「みうらじゅん」さんが教えてくれたふしぎ発見!だよ

かつてじゃっくが
迸る下心のままに
出会い系サイトばかりを眺めていた頃
直接会うにまで至った
知的好奇心あふれるお姉さんが
大ファンだったのが
みうらじゅんさんだったんだって

みうらじゅんさんのことなんて
な~んにも知らないじゃっくは
若かりし下心を達成せんがために
ちいとも
その良さや面白さがわからない
どこを切り取っても
怪しいし胡散臭い
みうらじゅんさんを
どうにかこうにか
わかろうとしたんだけれども
結局よくわからなかったし
お姉さんの知的好奇心を
満たすことができず
下心が達成されることもなく
じゃっくは撃沈したよ

そんなじゃっくが
結局何をしてるのかも
結局何がしたいのかも
よくわからない人
みうらじゅんさんの
その本質を開眼した
その言葉が
これ

「そこがいいんじゃない!」

誰しもに
必然的に
その身に
埋め込まれた
主観読み取り機能
バーコードリーダーのように

ピッ
学校なんて「大キライ」

ピッ
「つまらない」映画を観てしまった

ピッ
彼氏のファッションが「ダサイ」

ピッ
金欠で「苦しい」

ネガティブな解釈で
リーディングする
主観読み取り機能を
反転させる力が
この言葉には
秘められていて


「欠点が2倍プラスで戻ってくる呪文」であると
みうらじゅんさんは
話しているんだ

それもそのはず

学校なんて「大キライ」に
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
嫌いな学校も
少しおおらかな気持ちで
見ることができるかもしれない

「つまらない」映画を観たときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
「つまらないこと」が
その映画の「良さ」となり
その人の映画観や
その人の人生観に
新たな奥ゆきが生まれるかもしれない

彼氏のファッションが
「ダサイ」ときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
ひょっとしたら
そのダサさこそが逆に
彼氏の魅力となるかもしれない

金欠で「苦しい」ときに
「そこがいいんじゃない!」
すかさず割り込めば
お金がない苦しさを
どうにか笑い飛ばせるかもしれない


このように
あらゆる欠点要素を
うっちゃりのごとく
肯定してしまうのだから
まさに2倍プラス
なんだか
ものすごく得した気分

もらってもちっともうれしくない
土産物を
日本全国集めてまわり
「いやげもの」と名付け
ブームに仕立て上げ
誰も見向きもしなかった
津々浦々の
ゆるいキャラクターを
日本全国取材してまわり
「ゆるキャラ」と名付け
これまたブームに仕立て上げた
みうらじゅんさんが
流行らせた造語や概念すべてを
ここに書き記すことは
蛇足だからしないけれども

多くの人々の意識を
大きく扇動していき
ひいては
「なかったはずの仕事」を
「ある仕事」
ことごとく
変えてしまうエネルギーーは
「そこがいいんじゃない!」なくして
生まれえなかった

ぼくは思うよ

そしてまた
この「そこがいいんじゃない!」
その人の「豊かさ」を測る
バロメーターとしても
活用することができるんだ

なんせ
この反転技は
「豊かさ」それのみを
原動力とするから

「そこがいいんじゃない!」では
済まされない問題

遭遇してしまった
その段階が
現時点での
その人の
豊かさの限界


けれども
安心して

実を言えば
[豊かさ]の不足
イコール
「貧しさ」

この「貧しさ」もまた
「豊かさ」
の中の大切な仲間さ


つまりは
この世界には
「豊かさ」以外に
何もないってわけ

みうらじゅんさんは
いつだって
その抜群の造語センス
飽くなき「豊かさ」への情熱でもって
「豊かさ」は
そここにあるんだよ
ってことを
体現してくれるんだ





















今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「君は千手観音 / みうらじゅん with 人間椅子」
作詞 みうらじゅん

暗いお堂に一人立ち
極楽浄土のサウンドで踊る
観音!
千手千顔戦慄の
蓮華世界をパノラマで映す
観音!






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他人の不幸を他人事に処理できることもまた「豊かさ」な世界だよ

家族や
大切な人のことなら
いざ知らず
他人の不幸を
24時間
いつでもどこでも
我が身に置き換えて
考え続けている
そんな人間なんて
いるはずもなくて

みんなみんな
大なり小なり
我が身に置き換えること
他人事に処理することとの
そのあいだを
行き来しているよ
そうやって
無意識に
おのおのにふさわしい
バランスを保っているよ

仮にもし
人から
他人の不幸を
他人事に思える時間が
奪われてしまったなら
人々からは
物事の
冷静な判断
素直な解釈が
奪われてしまうし
気が病むか
気が狂ってしまう
んだ

離れて見たり
近づいて見たり
角度を変えて見たりしてこそ
物事の本質は
見えて来る
んだもの

我が身に置き換えたり
他人事に処理したり
震災とはまったく
関係がない何かと
接してみてこそ──
震災の本質は
見えて来る
のかもしれないよ

そして
そうして
見えて来たそれは
きみが享受した
きみだけの
世界にたったひとつの
オリジナルの発見であり
オリジナルの体験


ぼくはそれを
「豊かさ」と呼ぶよ

豊かさとは
手に入れるものなんかじゃなく
奪い取るものでもなく
誰しもが最初から
手にしているものだし
最期のときまで
うしなわれることのない
永久不滅の
宝物なんだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「エルビス(仮) / ザ・クロマニヨンズ」
作詞 真島昌利

価値のわからない
手から手へわたり
ホカリをかぶっている
宝物
今だけ
今だけ
今だけ
今だけ






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「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当? パート2

認知症病棟や
介護施設などにおいて
よく見られる光景のひとつに
助けを求めていたり
質問する高齢者を
愛想笑いでかわす
あるいは
素通りする
職員やスタッフ

というものがあるんだけれども

何もこれは
その病棟や施設の
職員やスタッフが
冷たいわけじゃなく
その高齢者が
脳機能の障害として
同じ話を
何度も何度も
何度も何度も
反復してしまうがために
まるでオオカミ少年のように
その高齢者の訴えの
その緊急性は失われ
優先順位として
後回しにされていたり

あるいは
施設内で
業務にあたっている
人数だったり
遂行しなければならない
業務だったり
転倒するリスクや
不穏に陥るリスクが高い
他の高齢者のことなども
見定めながら
優先順位を見い出した結果
そうせざるをえなかっただけ

けれどもいきなり
その現場に遭遇した
まったく事情を知らない
「第三者」
その光景を目撃したなら
「なんてとこだここは!」
「責任者は何をやってるんだ!」

そう思ったとしても
仕方がないことだよね

あるいは
実際に職員に
問題がある場合もあるし
たまたまそのとき
その職員は
心理的
身体的不調を
きたしていたのかもしれない

「第三者」とは
メディアや
人から聞いた情報を
自らの
都合や好みや
偏見を経由し
その物事や
その出来事を
判断する時の
ぼくたち自身のこと


メディアはきみを
過剰に
過激に
刺激するだろうよ
危機意識を煽るだろうよ
視聴率をあげるために
より多くの広告料を得るために
そして
他人の不幸を
他人事に思うことが
まるで悪であるかのように
メディアが勝手に作り上げた
清廉なイメージの人物が
不倫や違法薬物をすれば
やり玉にあげ
憎悪や憤怒の念を
沸き立てなければ
いけないかのように
きみの知らぬ間に
きみの思考回路に潜り込み
きみの常識
きみの価値基準を
敷設していくんだ

メディアに限らないよ
学校教育だってそう
きみを取り巻く
周囲の人々だってそうさ
その人々は
その人々の偏見や
その人々の思い込みを
きみに
押し売りするだろうよ
きみに
同意を求めるだろうよ
その人の正当化を
手伝わせるために
その人の自尊心を
満たさんがために


いかなる情報媒体の
いかなる情報だろうと
いかなる立派な人物の
いかなるありがたい話だろうと
そのどれもが
いち個人による
いち個人が解釈した
ひとつの物語にすぎないし


お時間ある方はパート1のほうもぜひ↓
「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当?

どの物語もが
何億人束になっても
目に見える出来事や
目に見える史実の
真なる正解を確認することは
永久に不可能な
この世界における
微細ないちシーンを
いち個人の
都合や好みや
偏見フィルターによって
ピックアップしたものにすぎない


だからこそ
釈迦
こう云ったんだ

聞いたからとて信じることなかれ
語り継がれたこととて信じることなかれ
人々が噂をしていたからとて信じることなかれ
教本に引用されていたとて信じることなかれ
論理だけで信じることなかれ
推論だけで信じることなかれ
様相だけで信じることなかれ
自分の見方に一致するからとて信じることなかれ
説者が堪能とて信じることなかれ
師なりとて信じることなかれ



釈迦の教えでさえも
安易に信じちゃいけないんだぜ
って

教祖の教えを
信じることが
宗教の大前提
であるはずなのに
「自分の教えも
安易に信じちゃいけない」
なんて言い放った
そんな宗教的指導者を
釈迦以外に
いまのところぼくは知らないよ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS(ザ・ブルー・ハーツ)」
作詞 甲本ヒロト

永遠なのか 本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いたこと いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう






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映画「クリード チャンプを継ぐ男」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
ライアン・クーグラー監督作
「クリード チャンプを継ぐ男」

※ブルーレイ&DVDが発売されたよ※

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全6部作の
ロッキーシリーズは
6作目にあたる
「ロッキー・ザ・ファイナル」でもって
完結したはずだったんだけれども

映画「ロッキー・ザ・ファイナル」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

人智や理屈を超えた
運命のいたずらが
7作目を生みだすことになったことが
今回のふしぎ発見のテーマ
それがこの
「クリード チャンプを継ぐ男」

幼くして母を喪い
児童養護施設では
暴力沙汰を起こしてばかりという
荒れた日々を送っていた
マイケル・B・ジョーダン演じる
アドニス・ジョンソン
※下の画像はマイケルじゃないよ!※
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そんなアドニスを引き取ったのが
メアリー・アン・クリード
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実はこの
メアリー・アン・クリードは
アドニスの父の本妻
そしてアドニスの父とは
ロッキー1、2作目において
シルヴェスター・スタローン演じる
ロッキー・バルボア
伝説の闘いを交えた
今は亡き
元世界チャンピオンの
アポロ・クリード
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愛人の息子でありながら
アポロの忘れ形見として
実の息子のように
愛を受けながら育ち
金銭的にも不自由がない
一見すれば
裕福でありながら
恵まれすぎたその環境は
一流投資銀行での
若くしての昇進という
世間的には「勝ち組」
そう呼ばれる人間の道へと
アドニスを
辿らせてゆくけれども──

サン=テグジュペリ原作の
「星の王子さま」


「大切なものは
目には見えない」



そう言ったように
目には見えるものが
完璧なまでに
満たされているにもかかわらず
誤魔化すことのできない
欠乏感や
虚無感の
容赦なき浮き彫りに
もんもんとした日々を
アドニスは送っていた
んだ
YouTubeにさえ
アクセスすれば
いつでも会いに行ける
父アポロと共に
シャドウボクシングを重ねながら──

そうして
愛する父の
その背中を追うように
会社を退職し
母の反対も押し切って
ボクシングに生きることを
決意するものの
いわくつきの存在である
アドニスは
父アポロのジムにさえ
コーチしてもらうことを
断られてしまうよ

そんなある日
アドニスが閃いたのが
父との一時代を築いた
伝説のボクサー
ロッキー・バルボアに
ボクシングの教えを乞うこと


こうして物語は
大きく動き始めていくよ

ところが
この映画の成り立ちを
追ってゆくと
映画の中身を超えた
必然的ドラマが
見えて来ることになる
んだ

ロッキーシリーズ
その大ファンである父親に
多大な影響を受け
「仮にもし
アポロに隠し子がいたら?」

という発想を思いついたのが
本格的な長編映画は
一本も撮ったことのない
駆け出しの映画監督
ライアン・クーグラー

自主映画であり
のちに処女作となる
「フルートベール駅」
その撮影にあたって
知りあうことになった
映画関係者に
なんともなしに
そんなアイデアを
話してみたところ
その関係者が
シルヴェスター・スタローンとの
繋がりがあることが発覚し──

2012年7月
急遽
スタローンに呼び出された
ライアン・クーグラーは
貧しいながらも
どうにかこうにか
飛行機代をかき集め
オークランドから
ハリウッドまで
スタローンに会いに行くんだ

スタローンからは
しばらく何の音沙汰もなく
流れてしまったかに見えた
ライアン・クーグラーのアイデアは
「お前の言ってた映画をやろう」という
スタローンからの一報で
実現する動きとなっていくよ
しかも
スタローンが
監督・脚本をするのではなく
ライアンクーグラーが
監督・脚本を任される形
でね

すっかり
映画界からは
過去の人になりつつあった
スタローンが
1本も映画を撮ったことがない
27歳の青年に
すべてを賭けることを決めた
その理由を
探っていくと
この比類なき
チャンスの流れが
実は
ロッキー1
そのものであり
スタローンの実人生
そのものであることが
見えて来る


29歳のスタローンは
まったく売れない
無名の俳優だったけれども
有名プロデューサーと
接することができる
その千載一遇のチャンスに
自らを主演として構想を練った
ロッキー1のシナリオを
そのプロデューサーに手渡し
そうして誕生し
アカデミー作品賞を受賞し
世界へと羽ばたくことになった
ロッキーシリーズ

そして
ライアン・クーグラーと
出会うことになった
2012年7月とは
スタローンの実の息子
セイジ・スタローン
心臓発作により
逝去した月
でもあったんだ

スタローンの
その背中を追うように
映画監督の道を
志していた
セイジ・スタローン

このタイミングの中で
ライアン・クーグラーの
そのアイデアを耳にした
シンクロニシティは
スタローン自身が
きっと
誰よりも一番
驚いたにちがいないし
この世の
人智や理屈を超えた
不可視な力に
畏れを覚えるのと同時に
比類なき
救いのようなものすらをも
感じていたのかもしれない

ぼくは思ったよ

こうして
スタローン(ロッキー)
ライアン・クーグラー(アドニス)による
映画と現実の交錯は
「クリード チャンプを継ぐ男」に
結実した


ロッキー伝説から
クリード伝説へ
そしてまた
伝説は以心伝心してゆき
くり返されてゆくよ
ボクシングや映画に限らず
この世界における
あらゆる
「目には見えるもの」を超えて
この先もずっと──

スタローンほどに
サプライズに満ちた人生は
そうそうないけれども
いつだって
不可視な存在は
いまかいまかと
きみにサプライズを
仕掛けるタイミングを
見計らってくれている
んだ

きみの予想や
きみの人生設計は
必ずや裏切られるよ
いい意味にも
わるい意味にもね
なんせ相手は
きみの頭ん中は
すべてお見通し

きみが予測できうることを
そのまんま起こしたところで
そんなものが
サプライズになるはずもないし
そんな人生が
面白いはずもない


この世界は
いつだって
目がくらむようなサプライズに
驚かされてなんぼの世界
なんだ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「FLASH / Perfume(パフューム)」
作詞 中田ヤスタカ(CAPSULE)

FLASH 光る
最高のLightning Game
かざした手を弓矢に変えて
FLASH 超える
最高のLightning Speed
願う 真空の間で 届きそうだ FLASH






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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート9

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※何度でも蘇るよ!※

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東日本に刻まれた
悲しみの傷跡も
まだ癒えきらない
深手を負った日本に
追い打ちをかけるような激震が
再び襲いかかり
救援や支援に動き出す人々や
SNSで呼びかける人々や
他人事のように
変わらぬ日常を送る人々が
錯綜する最中

ぼくは
ぼく自身が
純粋に映画を楽しむためだけに
「マッドマックス 怒りのデスロード」
極上爆音アンプリファイ上映される
立川シネマシティの扉を
押し開けたんだ

映画館でも家でも
何度もくり返し観た
映画であるにもかかわらず
ぼくがいま
必要とするものが
立川シネマシティで体感する
「マッドマックス 怒りのデスロード」にあるような
そんな予感がしたから



世紀末世界の支配者
イモータン・ジョー
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彼が最も大切にする
お宝(5人の妻)を奪い
彼の軍団から
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逃走する
彼の配下でもある
裏切り者のフュリオサ大隊長
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この
人間目線の
追走と逃走の
命を懸けた戦いを
まるで知っていたかのように
巨大な砂嵐
両者に襲い掛かる
そんな場面が
この映画にはあって
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人も車も
あっけなく巻き上げられ
容赦なく蹴散らされ
大自然を前にした
人間の無力さと
儚さとを
この場面を見るたびに
ぼくは思い知らされるし
きっと誰しもが
抗いようのない
大きな災厄が
我が身のこととして
降りかかって来たそのとき
同じようなことを
思うんじゃないかな

けれども
大自然(世界)
ちゃんとわかってるんだ

修復すべきものが
そこになかったなら
直す
という行為や
治す
という行為は
生まれえないことを

傷つき
倒れている人が
そこにいなかったなら
落とした涙を
拾い集めるように
うずくまる人が
そこにいなかったなら
手を差し伸べる
という行為や
共に泣く
という行為は
生まれえないことを

絶望の礫が
ふりそそがなかったなら
誰かの楯になる
という行為や
希望を切り開く
という行為は
生まれえないことを


そして
それら
生まれるべき行為たちこそが
肉体を超えた
ぼくたちそのもの


肉体やこころが
ぼくら自身なんじゃないよ
生まれるべき行為たちこそが
ぼくらの実体
なんだ

ぼくらは
本当のぼくら自身を
わかるために
生まれるべき行為たちを
自ら行為することによって
自らを顕現し
自らを思い出している


だって
ぼくたち人間もまた
大自然(世界)そのもの

なんだもの

その「行為」
正式名称こそは
清志郎さんや
ジョン・レノン
高らかに謳いつづけた
あれだよ
あれ!











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Teardrop / Massive Attack(マッシヴ・アタック)」

Love, love is a verb
Love is a doing word
Fearless on my breath
愛、愛は動詞
愛は行為の言葉
私の呼吸は恐れを知らない






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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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