いち介護従事者の目をとおして見えて来るものがある世界だよ

川崎で起こった
有料老人施設内での
殺人事件
のこと
みんなは知ってるかな

この一連の報道をとおし
高齢者施設の
介護の現場に
たずさわっている
このブログの管理人
じゃっく
率直に思ったことは

「他人事じゃない」

ということらしいんだ

どういう意味で
他人事ではないのかというと

介護対象者を
ベランダから
投げ落とすことまでは
しないにしても
介護対象者に対し
「怒り」であったり
「憎悪」の念を
抱いたことがある──
という
介護対象者とのあいだに起こる
感情のひずみ

このことは
介護職に
長く携わった者であれば
誰しもが一度は
必ずや
通る道
であることを
介護従事者は
否定できないそうなんだ

人間
ひとりひとりが
千差万別
オンリーワンな
存在であるように

高齢者施設や
高齢者病棟を
頼りにやって来る
様々な高齢者
ひとりひとりが
様々な主観フィルター
様々な人生観
を抱え
そこにプラスアルファ
認知症を抱える者
様々な精神疾患を抱える者
糖尿病に高血圧
体内を蝕む
悪性腫瘍を抱える者
目が見えない者
耳が聞こえない者
歩けない者
立てない者
寝たきりの者
嚥下ができない者
終末期にある者


これだけの個性に
さらに加えて
暴力をふるう者
罵詈雑言を浴びせる者
虚言癖がある者
わがままし放題の者
糞尿をまき散らし
挙げ句にそれを
口に入れる者
だっている

ぼくが言うまでもなく
何の敵意もなく
手がかかることもなく
穏やかで
ものわかりのいい高齢者
だけを
介護するわけじゃないのが
介護従事者の使命だよ

ところがまだまだ
試練は
途絶えることを知らない

介護対象者の家族には
クレーマーがいたりもするし
共同作業で
仕事をする者であれば
誰しもが不可避な
職場の人間関係における
好き嫌いや
合う合わない
その病院や施設の
経営理念や
業務システムとも
折り合いをつけていかなきゃいけない

そしてそして
介護従事者への
とどめの一撃が
給料が安い
てところだったりするのかもしれない

これだけの
攻略すべき
飛び交う試練の数々を
くぐり抜け
マッドマックス的
サバイバルのごとく
手にした「正解」
すぐさま
その手をすり抜け
最善の介護の
その正解

日々変化しつづける
精神鍛錬の
修行場のような仕事
「少なくともぼくにとっては──」
そうじゃっくは言うよ

だからと言って
23歳の
介護従事者がやったことに
じゃっくは
まったく共感ができないんだ
なぜならば
どんなに
介護対象者に
感情的になったとしても
高いところから
人を投げ落とすような真似は
じゃっくには
とてもできないから

この
結局のところ
介護従事者が行った殺人と
介護職の難しさとは
関係がないことを意味し
介護従事者の
歩んできた道のり
23年間の人生の中で
形成されてきた
その思想
その人生哲学が
殺人へと
導いたことが
見えて来る


けれども
自らも
23歳の介護従事者と
同じ肉体を持ち
同じ場所
同じ時代に生まれ育ち
同じ好き嫌い
同じ得手不得手を持ち
同じ人間関係を築き
同じ老人施設で
同じ介護従事者になっていたなら?

そんな
思いを馳せてみれば──

介護従事者がしでかした
今回の悪質な殺人もまた
このブログに
いつも書き記すように
「自分がやっていたかもしれない」
そう
我が身になぞらえることを
じゃっくも ぼくも
抗いようもなく
禁じえないんだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「アラサードリーミン/ Charisma.com(カリスマドットコム)」
作詞 いつか

どうしてかなって思うほど うまくはいかなくて
どうしてかなでわかるほど 簡単じゃなくて
どうしてかなって思うほど うまくはいかなくて
どうかしてるって思うと なんかちょっと楽になる






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「好き」と「嫌い」が織り成すタペストリー(世界)だよ パート3

きみが尊敬する人々を
みまわしてごらんよ
きみが理想とする人々を
みまわしてごらんよ
きみが正しいと思う人々を
みまわしてごらんよ
そして
注意深く
注意深く
その言動に
耳をすましてごらんよ

過去の
偉大な人物たちも
現代の
偉大な人物たちも
どの人も
自分が
先天性と
後天性
のままに
築き上げて来た
好き と 嫌い
その二つの枠の
あいだの中での話をしか
していないことに
「おや」と気がつくはずさ
たとえそれが
「真理」に関する
話だとしてもね

このことは
真理伝達者によっては
もっとも触れてほしくない
究極の問題かもしれない

なんせ
せっかく
自らの
地位と名誉を高め
多くの共感を呼び
場合によっては
商業的にも成功した
おおいなる真理の数々が
実は「いち個人の好き嫌い」という
あまりに あまりに
狭い範疇の中から
生まれ出た真理
であることが
バレてしまっては
誰も見向きも
してくれなくなってしまうから

じゃあ
その伝達者は
ウソツキなのかって?
確かに
そう思った人にとっては
それは
そうならざるをえないよ
そして
そのジャッジを下したものは
伝達者に接した人々の
好き嫌いなんだ

それでも
その伝達者は
真理を言ってるとしか
思えないって?
確かに
そう思った人にとっては
それは
そうならざるをえないよ
そして
そのジャッジを下したものは
伝達者に接した人々の
好き嫌いなんだ

どんなに
筋道立てた
ロジックのもとに
述べられた言葉だろうと
判断した正否だろうと
肉体を超越した
高次元から
述べられた言葉だろうと
判断した正否だろうと
一人の人間の口から
アウトプットされている以上
一人の人間に
フィルタリングをかける
好き嫌い
超絶的磁力の前には
どんな超人だろうと
まったく歯が立たない

誰しもが
先天性と
後天性のままに
正しい(好き)と信じるもの
間違い(嫌い)と信じるもの

その両翼を
育てさせられ
つづけているし
変化させられ
つづけている

その両翼は
みんなが一番
よくわかっているように
どう足掻こうとも
決して
切り離すことはできないよ
焼き払うこともできないよ
だからね
きみが
真理(好き)と信じるもの
真理ではない(嫌い)と信じるもの

それらもまた
切り離せるはずもない
んだ

人間
この世界
好き 嫌い
暑い 寒い
うれしい かなしい
ポジティブ ネガティブ
上がる 下がる
過去 未来
発酵 腐敗
高い 低い
長い 短い
早い 遅い
硬い 柔い
優 劣
生 死
光 闇

あらゆる両翼の
多様な織り成しによって
成り立っているということ
そのことそれ自体が
すでに
真理でしかない

…っていうね
これまた
ぼくといういち人間の
「いち個人の好き嫌い」の話を
したまでのことさ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「SHIKIBU feat. 阿波の踊り子(チャットモンチー) / レキシ」
作詞 池田貴史

離れそうなほど 絡む指先
今こころが 乱れそめにし
燃えて咲く花 色は紫
今この世は 乱れそめにし






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勝手なカラダがなんでも知っている世界だよ

ウイルスに
侵入されると
頼んでもいないのに
勝手に体温が上がるのは
ウイルスが
熱に弱いことを
カラダが知っているから

流血すると
頼んでもいないのに
勝手に患部が
凝固するのは
凝固させることが
治癒までの最善策であることを
カラダが知っているから

食べすぎれば
胃腸が重くなり
頼んでもいないのに
勝手に
運動能力
思考能力が
鈍重になるのは
全身の血液を
消化活動へと
駆り出さなければ
食物を処理できないこと
同時にその作業が
身体的
能力的不快となり
きみが際限なく
食べつづけることの
ストッパーとなることを
カラダが知っているから

頼んでもいないのに
勝手に
触れたい衝動が
ほとばしり
セックスをしたい衝動が
ほとばしり
エクスタシーが
駆け抜ける仕掛けがあるのは
そうでなければ
誰もセックスなどしないこと
生命のリレーが
途切れてしまうことはもちろん
まぐわいを介して
得られる体験
まぐわいから
距離を置いてみてこそ
得られる体験があることを
カラダが知っているから

かなしいときや
うれしいときに
頼んでもいないのに
勝手に
涙が出るのは
涙を出してやらないと
その人の
かなしさ
うれしさが
自らにも 
他者にも
伝わりにくいことを
カラダが知っているから

肉体が
頼んでもいないのに
勝手に
成長してゆくのは
成長してゆく過程の中でしか
体験できないことがあることを
カラダが知っているから

肉体が
頼んでもいないのに
勝手に
おとろえゆくのは
おとろえゆく過程の中でしか
体験できないことがあることを
カラダが知っているから

不治の病が
頼んでもいないのに
勝手に
ある日突然に
時限装置であるかのように
発症を開始するのは
死を面前に
突きつけられなければ
体験できないことがあることを
カラダが知っているから

落ち込んでいるとき
やるせないとき
頼んでもいないのに
勝手に
カラダも歩調を合わせ
うなだれ
ため息をつき
一緒に落ち込んでくれるのは
人がパンのみにて
生きているわけではないことを
カラダがきみに
教えてあげたい
から









今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ラストシーン / 石野卓球 feat 七尾旅人」
作詞 七尾旅人
作曲 石野卓球&七尾旅人

ろれつまわらないし
最後のエクスタシー
ダンスでラストシーン






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「縁仏」だけしかない世界だよ

「無縁仏」 
この言葉ほど
違和感を禁じえない
言葉も珍しい

だってね
自分以外の
なにかと
無縁である仏だなんて
この世界には
ただのひとつも
存在しないから


 と 
この世界において
確かなものは
たったのそれだけ

きみは
疑いの余地なく
仏さ
ぼくも
疑いの余地なく
仏さ
あの人も
疑いの余地なく
仏さ
あの樹も
疑いの余地なく
仏さ
あの鳥も
疑いの余地なく
仏さ
あの虫も
疑いの余地なく
仏さ
あの池も
疑いの余地なく
仏さ
あの石も
疑いの余地なく
仏さ
あの風も
疑いの余地なく
仏さ
このこころも
そのこころも
あのこころも
疑いの余地なく
仏さ


すべての仏の
大縁劇場

すべての仏の
クロックワーク

ぜんまいじかけの
永遠なる
無限なる
愛すべき玩具
それこそが
世界









今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Clockwork / Perfume(パフューム)」
作詞 中田ヤスタカ

Wah Wah Wah 歯車が
Wah Wah Wah 噛み合う
Wah Wah Wah このままで
Wah Wah Wah 止まらないで






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「真っ白なキャンバス」は存在しない世界だよ

大企業の重役の
いかにも立派そうな大人が
こんなことを言っているのを
耳にしたんだ

「さあ
きみたちの目の前に
広がっているものは
真っ白なキャンバスだ
きみの理想とする未来
きみの内に秘めた希望を
とことんまで描きなさい」


けれどもね
絵を描く人
文字を書く人にとっての
真っ白なキャンバスはあっても
人生を生きる人にとっての
真っ白なキャンバス

それはまた話が別

なぜならば
人生というキャンバスが
真っ白
あるいは
無色透明であることなんて
どう逆立ちしても
ありえないことだから──



きみが誕生し
世界と
自分とを
別々のものとして
認識した
そのときから
世界が世界として
すでにそこにそうあった
ように

人生を生きる人にとっての
おのおの
目の前に広がる
そのキャンバスは
最初の最初から
たくさんの線と線とが
緻密に
鮮やかに
入り組んでいて
たくさんの色と色とが
大胆に
彩豊かに
広がっていて──


そして
おのおのが
認識する
その世界は
どれひとつとして
コピー機で増刷したものはなく
型押しで量産されたものはなく──


ひとつひとつが
最初の最初から
非の打ち所なく
完成された
ひとつの絵画作品(いち人生)

一人の人だけの
オリジナルの絵画作品が
きみにも
隣のその人にも
遠く離れたあの人にも
ひとりひとりに
最初の最初から
用意されているんだ

けれども
いち個人に
与えられし
その絵の
その全貌は
すべてのキャンバスに
もれなく仕掛けられた
「時間」という
画期的なシステムによって
おのおのが
最期のときまで
生きてみないことには
わかることが
決してできないように
ぬかりなく
見落とすことなく
完璧に
誰しもが導かれてゆく


だからね
大人が何を
きみに言おうと
あいつが何を
きみに言おうと──

きみが手にした
きみだけのその
キャンバスに描かれた絵は
誰にも
描き換えることは
できない
誰にも
塗りつぶすことも
できない


きみは
きみの
思う存分に
きみの
理想とする未来
きみの
秘めたる希望を
きみのキャンバスが
灰になるまで
燃やし尽くせばいい
んだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「大人になったら / GLIM SPANKY(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が
上手に世間を渡っていくけど
聴こえているかい この世の全ては
大人になったら解るのかい






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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。