
認めざるをえません。





よくよく考えてみてください。

もたれる側
支える側


どちらか一方が欠けたなら
もう片方の棒は
果たしてどうなるでしょう





──そうです。
そのまま地に倒れてしまうのです。




釈迦(支える側)が説法することができるのは
助けを求める民衆(もられる側)がいればこそです。
イエスも同様です。
困っている民衆がそこにいなかったなら
釈迦もイエスもその力を発揮することができないし
単なる役立たずにすぎないのです。
言うなればこれは
リアル人生ゲームという名のドラマの
いち場面を形作るための
共同作業
なのです。





映像作家や音楽家もそうです。
まず初めに
見てくれる人や聴いてくれる人がそこにいなかったなら
どんなに才能豊かな作品を作る映像作家だろうと
どんなにこころを打つ音楽を奏でる音楽家であろうと
どいつもこいつも
それを受け止める側がいなかったなら
その人たちの存在価値などゼロなのです。
むろん、この私も
あなたが「一番正しいことを言っている人」と思うその人も
、です。



私たち地球人類は
そろそろそのことに
気がついてもいい頃合いです。

もたれる側も
支える側も
まったくの等価値
であること。
そして
もたれる側と
支える側とが
右の翼と左の翼を
担わなかったなら
「リアル人生ゲーム」という
壮大な飛翔が起こることは
決してなかった
ということを










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「飛翔/安藤裕子」
作詞 安藤裕子

大きな曲がり角 出会う度いつも
明日を恐れ泣いている 海辺のカモメになる
白さに溶け合うように絡めて固まる手を
解いて空に広げれば 身体も羽ばたき発つ




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「17才-at seventeen」と山本太郎と一期一会

私が16~17歳にかけ
青春を謳歌していた頃のことです。
まさにドンピシャなタイトルの
こんなTVドラマがありました。

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17才-at seventeen



片田舎で暮らす7人の高校生たちの
青春群像劇を描いたこのドラマには

ドクターX〜外科医・大門未知子〜では
城之内 博美 役として現在も活躍する
内田有紀さんが出演してました。
(その影響あって
ショートカットの女子に憧れてました)

「フェミ男」として一世を風靡し
俳優としてもタレントとしてもサックス奏者としても活躍する
武田真治さんもいました。
(そのファッションをよく真似ました)




7人の中にはなんと
若い世代の方はびっくりされると思うのですが
現参議院議員の山本太郎さんまでもがいたのです。
(上の画像のバンダナの人です)




このドラマ最大の魅力のひとつと言っても過言ではない
絶妙にコミカルなスパイスは
山本太郎なしではありえなかったと
リアルタイムで見ていたファンの方は
納得していただけるのではないかと思います。


ましてや
メロリンQと称して
素人高校生がバラエティ番組を賑わしていた伝説など
知る由もないかと思います。




そんな太郎さんが
あの311以後
その抗しがたい使命感から
俳優業を辞めなければならなくなり
その突出した危機意識から
罵声や非難を浴び
キチガイ呼ばわりされ
揚げ足を取られながらも
懸命に足を動かし
ストイックに戦術やレトリックを磨き
失敗を重ねながらも
伝えようとすることを諦めず
日本国の危機を訴える姿を目撃すると
なんともたまらない気持ちに
胸がいっぱいになります。


俳優山本太郎がもっと見たかったのに
あの頃の山本太郎にまた会いたいのに
運命ってやつは
なんてことしてくれるんだって
震災直後youtubeにアップされた
彼が放射能危機を訴える動画を見たとき
率直にそう思いました。








──ですが
違ったのです。

あの頃の山本太郎と
現在の山本太郎
一見すると繋がっているように見えて
まったくの別ものなのです。
別人として考えて
なんら差し支えないのです。


なにもそれは
別な誰かが山本太郎に憑依したとかいう
そういうことではありません。
物理的に脳が入れ替わったわけでもありません。



同じように
過去に真の友情を築いた友人と
現在では裏切られた関係になってしまったとしても
真の友情を築いた過去の友人と
裏切られた関係になってしまった今の友人とは
姿形はほとんど変わっていなくとも
まったくの別人なのです。

昨日会った家族と
今日会った家族とは
姿形は変わっていなくとも
まったくの別人なのです。


ある人が抱き続ける
恨みや憎しみは
すでに存在しない人物に対し
抱いている恨みや憎しみなのです。

ある人が抱き続ける
恋心や寂寥感は
すでに存在しない人物に対し
抱いている恋心や寂寥感なのです。





このことは
人間だけにあてはまるものではありません。

植物や昆虫だって
太陽や月だって
海や山だって
建造物や偶像だって
言葉や物語だって
感情や思考だって
記憶の中のそれらのものだって
記憶の中の誰かだって
どれを取っても
まったく同じ一会はないのです。

これこそが
本当の意味での一期一会ではないでしょうか。





二度とは来ない
今この瞬間
今この体験
今この発見とともに
おのおののリアル人生ゲーム
おのおののサバインバルダンス
つづいてゆきます。






そして私は
三宅洋平候補
その応援演説に立つ
の山本太郎を支持します。














youtubeにアップされてるドラマの動画は
エンドロールの音楽がミュートされてますが
流れていた曲は、この曲です。
近ごろの灼熱のような猛暑にピッタリの一曲です。

「TRF / survival dAnce ~no no cry more~」
作詞 小室哲哉

なつかしい草原を君と2人で歩く
夕陽が傾いても 暗やみが訪れても
映画の幕の様に
終わらない続いてゆく
survival dAnce!!




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「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という光

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先週の土曜日
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という
五感の中でも主役的な感覚機能
「視覚」を封印し
100%の暗闇を体感することができる
体験型のイベントに参加して来ました。

「ダイアログ」とは、英語で「対話」を意味します。
なので、直訳すると「暗闇の中の対話」となります。



会場が地下に設営されていることの意味を
体験を終えた人であれば
問うまでもなく理解します。

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ダイアログ・イン・ザ・ダークのことを知ったのは
ずいぶんと前のことであったと記憶しますが
「これは絶対に行ってみたい」と内に秘めながらも
そのときの目の前のことをこなすことに埋もれ
すっかり記憶の片隅へと追いやられていました。

ところが
今年で40歳になる相方の
例年とは違う特別な体験となるような
アニバーサリーな贈り物を考えていたとき
ふとここのことが思い浮かんだのです。



思いもよらぬ想念が自動的に思い浮かぶ
というサプライズもまた
この「縁起世界」の賜物です。

天から降りてきたメッセージと解釈するも
ガイド(守護霊)がくれたメッセージと解釈するも
運命であると解釈するも
おのおのの自由なわけですが
この世界におけるいかなる現象も
「縁起」に起因されていることには変わりません。




この日の昼の時間に予約した
初めて顔を合わせる
何の素性も知らない8人が
ロビーで顔を合わせます。
もちろん私も
相方以外の6人で知っている人は1人もいません。


明るいロビーから
少し照明を落とした部屋へと通されると
アテンド(介添人)が紹介されます。
社会との関わりあいの中で
視覚的障害に直面するいち個の人間であるのと同時に
暗闇との対話のエキスパートでもある
その明るく懸命で誠実な女性は
自らの愛称「ミキティ」を名乗り
初顔合わせの8人もまた
その場で簡単な自己紹介をし
おのおの愛称を名乗っていきます。

普段は人の名前を一度聞いても
そのほとんどを忘れてしまう私ですが
(何度も何度も耳にしてようやく覚えられます)
「音」としての「名前」
これほど重要な意味を持ってくるのか
ということを
間もなく私は思い知らされます。




8人それぞれ
視覚障害者が使う白杖を手にし
いよいよ完全なる暗闇へと踏み入ります。

多少の不安はあったのかもしれないのですが
それは未知への好奇に打ち消されます。



ゆっくりと
事故のないように
慎重にミキティがアテンドしてくれます。
見えない誰かと接触したり
混みあっていそうなところでは
声を出して名を名乗るだけで
他の7人の助けになることはもちろん
自分の身を守ることにも繋がります。

そうやって
誰がどの辺りの位置や距離に在るのかを把握するのと同時に
空間の全体的な様子もおぼろげに把握することができるからです。
「聴覚」のありがたみにしばし胸を打たれます。



小さな公園?のような空間で
地面の石畳の感触
生い茂る草(シュロチク?)の感触
池の水のひんやりとした心地よさ
木製のベンチに座ってみたり
ハンドメイドな質感のブランコに興じます。
どういう仕掛けかはわかりませんが
森林の中のような
澄み渡った空気と鎮まりへといざなう香りが
嗅覚を刺激します。



初期仏教や禅の瞑想法に
いま自分が行動しているあるがままを
認識することだけに重きを置いた瞑想法がありますが
視覚情報がシャットされた状態に在ると
瞑想という形式をとるまでもなく
残された4感は自動的に研ぎ澄まされ
日常生活では考えられないほどに
豊かになって外部世界が反響します。





8人が8人とも
誰に強制されるでもなく
おのずと自発的になっていきます。
普段はどちらかというと無口で控えめな性格の私も
誰かとコミュニケーションを取りたい気分になっていきます。
いつの間にか8人は
不思議な連帯意識の中にいました。
そして
私にはその理由がわかる気がしました。




「人は見た目じゃない」とは
ひょっとするともはや死語なのかもしれませんが。
暗闇の中に在って初めて
私はこの言葉が真実になりえることを
垣間見た気がしました。




われわれ人間が
いかに視覚的情報に囚われ
日々を生きているか。




「この人は怖そうで話しかけにくいな」とか
「この人は好みのタイプだからドキドキするな」とか
「この人は私のことを避けてそうだから気まずいな」とか
「この人は裏では私のことをなんて言ってるかわかったもんじゃない」とか
人間誰しも「先入観」という名の主観フィルターを通し
世界を見ている
わけですが。
そういった視覚的情報に惑わされることなく
他者とコミュニケーションができるという真実がもたらす
安らぎにも似た多幸感のようなものがあることを
視覚情報が完全にシャットされた状況に在って
私は知ることになりました。





ロビーで顔を合わせたものの
ほとんど誰もなんの印象も残っていなかった6人の姿が
気がつけば生き生きと感じられてきます。
顔を見てさえ名前を覚えられない私が
本人の声の特徴だけで
全員の名前が自動的に浮かんできます。
(ちなみにミキティは私の手に少し触れただけで
私を言い当てました。
ミキティ恐るべし!)




広い芝生の空間では
キャッチボールをしたり(これが思いのほかできてしまうのです)。
鬼ごっこをしたり(スーパースリリング!)。
顔も思い出せないけれども
たびたびぶつかってしまうような縁のあった女性と
背中を合わせて会話をしたり。
寝転がってみたり。


暗闇の喫茶店では
8人でひとつのテーブルを囲み
ポケットに用意していたお金を
視覚障害者の店員さんに支払い
私は抹茶ラテとお菓子を注文し(美味そうなお酒もありましたよ)
しばし他の7人とミキティと店員さんとの談笑にふけりました。



味覚があることの豊かさ
かけがえのない喜びを
暗闇が教えてくれました。



私が
食べないことによって
食べる喜びを再発見した
ように
参考記事↓
絶飲絶食の禊修行から見えてきたふしぎ発見 前編


見ることができない状況が
見ることができるということの喜び
そして
見ることができるということが
必ずしも豊かであることの条件ではないし
幸福を約束してくれるものでもないこと

私に教えてくれました。

「闇」「ダーク」「暗い」「見えない」などと耳にすると
ネガティブなイメージを抱く方が多いかと思うのですが

「闇」「光」
なりえるのです。
「闇」こそが
「光」を解き放つことをすることが
必ずや起こりうる世界なのです。
この世界は。





30~40分くらいに感じたイベントは
終わってみれば80分が経過していました。

8人ひとりひとりのその手を
いつくしむように握るミキティのぬくもりが
今でも私の心奥で光を放っています。

プロ意識からなのか
いつも気丈に振る舞うミキティですが
たくさんの困難や逆境があったかと思います。



ミキティは
享受された感覚機能をフル動員し
世界と繋がり
闇すらも光であること
闇があるからこそ
光を認識できること

見えている人々に向けて体現しようとしているのではないかと
そんなふうに私は感じていました。



見えているけど
人の文句ばかり言いながら生きる人生
できないことばかりあげつらう人生
があれば
見えないけれど
残された感覚機能をフル活用し
自分にできることを懸命に模索し
自らの運命に誇りを持ちながら
日々を生きようとする人生
があります。
たとえば
ミキティのように。

前者とミキティ
本当の意味での盲者
果たしてどちらなのでしょう。











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「夜が明けたら / きのこ帝国」
作詞 佐藤

でも でも でも
夜が明けたら、夜が明けたら、
許されるような そんな気がして
生きていたいと涙がでたのです




パクチーの種を差し上げます。
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じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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