いち介護従事者の目をとおして見えて来るものがある世界だよ パート2

介護施設では
色とりどりの顔ぶれ
蓄積された年輪(体験)
感じさせる老人たちで
あふれていて

スタッフに
愛される老人がいれば
スタッフに
忌避される老人もいるよ

スタッフも人間だからね
表面的には
どんなにそれを隠せても
自分にウソはつけない

けれどもそれは
風見鶏の向きが
気まぐれに変わるように
好き
嫌いになったり
嫌い
気になるになったり
気になる
無関心になったりも
することも

たとえば
こんな老人がいるんだ

数年前は
暴れまわり
暴言を吐き
脱走を企てたりと
誰の手にも負えず
家族からも
スタッフからも
忌み嫌われていた
そんな老人

けれども老人は
今となっては
ほとんど動くこともなく
穏やかな表情を浮かべ
透き通った目で
こちらを見つめ
荘厳な樹木のような
鎮まりと平穏を
ぼくに与えてくれる


数年前のその
老人の姿をしか
知らなかったなら
ぼくはその老人から
鎮まりと平穏を
享受することは
なかったにちがいない
そして
ぼくの記憶には
手に負えない老人の姿だけが
最期のときを迎える
その日まで
焼き付いたまま──


このことは
スタッフから見た
老人に限らず
老人から見た
スタッフにも
同じことが言えるし
老人ホームに限らず
誰しもの実人生が
そう
なんだ

きみが好意を抱く
あの人を
きみが好きなのは
変化しつづけるきみの
そのときの
「好き」の価値基準と
あの人の
容姿や振る舞い
発言や行動が
たまたま一致しただけのこと
スロットで
同じ数がそろったときのようにね

きみが嫌悪を抱く
あの人を
きみが嫌いなのは
変化しつづけるきみの
そのときの
「嫌い」の価値基準と
あの人の
容姿や振る舞い
発言や行動が
たまたま一致しただけのこと
ビンゴゲームで
一列がそろったときのようにね


結局ぼくらは
目の前のその人の
多角的側面からなる
誕生から
心肺停止までの
その長い人生の中の
ほんのいち側面をしか
知ることができない

わかった気でいる
家族のことですらも
知らないことが
まだまだたくさんあることに
気がつくはずさ


生きる
とか
体験する
って
天文学的規模の縁による
一致の連続

この「縁起」
「演技」してるものこそが

そう呼ばれるものだったり

そう呼ばれるものの
正体

神が創り
神が演じる
命が創り
命が演じる
時間と空間と
意識と肉体との
狭間での
「一致の連続体」
その
形なき形こそが
何を隠そう
ぼく という存在
そして
きみ という存在

こころ は
きみ でも
ぼく でも
誰のものでもない
誰のものでもない
んだ











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Loud Places / Jamie xx」

I feel music in your heights
I have never reached such heights
You’re in ecstasy without me
When you come down
I won’t be around
あなたの高さで音楽を感じる
そんな高さに届いたことはなかった
あなたはあたしなしでもエクスタシーを感じて
あなたがやってきたときには
あたしはもういない






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

神が創ったアトラクションに、神自ら遊びにやって来た世界だよ

この世は
一種の
遊園地

が創った
アトラクション
神自ら
遊んでいる
んだ

このアトラクション
別名は
縁起

乗り物になるものは
宇宙の星々や
時間や空間
あらゆる植物や
花や
流れる雲や 
風や
魚貝類や
昆虫なんかもあるし
ウン億光年かけても
乗り切れないほどに
いろいろあるんだけれど
いま一番の流行りは
人間らしい

きみが
あの子の
手を握ったことも
いい匂いがしたことも
神がそれを
体験しただけ
なんだ

きみが
あいつを
殴ったことも
そしたら
自分のこころも
痛かったことも
神がそれを
体験しただけ
なんだ

きみが
石につまずき
転んだことも
泥をほろげ
立ち上がったことも
神がそれを
体験しただけ
なんだ

きみが
流した
悔し涙も
うれし涙も
神がそれを
体験しただけ
なんだ

きみが
夢見る
理想も
ときたまうずく
心の傷も
神がそれを
体験しただけ
なんだ

すべては
アトラクションの仕業
すべては
遊び
すべては
ある意味
ギャグでしかない











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ギャグ / 星野源」
作詞 星野源

馬鹿みたいだろ 
ただ笑うだろう
目の前を嘘と知って
誰かが作る 偽の心を
腹の底から信じて






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

東日本大震災が教えてくれたふしぎ発見だよ

何故にぼくは
福島の街に誕生し
何故にぼくは
宮城の街で
青春時代を謳歌したのか
3月11日の日を
迎えるそのたびに
そのことを思うんだ

津波の破壊力は
目に見えるものすべてを
ことごとくなぎ倒すにとどまらず
禁断の大事故を
引き起こすのと同時に
目には見えないもの
人と人との繋がりまでをも
ことごとく断裂していき

その土地その土地に
住まう者たちの
それまでの
あたりまえの生活
それまでの
あたりまえの人間関係
それまでの
あたりまえの幸福
汗水を流し
夢見た理想
しずかにあたため
守りつがれてきた希望

それらのものは
粉々に打ち砕かれ
誰しもの人生観は
一変したよ

ぼくは
現実と向き合うための
その強さを得るための手段として
それまではあまり
熱心に読んだことがなかった
精神世界だったり
スピリチュアルだったり
オカルトといった類の本を
たんたんと読み漁るようになり
あげくには
こんなブログを
始めることになり──
いま
こうして
震災のことを書き記してる

「ぼくの生まれた故郷や
ぼくが歩いた街が
こんなことにならなかったなら
いまぼくは
こんなブログを
書くことはなかったかもしれない」


表向きは
そう思う自分がいるし
それもひとつの真実
けれども
その一方で
リアル人生ゲームの
その本質を見つめる
鎮まりの中の自分

こうささやくんだ

「このぼくが
この世に降り立つことも
福島と宮城を
生きる運命にあったことも
今まで出会った人々も
そのときどきで
理想となるものも
その経験の中で
養われてゆくものも
失われてゆくものも
2011年3月11日に
世界を揺るがす
大きな試練が
待ち受けていることも──
その何もかもが
時空を超えて
パーフェクトに
準備されていること

そして
これから先も
予め準備されている
順路のままに
己の道(体験)
あるがままに進んでゆく
それだけのこと」


そしてそれは
ぼくだけに限らず──

大きな試練の
その反動に
突き動かされるように
たくさんの人々が
魂の叫びを
この世界へと
解き放ったんだ
「私は」
「ぼくは」
「ここにいるぞ!」
ってね


その結果
断裂された
人間関係があるその一方で
新たに接続された
人間関係だってある

なあに
その点に関しては
形はちがえど
それまでの世界と一緒
なんら変わらないさ
そうでしょう?


破壊され
踏みにじられた
その人々だからこそ
立ち上がるための余白
自分でも思いもよらぬ大胆さ
生への起爆
それが生まれえるし
破壊されたものを
新たに構築するための
五感をも超えた
それ以上の感覚をも
最大限に駆使した
限りなき工夫の余地
生きる喜び

享受することができる


不謹慎だと
言われようと
安全圏にいるから
言えることだと
批判を受けようと
ぼくは
ぼくが書きたいことを
書き記すまでのことさ

希望に飢え
立ち上がることもできず
絶望に飲み込まれそうな
そんな人々の
喉の渇きを
一撃で潤すような
一滴の言葉よ
届け












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「K.U.F.U / RHYMESTER(ライムスター)」

KとUとFとU わりとフツーに言うと「工夫」と言う
その美徳はまさに人間固有 
偉大な歴史的モニュメント級
例えば ご先祖たちの探求に一個付け足す独自のブランニュー
とかく侮りがちなミーとユーとユーとユーたちに喝入れる直球
最初はほんのちょっとしたチェンジ 
だが未来にとっちゃ大事なチャレンジ






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

一兎の答えを掴んだつもりが二兎の答えを掴まされる世界だよ

きみが
掴み取った
あらゆる「答え」
掴み取ったと同時に
二極化されてゆく

時の脈流にのって
樹々の枝先が
天に向かって
分かれ道を
形成してゆくように
どこまでも
どこまでも
二極化されてゆく

原発賛成派と
原発反対派に
二極化していくように

軍備拡大派と
軍備縮小派に
二極化していくように

好きであるはずの人が
嫌いに思えることが
起こりうる
ように

嫌いであるはずの人にも
好きに思える部分が
見つかることがある
ように

テストの問題の
答えの話じゃない
人生においての
答えの話


なになに
きみは原発賛成派でも
反対派でもないの?

ところが
そんなきみは
賛成派でも反対派でもないこと
そのことを選択したことによって
賛成派でも反対派でもあること
同時にそのことも
産み落としてしまっていることに
気がつくだろうか

なになに
きみは軍備拡大派でも
軍備縮小派でもあるの?

ところが
そんなきみは
一見すると
二極間の中間地点にいるように見えて
必ずやわずかでも
どちらかに寄ってる

そしてそれは ときに
二極間のその中で
あっちへこっちへ
ゆれ動く
ことだってあるよ

なになに
きみは原発問題も
世界規模のあらゆる争いごとも
どうだっていいの?

ところが
そんなきみは
同時に
どうでもよくないものを
その内に秘めている
んだ

この世に
真理なんてものは
存在しない
だって?

けれども
この世は
真理だけしかない
そんな世界でもある
んだ

この世に
絶対なんてものは
存在しない
だって?

けれども
この世は
絶対だけしかない
そんな世界でもある
んだ

この世は
どう足掻こうとも
一兎を掴んだつもりが
二兎を掴まされる世界


なぜならば
この世界は
あらゆる二つの
相反するものが
織り成すことによって
成立している世界
だから

それが
この世界における
リアル人生ゲームの
ルールであり
そして
醍醐味となるものさ

そりゃあ
唯一無二の何かになんて
辿り着けるはずもない


ところが
この答えは
「唯一無二の何かになんて
辿り着けないはずがない」

という答えをも
同時に
産み落とすことに──

きみは
どちらがお好み?

さてさて
今日もまた
二兎を追わされるとわかっていながら
世界に戯れるとしようか









今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Go Do / Jónsi(ヨンシー)」
Go do, you'll learn to
Just let yourself, fall into landslide
Go do, you'll learn to
Just let yourself, give into low tide
Go do
やればいいさ、きみはわかっているはず
滑り落ちるように、自分自身を解き放つんだ
やればいいさ、きみはわかっているはず
潮の流れに身を任せるように、自分自身を解き放つんだ
やればいいさ






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート8(V8)

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※ブイエイ!ブイエイ!ブイエイ!
「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見のV8達成だよ!
そして、第88回アカデミー賞最多6部門受賞おめでとう!


mad-max-george-miller_convert_20160229232322.jpg


パート8(V8)を銘打った今回は
パート7でのふしぎ発見を
もう少し掘り下げてみる試みであるとともに
「マッドマックス 怒りのデスロード」
この映画が完成するまでの
その経緯
そして
監督ジョージ・ミラー
関わったキャスト
関わったスタッフ
から
学ぶべきふしぎ発見を
ここに書き記さずには
いられなかったからなんだ

前回のパート7では──
映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート7
ジョージ・ミラーの
この重要発言

「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」


この言葉が帯びる
普遍性
作品における
ストーリー上の必然のみには
まったくとどまらないことを
シャリーズ・セロンを例に見て
書き記していったんだけれども
このこともまた
シャリーズ・セロンのことだけには
まったくとどまらないんだ

1998年
ジョージ・ミラーは
本作の着想を得ることになり
2001年にクランクインしたはずだった
「マッドマックス 怒りのデスロード」
シリーズ前3作品主演の
メル・ギブソン
同じく主演を務める予定だったんだけれども
世界同時多発テロの影響で
米ドルの価値が暴落
米ドルで調達した製作費を
豪ドルで支払っていたがために
製作費は膨れ上がり
やむをえず断念

再び
2003年に
撮影は再開されるに見えた
かと思いきや
イラク戦争が勃発したことによる
世界情勢の暗い雲行きの
その只中に巻き込まれ
オーストラリアに
大量の撮影機材を
持ち込むことが難しくなり
豪ドルの高騰も相まって
やむをえず断念

仕方なくジョージ・ミラーは
フルCGアニメーション
ハッピーフィートの制作に
その労力と歳月を費やすよ
この子供向け映画の制作は
マッドマックス制作資金を
たくわえる意味が
あったのかもしれないね
なんせ
ほとんどが
資金不足によって
つまずいてきたから
happy-feet-DVDcover.jpg

満を持して
ようやく
「マッドマックスが撮れるぞ!」という
その段階になって
今度はお金ではなく
人でのトラブルが勃発
主役のメル・ギブソンが
プライベートにおいて
様々なトラブルやスキャンダルを
起こしてしまったがために
再び撮影を断念

旧シリーズファンのあいだでは
もはや撮影は
絶望的なのではないかと
囁かれはじめていた
そんな最中
さらに時は過ぎてゆき
メル・ギブソンは年をとり
ジョージ・ミラーは
70歳を目前にしていたよ

ジョージミラーは
とうとう
メル・ギブソンの起用を
断念する決意をし
頭を切り替えたんだ

「新たなマックスで挑もう」ってね

ところが今度は
新マックスとして
白羽の矢が立っていた
ヒース・レジャーが急逝し
キャスティングが難航
そうしてようやく2009年
新たなマックス役に
トム・ハーディの起用が決定し
2011年
オーストラリアの広大な砂漠で
もはや何度目の正直かわからない
撮影を開始する予定だった
新生マッドマックスだったんだけれども
撮影直前になって
雨がまったく降らないはずの
撮影地において
雨が降り
植物が芽を出し
地獄のように荒廃した
ディストピア(ユートピアの対義語)世界では
なくなってしまった撮影地
それでもなお 
めげることなく
撮影地をアフリカ・ナミビアに変更し
ようやく
悲願の撮影再開が叶った
マッドマックス怒りのデスロード

ふりかえれば
マッドマックスシリーズ三作目の
前作から
30年もの月日を
経ることになってしまっていて──
けれどもその
不遇の長い月日がもたらした
プラス要素

あまりに大きかったんだ

たとえば
イモータン・ジョーの配下
戦闘集団ウォーボーイズ

身体中に描かれた
スカリフィケーション
(身体に切れ込みや焼き込みを行った際にできる
ケロイドを利用して描く文様)

これは順当な予定では
タトゥーで行う予定だったんだけれども
長い月日を経て
誰しもファッション感覚で
タトゥーを入れる時代を
迎えてしまったからこそ
タトゥーを使用することが
そぐわなくなり
スカリフィケーションという
マッドマックスの
ディストピアな世界観にふさわしい
ボディアートは誕生したよ
fc2blog_2016030200382332c.jpg

マッドマックスはもちろんのこと
バスター・キートン
シルヴェスター・スタローン
ジャッキー・チェンをはじめ
かつては
体を張った
生身のアクション
こそが
アクション映画の醍醐味だった
そんな時代があったんだけれども
1999年
映画「マトリックス」が公開された
そのくらいの頃から
VFX技術を駆使した
CGアクションがもてはやされるようになり
生身のアクションは
どこか古臭いとされる
そんな時代を迎えることになるんだ

そのタイミングで
マッドマックスが
予定通り2001年に
クランクインしなくて
本当によかったと思うよ
なぜなら
さらなる長い歳月の中で
VFX技術というものが
大衆に消費されすぎたがために
CGアクションはマンネリ化し
大衆は
CGアクションに
飽き始めていた
から

そういうタイミングだからこそ
生身のアクションにこだわる
ジョージミラーの神髄は
観客たちのその肉眼に
最高鮮度の状態で
焼き付けられることになり──

同時に
長い年月を経たことによって
進化したVFX技術は
ジョージミラーがイメージする
再現不可能だったはずのヴィジュアル
再現不可能だったはずのアクションを
補完する役割を担う
ベストな状態にあったがために
原初的生身のアクションがもたらす
血沸き肉躍る衝動や高鳴りと
超最先端のVFX技術とが
手と手を取り合い
この映画に奇跡を起こした
んだ

さて
もう一度前回の記事を
思い出してみて

車という移動手段と
切り離せない
生活圏に育ち
交通事故によって
運ばれてくる
たくさんの負傷者を
救命医療の医師として
治療する日々を送り
映画撮影の
その機会を迎えた
そのとき
大きな資金提供など
なかったからこそ
ロケ地を僻地に設定し
「荒廃した近未来世界という
舞台設定は生まれ──

それは
今回の
マッドマックス4作目にまで
繋がってゆき
核戦争によって
文明が滅びた世界設定が
残された廃材や
限られた資源の中で
生き残った人々は
どういった車やバイクを創造するのか
どういった服装や小道具を創造するのか
どういった人々が暮らしを送り
どういったコミュニティーを形成し
どういった喋り方や眼差しをし
どういった人生哲学を創造するのか──

一見すると限られた
不自由な舞台設定の
その必然性の元に
最善の智慧が
導き出されてゆく
んだ
美術賞を受賞した
コリン・ギブソン


こう言うようにね
「不自由な分、よりクリエイティブなソリューションをひねり出すことができるんだ。」
そして
ジョージ・ミラーが
こう言うように
「不毛の荒野にあってさえ、人は美しいものをつくる」

本が存在しない世界だからこそ
世界の歴史と言葉を
その肉体に刻み 保存する
生きる歴史の教科書
ミス・ギディのキャラクターは生まれ──
Miss_Giddy_convert_20160301152311.jpg

武力と生命力と
生きるための利己性に
徹することだけがものをいう
健全な精神が
存在しない世界だからこそ
幼い頃に母親を殺され
誘拐されたフュリオサ
幽閉され
奴隷のように扱われながらも
たくましく
そして
人間らしく生き延びれるだけの
健全な精神や思想を
幼いフュリオサに
教え諭し
わずかに残された植物の種(希望)
庇護しながら旅する
鉄馬の女たちのキャラクターは生まれ──
CK9ndTgUkAA7nss_convert_20160301152835.jpg

アクション映画を
一種の視覚的音楽と捉え
「すばらしい音楽が聴き手にどんな効果をもたらすかを考えてみるといい。どんな気分でいる時でも、その音楽を通して聴き手は自分の殻を破り、その殻を破ったという経験をしたことによってそれまでいたのとは違う場所に出てくる。私たちは、これらの映画でそれを成し遂げようとしているんだ」
そう豪語する
ジョージ・ミラーが指名した
聴覚的サウンドデザインを担い
奇しくも
オリジナル作曲賞にノミネートされなかった
(ぼくにとってこのことは
シャーリーズ・セロンが
主演女優賞にノミネートされなかったことと同様
審査員の耳を疑いたくなったほどだよ)
トム・ホルケンボルフ(ジャンキーXL)
junkie_xl_convert_20160302001350.jpg

録音賞を受賞した
グレッグ・ラドロフ、ベン・オズモ、クリス・ジェンキンスの三人や


音響編集賞を受賞し
こんな素敵なスピーチを残した二人


「何千年もの間、人は暗闇の中、かがり火や映写機の光の下で物語を語り継いできました。デイヴと私は音で語ります。ジョージ・ミラーは『マッドマックスは耳で観る映画だ』と言いました。この作品ほど音で語る映画は他にない。音響家は語り手です。」
マーク・マンジーニデイヴィッド・ホワイトの才能は
その恵まれた大きなチャンスの中で
個人個人の能力を超えて
最大限に引き出され──

衣装デザイン賞の
ジェニー・ビーヴァン


メイク・ヘアスタイリング賞の
レスリー・ヴァンダーヴォルト、ダミアン・マーティン、エルカ・ウォーデガ


おのおのの力も
最大限に引き出され──

そしてそして
ジョージ・ミラーの妻である
編集賞受賞の
マーガレット・シクセル


全部で480時間!も撮影された
規格外の膨大なフィルムを
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として…
2時間の映画にまとめるという
ちょっとめまいがしてくるような
苦行を成し遂げているよ
(当人は
ジョージ・ミラーの役に立てて
とてもうれしかったのかもしれないけれどね)
ジョージ・ミラーは
ここまで理解のある奥さんがいて
本当に幸せ者だね

作品を支える
これだけの立役者がいて
ここには書ききれなかった
立役者もたくさんいて
新作を待ち望む
たくさんのファンがいて
ひいては──
核戦争を生き延び
独りで生きるだけの
知恵とスキルを持ち合わせた
主人公マックス
それまでの経験上から
この悪夢のような世界において
誰かと心を通わせるということが
悲しみや絶望しか
生まないものであること

という
信念や思い込み
マックスの内に刻まれた
過去の深い傷

フュリオサや
それを取り巻く者たちが
ぶち破り
人としての尊厳
人として最も大切なものを
主人公マックスや
それを取り巻く者たちが
取り戻す
という
この究極の愛の物語
誕生することになるよ

映画の枠を超えた
ありとあらゆる人生や能力を持った人材
ありとあらゆる出会いや物語が
この映画へと帰結し
そして再び
未来へと繋がっていくことを
感じてもらえたなら幸いさ
なんせこのことは
「マッドマックス 怒りのデスロード」に限らず
きみの実人生そのものが
一本の映画が完成する過程と
同じものである
ことを
意味してるから


ある日突然に
カーアクションによる
リアル鬼ごっこを思いつき
これだけ多くの
人や物や
それ以外のものをも巻き込んだ
ジョージ・ミラーが発した
「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」

この言葉が帯びる
普遍性を
より掘り下げて言い表すならば
この世界に
生まれて来たもの
いままさに
生まれつづけているもの
これから先に
生まれゆくもの
それらすべてのものは
「人生上の必然から
生まれて来たもの」

ということになるよ


だったらもう
振り返る必要性なんてない
振り返ったところで
この世界(ストーリー)が
必然であること

覆ることは決してないから
畏れはしても
無駄に恐れる必要性はなくて
きみは
きみが求める
光へ向かって
走りつづけるのみ
なんだ

george-miller-mad-max-fury-road-1_convert_20160229234358.jpg











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「リアル鬼ごっこ / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

生き急ぐとき 誰もがいま美しい
命短し 走れよ乙女よ
どこへ逃げても 追いかけて来る影を
振り返らずに 光へ進めよ






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

ワンクリックいただけると励みになります。
最新投稿
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
どみどりな応援者
RSSリンクの表示
QRコード
QR
やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。