映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート10

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※発見は終わらないよ!※

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この映画をとおして開眼する
ふしぎ発見!については
9回の記事で
完結した(はずだった)んだけれども
パート10を銘打った今回は
東京立川でアンプリファイされた
極上爆音「マッドマックス 怒りのデスロード」
公開一周年を記念し
9月2日までの
異例の長期上映が決定されたことに加え
そもそもの爆音上映の仕掛け人
遠山企画室長
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その挑戦心をくすぐり
代表取締役社長
ゴーサインを出すに至らせた
採算度外視な情熱
心奥から喚起させる
この映画に秘められた
神的な何か
それとはいったいなんなのだろうと
改めて考えてみずには
いられなかったんだ






俗に
「覚醒」
「非二元」

などと呼ばれているものと
同一と思われる
得体の知れない体験を経たことをきっかけに
このブログを書き始めた
じゃっくだったんだけれども


しばらく書きつづけているうちに
今生において
あの体験以上に
自分の人生をゆるがすような
大きなサプライズが
起こりえないだろうことが
なんとなく予想されてくると──


体験直後の
あふれんばかりの
「伝えたい情熱」
次第に霧消していき
ブログをつづけることに
「鮮度」
「面白み」のようなものを
感じれなくなってきてしまったんだ




仕事として
この活動をしていたなら
またもう少し話しは
違ったのかもしれないけれども
(つくづく 
マネーに支配された世界だね)


ビジネスの縛りのない環境において
個人で好き勝手やっていることにしては
その自由度を活かしきれてない気がしたし
何かが物足りなかったんだね




その倦怠感の原因は
今にして思えば
死への恐怖が薄れてしまったことによって
同時に
生への執着も希薄化してしまったこと


そのことに連動するように
変にあきらめがよくなってしまい
変に過去を引きずらなくなってしまったこと


さらには
見えなくてもよかったものまで
見えてしまうものだから
周囲の人とに食い違いや温度差が生まれ
孤立化していったこと


などが考えられるそう




つまりは
じゃっくの肉体は
山奥に隠棲する仙人みたいに
鎮まりの中に安寧する存在になることを
その時点ではまだ求めてはいなかったか


あるいは
そういう境地に安寧することは
じゃっくの性には合わなかったか


あるいは
そのときすでに
肉体的にも精神的にも
自由のままならない
先行き短い
老境をまたいでいたなら
体験はすんなり
じゃっくに浸透したのかもしれない


なぜならば
肉体の死
非二元的な体験とは
イコールみたいなものだから





多くの人が
求めてやまない
覚醒体験だけれども
これじゃあなんだか
覚醒体験するのも
一概にいいこととは言えない

言うことができそうだ




ところが
そんなじゃっくを
直下型地震のように直撃してしまったものが
この映画
「マッドマックス 怒りのデスロード」




この映画が
じゃっくを「生」への倦怠感から
「生」への狂気(マッド)へと再覚醒させ
裏ワザを使うことによって
安全なアイテムを使い
安全なコースを通り
無難にステージをクリアする非二元的マリオから──

1ステージから順番通りに
敵や障害物や飛来物と
向き合い 
翻弄され
アイテムやコインを駆使しながら
地道に着実に
身を置かれてるステージと向き合う
SURVIVE(サヴァイブ)するマリオへと
引き戻したんだ



それはそれは
覚醒体験にも匹敵するほどの
(ひょっとしたらそれ以上?)
素敵な素敵なサプライズ
だったよ


この映画が
非二元の倦怠から
わるい予感のする
二元のほうへ

じゃっくを引き連れ戻したけれども
だからと言って
覚醒体験が
無駄なことだったとか
非二元が
必要ないものだとか
そういうことじゃないんだ
リアル人生ゲームにおいて
無駄なことなんて
ただのひとつもない


いつだって
それまでのすべてがあったからこそ
今のその人がある
のだからね




イモータン・ジョーが
このブログでたびたび口にする
マネーを操る強大な支配者にも
ぼくは敬意を表したいくらいなんだ

だって
きっと今のこのマネー支配社会が
存在しなかったなら
マッドマックス怒りのデスロードが
撮影されることはなかった
だろうし
10回に渡って書いてきた
マッドマックスのこの記事だって書けなかった
ことはもちろんのこと
マネー支配された世界という
ディストピアなゲーム舞台設定がまた
挑戦心をくすぐる
じゃないの!

社会が根底から
くつがえるほどのことだもの
それはあまりに
高くて高くて高すぎるハードルだけれども
50年や100年
一世代や二世代ががんばったくらいじゃ
飛び越えられないくらい難解なハードルのほうが
挑戦しがいがある
じゃないの!




だいじょうぶ

冒頭に
ふりそそぐ水しぶきは
現代社会になぞらえるならば
ぼくらに日々ふりそそぐ札束に違いない
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──けれども



ラストに
帰還したフュリオサや仲間たち
そして民衆へとふりそそぐ
輝く水しぶき
それは決して
お金では買えない
リアル人生ゲームだからこその
プライスレスな何か


ぼくら存在する者たちは
肉体を超えた
目には見えない手のひらに
いつだってその
プライスレスな何か
しっかりと握りしめていて
それが失われることは
決してない
んだ
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今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ワイルドサイドを行け / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

人に弾かれた者同士も 同じ孤独で繋がれんだ
仲間とこじ開ける未来は絶景さ
進んで行こうぜ 今日だって道は分岐点ばかり
好奇心辿って 悪い予感のする方へ






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映画「ルーム」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
レニー・アブラハムソン監督作
「ルーム」

※ネタバレありだよ!※

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5歳の誕生日を迎えた
ジェイコブ・トレンブレイ演じる
ジャック
その母親
ブリー・ラーソン演じる
ジョイ
陰気で手狭な
粗末な部屋の中で
つつましいながらも
親子の絆を
深めあっていくには
不足のない
しずかな日々を
送っていたよ

ところが
その部屋には
ある秘密があって──


ジャックにとって
世界は
「部屋の中」
それだけ


部屋の中の
台所や食器棚
イスや衣装棚
お風呂やトイレ
植木やテレビ
ベッドやカーペットのしみ
そして
薄汚れた小さな天窓
それだけがすべてで
生まれてこのかた
部屋の外には
出たことがなく
母親のジョイにも
世界は
この部屋の中のみで
すべて完結している
のだと
そう教え込まれて
5年間を生きて来たんだ

なぜなら
母親のジョイは
19歳のときに
迷子の犬を
一緒に捜してくれないかと
申し出た男の
自宅の裏庭にある
一見すると
物置小屋のような小部屋に
拉致監禁され
21歳のときに
男との間にできた子供
ジャックを産んでなお
部屋の外には
一度も出たことがないから

5歳になった
ジャックを見つめるジョイは
ジャックに真実を打ち明ける
その覚悟を決め
真実を断固拒否する
ジャックに対し
それでもめげずに
部屋の外にも
世界があること

どうにかジャックに理解させ
脱出計画を決行

ついにはジャックは
外の世界
開眼することになるよ

けれども実は
ここからがこの物語の
本当の意味での始まり


部屋を脱出することが
叶うこととなり
一生分もの喜びを
噛みしめたはずでありながら
なお
二人には
新たな試練が
待ち受けているんだ
「常識」
「世間体」
「社会通念」

という名の試練が──

実はこれって
社会に生きる
すべての人が
日々出くわしてる試練


実のところ
二人を監禁していたものとは
「男」ではなく
「部屋」でもなく
「目には見えない
二人の意識の
学びの場」


二人が
部屋を脱出したことは
実は
「部屋」における
学び(体験)を終え
「学びの場」が
次なるステージへと
移行した
ことを
意味している
んだ

たとえばきみが
緊張した面持ちで
登校初日を迎えたあのとき

あるいは
青天の霹靂のごとく
職場をクビになったとき


たとえばきみが
誰かとともに暮らすことを決意した
そのとき

あるいは
離婚することを決意した
そのとき


たとえばきみが
熱中していたあることへの
その情熱が
冷めてしまったとき

あるいは
ジョイのように
望んでもいない
なんらかの大問題に
否応もなく
巻き込まれてしまった
そのとき


これらはすべて
新たな学びの
そのファンファーレ

ジャックとジョイが
そうであったように──

その学びの
当事者にあるときは
どう足掻こうとも
その問題と
向き合わされるし
場合によっては
きみだって
ぼくだって
人を殺さなければいけない
そんな体験が
待ち受けていることだって
なきにしもあらず

現段階の
一人の人間の
学びの場の
その移行決定権は
自分にはもちろん
超能力者や
予言者や
覚醒者にもない


「部屋の外」という
新たな世界を開眼し
「部屋の外 第1ステージ」の学びを終え
新たなる意識のステージ
「部屋の外 第2ステージ」へと
踏み入ったジャックは
そのことを
直感的に感受したかのように
物語の最後
監禁されていた「部屋」
ジョイと一緒に訪れるんだ

証拠品として
回収されなかった
枯れた植木鉢や
トイレや
カーペットのしみ
ひとつひとつに
「○○さんさようなら」
「○○さんさようなら」

いつくしみながら
まるでそのときの学び(体験)が
あったからこそ
「いま」があること

感謝の念を
込めるかのように──












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「Moon / Bjork(ビョーク)」
歌詞 Bjork

Fail at loving
And fail at giving
Fail at creating a flow
Then realign the whole
And kick into the start hole
And kick into the start hole
To risk all is the end all and the beginning all
愛すること
与えることに失敗しては 
その機会は再び用意され
あなたは再び
最初の穴へと蹴り入れるの
何度でも
すべてのリスク(可能性)は
すべての終わり
そしてすべての始まり






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映画「クリード チャンプを継ぐ男」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
ライアン・クーグラー監督作
「クリード チャンプを継ぐ男」

※ブルーレイ&DVDが発売されたよ※

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全6部作の
ロッキーシリーズは
6作目にあたる
「ロッキー・ザ・ファイナル」でもって
完結したはずだったんだけれども

映画「ロッキー・ザ・ファイナル」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

人智や理屈を超えた
運命のいたずらが
7作目を生みだすことになったことが
今回のふしぎ発見のテーマ
それがこの
「クリード チャンプを継ぐ男」

幼くして母を喪い
児童養護施設では
暴力沙汰を起こしてばかりという
荒れた日々を送っていた
マイケル・B・ジョーダン演じる
アドニス・ジョンソン
※下の画像はマイケルじゃないよ!※
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そんなアドニスを引き取ったのが
メアリー・アン・クリード
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実はこの
メアリー・アン・クリードは
アドニスの父の本妻
そしてアドニスの父とは
ロッキー1、2作目において
シルヴェスター・スタローン演じる
ロッキー・バルボア
伝説の闘いを交えた
今は亡き
元世界チャンピオンの
アポロ・クリード
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愛人の息子でありながら
アポロの忘れ形見として
実の息子のように
愛を受けながら育ち
金銭的にも不自由がない
一見すれば
裕福でありながら
恵まれすぎたその環境は
一流投資銀行での
若くしての昇進という
世間的には「勝ち組」
そう呼ばれる人間の道へと
アドニスを
辿らせてゆくけれども──

サン=テグジュペリ原作の
「星の王子さま」


「大切なものは
目には見えない」



そう言ったように
目には見えるものが
完璧なまでに
満たされているにもかかわらず
誤魔化すことのできない
欠乏感や
虚無感の
容赦なき浮き彫りに
もんもんとした日々を
アドニスは送っていた
んだ
YouTubeにさえ
アクセスすれば
いつでも会いに行ける
父アポロと共に
シャドウボクシングを重ねながら──

そうして
愛する父の
その背中を追うように
会社を退職し
母の反対も押し切って
ボクシングに生きることを
決意するものの
いわくつきの存在である
アドニスは
父アポロのジムにさえ
コーチしてもらうことを
断られてしまうよ

そんなある日
アドニスが閃いたのが
父との一時代を築いた
伝説のボクサー
ロッキー・バルボアに
ボクシングの教えを乞うこと


こうして物語は
大きく動き始めていくよ

ところが
この映画の成り立ちを
追ってゆくと
映画の中身を超えた
必然的ドラマが
見えて来ることになる
んだ

ロッキーシリーズ
その大ファンである父親に
多大な影響を受け
「仮にもし
アポロに隠し子がいたら?」

という発想を思いついたのが
本格的な長編映画は
一本も撮ったことのない
駆け出しの映画監督
ライアン・クーグラー

自主映画であり
のちに処女作となる
「フルートベール駅」
その撮影にあたって
知りあうことになった
映画関係者に
なんともなしに
そんなアイデアを
話してみたところ
その関係者が
シルヴェスター・スタローンとの
繋がりがあることが発覚し──

2012年7月
急遽
スタローンに呼び出された
ライアン・クーグラーは
貧しいながらも
どうにかこうにか
飛行機代をかき集め
オークランドから
ハリウッドまで
スタローンに会いに行くんだ

スタローンからは
しばらく何の音沙汰もなく
流れてしまったかに見えた
ライアン・クーグラーのアイデアは
「お前の言ってた映画をやろう」という
スタローンからの一報で
実現する動きとなっていくよ
しかも
スタローンが
監督・脚本をするのではなく
ライアンクーグラーが
監督・脚本を任される形
でね

すっかり
映画界からは
過去の人になりつつあった
スタローンが
1本も映画を撮ったことがない
27歳の青年に
すべてを賭けることを決めた
その理由を
探っていくと
この比類なき
チャンスの流れが
実は
ロッキー1
そのものであり
スタローンの実人生
そのものであることが
見えて来る


29歳のスタローンは
まったく売れない
無名の俳優だったけれども
有名プロデューサーと
接することができる
その千載一遇のチャンスに
自らを主演として構想を練った
ロッキー1のシナリオを
そのプロデューサーに手渡し
そうして誕生し
アカデミー作品賞を受賞し
世界へと羽ばたくことになった
ロッキーシリーズ

そして
ライアン・クーグラーと
出会うことになった
2012年7月とは
スタローンの実の息子
セイジ・スタローン
心臓発作により
逝去した月
でもあったんだ

スタローンの
その背中を追うように
映画監督の道を
志していた
セイジ・スタローン

このタイミングの中で
ライアン・クーグラーの
そのアイデアを耳にした
シンクロニシティは
スタローン自身が
きっと
誰よりも一番
驚いたにちがいないし
この世の
人智や理屈を超えた
不可視な力に
畏れを覚えるのと同時に
比類なき
救いのようなものすらをも
感じていたのかもしれない

ぼくは思ったよ

こうして
スタローン(ロッキー)
ライアン・クーグラー(アドニス)による
映画と現実の交錯は
「クリード チャンプを継ぐ男」に
結実した


ロッキー伝説から
クリード伝説へ
そしてまた
伝説は以心伝心してゆき
くり返されてゆくよ
ボクシングや映画に限らず
この世界における
あらゆる
「目には見えるもの」を超えて
この先もずっと──

スタローンほどに
サプライズに満ちた人生は
そうそうないけれども
いつだって
不可視な存在は
いまかいまかと
きみにサプライズを
仕掛けるタイミングを
見計らってくれている
んだ

きみの予想や
きみの人生設計は
必ずや裏切られるよ
いい意味にも
わるい意味にもね
なんせ相手は
きみの頭ん中は
すべてお見通し

きみが予測できうることを
そのまんま起こしたところで
そんなものが
サプライズになるはずもないし
そんな人生が
面白いはずもない


この世界は
いつだって
目がくらむようなサプライズに
驚かされてなんぼの世界
なんだ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「FLASH / Perfume(パフューム)」
作詞 中田ヤスタカ(CAPSULE)

FLASH 光る
最高のLightning Game
かざした手を弓矢に変えて
FLASH 超える
最高のLightning Speed
願う 真空の間で 届きそうだ FLASH






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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート9

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※何度でも蘇るよ!※

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東日本に刻まれた
悲しみの傷跡も
まだ癒えきらない
深手を負った日本に
追い打ちをかけるような激震が
再び襲いかかり
救援や支援に動き出す人々や
SNSで呼びかける人々や
他人事のように
変わらぬ日常を送る人々が
錯綜する最中

ぼくは
ぼく自身が
純粋に映画を楽しむためだけに
「マッドマックス 怒りのデスロード」
極上爆音アンプリファイ上映される
立川シネマシティの扉を
押し開けたんだ

映画館でも家でも
何度もくり返し観た
映画であるにもかかわらず
ぼくがいま
必要とするものが
立川シネマシティで体感する
「マッドマックス 怒りのデスロード」にあるような
そんな予感がしたから



世紀末世界の支配者
イモータン・ジョー
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彼が最も大切にする
お宝(5人の妻)を奪い
彼の軍団から
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逃走する
彼の配下でもある
裏切り者のフュリオサ大隊長
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この
人間目線の
追走と逃走の
命を懸けた戦いを
まるで知っていたかのように
巨大な砂嵐
両者に襲い掛かる
そんな場面が
この映画にはあって
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人も車も
あっけなく巻き上げられ
容赦なく蹴散らされ
大自然を前にした
人間の無力さと
儚さとを
この場面を見るたびに
ぼくは思い知らされるし
きっと誰しもが
抗いようのない
大きな災厄が
我が身のこととして
降りかかって来たそのとき
同じようなことを
思うんじゃないかな

けれども
大自然(世界)
ちゃんとわかってるんだ

修復すべきものが
そこになかったなら
直す
という行為や
治す
という行為は
生まれえないことを

傷つき
倒れている人が
そこにいなかったなら
落とした涙を
拾い集めるように
うずくまる人が
そこにいなかったなら
手を差し伸べる
という行為や
共に泣く
という行為は
生まれえないことを

絶望の礫が
ふりそそがなかったなら
誰かの楯になる
という行為や
希望を切り開く
という行為は
生まれえないことを


そして
それら
生まれるべき行為たちこそが
肉体を超えた
ぼくたちそのもの


肉体やこころが
ぼくら自身なんじゃないよ
生まれるべき行為たちこそが
ぼくらの実体
なんだ

ぼくらは
本当のぼくら自身を
わかるために
生まれるべき行為たちを
自ら行為することによって
自らを顕現し
自らを思い出している


だって
ぼくたち人間もまた
大自然(世界)そのもの

なんだもの

その「行為」
正式名称こそは
清志郎さんや
ジョン・レノン
高らかに謳いつづけた
あれだよ
あれ!











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Teardrop / Massive Attack(マッシヴ・アタック)」

Love, love is a verb
Love is a doing word
Fearless on my breath
愛、愛は動詞
愛は行為の言葉
私の呼吸は恐れを知らない






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映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
岩井俊二監督作
「リップヴァンウィンクルの花嫁」

※今回はネタバレしたくない気分だからしないよ※

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この映画は
黒木華さん演じる
どこか
心ここにあらずな
派遣教員の皆川七海
お手軽なSNSで
お手軽にできた恋人との
お手軽な結婚契約を経て
その身にふりかかる
様々な困難や
差し出される
悪意なき欺瞞の手に
翻弄されながら
生きる意味を発見してゆくような
そんな物語だよ

映像作家の友人に
この映画の感想のようなものを
簡単に述べたところ
こんな返事が返ってきたんだ
(ちなみに友人は
岩井監督過去作は
いくつか見ているけれども
本作は見ていないよ)

「監督仲間にはどこにでも必ず岩井ファンがいるんですが、
その女性をアイドル化してるというか、美化し過ぎてるというか、岩井ファンの作品はそれが特化していてさらに私は岩井ワールドが苦手域にくい込んでしまいました…」


ようするにこれは
女性美化のさじ加減は
濃いめがお好きですか?
薄めがお好きですか?
という
「好き」「嫌い」の問題

なんせ
映像作家に限らず
すべてのクリエイター
すべての表現者が
自らが「美」とするものを
具現化する
その作業をしていることには
変わりがないから
(ぼくから見た本作は
美化だなんて
なまやさしいものをも超えて
美そのものが現出した」とすら
思えたよ)

結局のところ
人は誰しも
「好き」の判断基準を
持つ者であれば
「好き」とジャッジした
その時点で
その対象物を
多かれ少なかれ
美化してる
その対象物を
多かれ少なかれ
偏った視点
見ることをしている


そして
言わずもがな
「好き」
同時に
「嫌い」もセットで
産み落とす
んだ
肩を組んで歩く
仲良し同士みたいに
食べれば
食べるほどに
もれなく
体脂肪率もセットで
増加するようにね

つまりこのことは
人は誰しも
「嫌い」の判断基準を
持つ者であれば
「嫌い」とジャッジした
その時点で
その対象物を
多かれ少なかれ
醜化してる
その対象物を
多かれ少なかれ
偏った視点
見ることをしている
そのことを意味する


ある登場人物の一人
こんなことを
七海に語りかけるんだ

「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」

この登場人物が
到達した
この領域こそが
「美化」の境地の
その究極
かもしれない

「幸せだらけ」ということは
その人物にとって
「不幸はないにも等しい」のだから
それはもはや
「不幸の対(幸せ)」ですらなくて
「美」「醜」
ないと言っているのに
等しいことだから

現に
この言葉を発した
この登場人物は
それ以上の先が
もうない

究極の境地を
垣間見てしまった者だからこその
あるひとつの選択を
することになる

けれども
人は人
きみはきみ


美を見る限り
醜は避けられない

で あれば
とことんまで
きみが美化したいものを
美化しまくればいいだけのことさ
岩井監督にも
負けないくらいにね

世界中の
一人一人の
美化できるもの
(他人の価値観を
自分の可能な範囲で
受容できること)

この世界に
少しずつでも
増えていったなら
ぼくらは
増えたその分だけ
「幸せだらけの世界」
確かな足取りで
一歩ずつ近づく
んだ











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「コスモロジー / Cocco(コッコ)」
作詞 Cocco

だから今だけ
聞いていて
あなたへの歌を
だから今だけ
言わないで
"愛してる"なんて
そんな 大きな世界
"愛してる"
今日も 流れ星



Cocco - コスモロジー from Faco Fang on Vimeo.





この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。