大海原へとサーフィンをしに来た世界だよ

「現状に満足することなかれ
現状に満足し
安住することは
後退を意味する」




いつだったか
とある会社で
いかにもやり手経営者らしい 
こんな経営理念を
目にしたんだけれども
でも



現状に安住する者は
現状に満足しているから
そうして安住しているわけではなく
安住からの転落
そのことを体験し
学ぶための
その下準備として
今は安住している

それだけのことさ



現状に安住しない者は
現状に満足しないから
そうして安住を嫌うわけではなく
転落からの向上
そのことを体験し
学ぶための
その下準備として
今は向上心を発揮している

それだけのことさ




リアル人生ゲーム
その大きな海原で
あがきつづける限り
荒波はうねり
さざ波はうれい
上がったり 
下がったり
上がったり 
下がったり
そのくりかえし




 
ひとつ
秘密を明かしておこうか





すべての人の
その足首には
リーシュがあって
サーフボード
つながっているよ
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にもかかわらず
気づいていない人が
ほとんどみたいだ




まれに
その真実に気がつき
高波も
低波も
逃さずエンジョイ
体験と発見の水しぶきを散らしながら
波乗りし始める

そんな人を見かけるよ

なにもそれは
いい大学を出てるとか
難しい資格を持ってるとか
IQが高いかどうかとか
栄誉ある賞を受賞してるとか
健常者かどうかとか
勝ち組かどうかとか
悟ってるかどうかとか
そんなことが
そういう人になるための条件では
ぜんぜんない
みたいで




そんな人は
現状から後退するどころか──

前進することからも超越し
真なる安住と 
一体化するんだ


そんな人
とは
実を言えば
未来のきみのこと



いかなる
優劣や良否や
是非や理非の荒波が
きみに押し寄せようとも
きみの足首と
サーフボードとをつなぐ
見えないリーシュを切断することは
誰にも
どんな人にも
絶対にすることなんてできない
から
だからね
遠慮なく大海原で
サーフィンしておいでよ
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ある日
気がつけばきみは
大海原そのもの
なっているはずだから










きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ファイト! / 中島みゆき cover by 満島ひかり」
作詞 中島みゆき

勝つか負けるかそれはわからない 
それでもとにかく
闘いの出場通知を抱きしめて 
あいつは海になりました




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「二枚歯(二本歯)下駄」のすすめ

以前にご紹介した
煙管(キセル)↓もそうですが

煙管(キセル)タバコのすすめ

風前の灯火にある日本古来の文化遺産に
「下駄(二枚歯下駄)」があります。



底が平らな雪駄を履く人はたまに見かけるのですが
sk.jpg

二枚歯(二本歯)の下駄はそう滅多に見ません。
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無理もありません。
この二枚歯下駄
一般的なスニーカーなどに比べたら
断然歩きにくい
どころか
走ることもままなりません。

なので
何かと忙しい日常を生きる現代人とは
逆行する履物と言えるかもしれません。





じゃあどうして下駄を履くの?と問われると
どうして履こうと思ったのかが
今となってはまったく思い出せません。
履くようになったのは
おそらくは7、8年前くらいからだと思います。

健康的な効能を期待できるとされる下駄ですが
そんな見返りを狙って
下駄を履くようになったわけではなく
おそらくは単純に
カッコイイ!と思ったとか
面白い!と思ったとか
たまの知久寿焼さんが履いてるからとか
20130728_390458.jpg

そんなきっかけだったように思います。





履物であるにもかかわらず
歩きにくいというその時点で
履物として失格にも思える
二枚歯下駄なのですが

手入れが必要な道具や
手のかかるペットほど
愛着が湧くのと同様に(むろん限度はありますが)
想定外の歩行感覚や
バランス感覚を刺激してくれたり
思いどおりに歩かせてくれない
急いで歩かせてくれない
そんな個性的な改造車のような
乗りこなせなさ具合に
ぐっとくるものを感じてしまうのです。






昔の日本人は
多くの人が当たり前のように
下駄を履いていたといいます。
私に「懐かしい」と声をかけてくださる方は
決まって80代以上くらいの方です。

ですが
明治維新や文明開化を皮切りに
じょじょに
西洋の文化やビジネスシステムが
流入するようになり
東京オリンピックなどを契機に
それまでたくさんあった砂利道がアスファルト舗装され
アスファルトで歯の摩耗が早くなってしまったことや
歩行音が大きくなってしまい
聴く人によってはそれが騒音になってしまったことなども
(「下駄の人はお断り」という看板が出たとか)
廃れていくことになった一因と言われているそうです。



東洋文明は
調和と非合理的性に重きを置く文化
ですが
西洋文明は競争と合理性の文化です。
一秒でも早く移動できる履き物
他者との競争に勝てる履き物
こそが求められます。
そういう意味では下駄は
とても西洋の履き物にはかないません。



ですが
木肌と足の裏が密着する感覚というのは
実に気持ちがいいもので
これは下駄でなければ味わえない何かです。

「音」もそうですね。
歯面と地面とで奏でられる
爽やかな快音は
二枚歯下駄の無二のものです。
歩くだけで
耳から癒される履き物など
他に何も思い浮かびません。
※騒音問題と摩耗問題を最初に取り上げましたが
その解決方法があります。
最後の方にご紹介します。




さらには
下駄にだって「合理性」という意味で
いいところもあるのです。



たとえば
その通気性に関しては
右に出る履き物はないでしょう。
これは日本の湿度が高い風土が
そうさせたと言われているそうです。



履き終えるまでのスピード
脱ぎ終えるまでのスピード

という意味でも
鼻緒に指を引っ掛けているだけですし
底部に凹凸の摩擦がない分
履き物の中でも最速ではないかと
私は踏んでます。



玄関に置いておけば
玄関に足をつかずに足を置きたいときなど
ちょっとしたすのこ代わりにもなります。



さらには西洋靴は
外反母趾や偏平足を作りやすくし
足指の働きを退化させてしまう弊害があるそうなのですが
下駄は正常な足の形を形成してくれるとか。



私は自分ではよくわからないのですが
昔の日本人に認知症が少なかったのは
下駄での足ツボ刺激による
脳の働きの活性化だったのではないか
という説もあったりするそうです。




さあ
試しにみなさんもいかがですか?

近所を散歩するときのみ下駄
というのもありかと思います。
マネー支配者にこき使われ
忙しい日々を送るみなさまの
ささやかなリラックスタイムにおすすめです。


ちなみに私は
走ったり跳んだりする用がなければ
どこにでも履いて行きます。

下駄をなぜ履くのか。
さしたる理由はありませんでしたが
私なりのマネー支配(合理性)へのささやかな抵抗
ということにでもしておきましょうか。

もう少しだけ
下駄が活躍できるような
ゆったりとした時間も併せて流れる
調和の取れたバランスが日本国に戻りますように。





最後に
下駄の音がうるさいと感じる方や
アスファルトによる摩耗の早さを防ぐための
対策法を伝授します。

下駄は
雨の日に滑りやすいという
弱点もあるのですが
その問題もこの方法で解決できます。




これが現在
私が愛用している二枚歯下駄です。
IMG_20160613_121229.jpg

久々に底面をチェックしたところ
鼻緒の結び目をガードする金具と
爪先のゴムが片方取れてしまっています。
IMG_20160613_121321.jpg


この爪先は特に
アスファルトに接触する部分なので
ゴム補修をお勧めします。
歯の部分もだいぶゴムが摩耗してますが
今回は爪先のゴムと
鼻緒の金具だけにします。

では早速直してみましょう。



これらは下駄の補修用の部品です。
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金具にもゴムにも
購入の際に釘を付けてくださるので
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あとはそれを
穴の空いた部分に打ちつけるだけです。
DSCN0140_convert_20160721143138.jpg



この下駄用の底面ゴムも同様です。
DSCN0138_convert_20160721143118.jpg


ハサミで切り
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釘とトンカチで打ちつける。
DSCN0142_convert_20160721143202.jpg


ただそれだけのことです。
強い力も要しません。

全工程5分で終わりました。
DSCN0143_convert_20160721143213.jpg




私の場合は
お気に入りの下駄を入手しても
すぐに歯が摩耗して履けなくなってしまうこと
雨の日に滑りやすいこと
それと
人の車に乗せていただいた際に
足元のカーペットを木くずだらけにしてしまうことが
下駄履きの悩みのタネでしたが
このゴムを発見して以来
その問題は解決しました。

ゴムなので当然摩耗しますが
使えなくなったら新しいゴムで打ち直す
ただそれだけです。
歯が穴だらけで釘が打てなくなるまで
同じ下駄を履き続けることができると思います。





このゴムや補修部品は
いつもこのお店↓で私は買ってます。

創業天保五年 福島履物店

通販でも売ってくれます。
ゴムだけなら安い送料で送ってくれます。










あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Manual - Reminiscence」



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哲学者「スピノザ」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート1

いつかは
書き記さねばならないと思いながらも
ぼくにとって
あまりに特別すぎて
あまりに他人とは思えなすぎて
逆にどう紹介すればいいものか
そのタイミングをなかなか見つけられない
そんな哲学者が
一人いるんだ



実は
ブログ初期の頃に
一度だけ紹介したんだけれども
その人に関して伝えたいことが多すぎて
うまくまとめることができなかった
そんな経緯があるよ

だからと言って
今はまとめられるのかというと
そんなこともなくて…



とはいえ
そんなことずっと言ってたら
いつまで経っても書けないし
いつまで生きれるかもわからないから
少しずつ 
小出しに
手探りで書いていこうと思ったんだ






そんな噂の哲学者は
1632年
オランダ生まれ

現代とは比較にならないほどに
一神教的宗教観が根強い
当時のオランダでは
社会体制的に
無宗教の人間などありえない
暗黙の圧力があったし
一神教的神を否定しようものなら
「非国民」と同義だったし
それでもなお
発言を辞さない構えを取るならば
殺される覚悟で
思想や宗教観を
発しなければならない
そんな時代の 
そんな地で
ユダヤ教団を破門にされ
ユダヤ人コミュニティから追放されながらも
身の危険を顧みず
唯一神(ただひとつの神的存在者を信仰すること)を否定し
聖書を真理とする解釈を否定し
一元的汎神論(相対的な神など存在せず
この世界には神の他に何もない、ということ)
を唱え
人間には本質的には自由な意志がないことを唱え
挙げ句には「無神論者」「危険人物」のレッテルを貼られてしまった
そんな彼の名は 
バルフ・デ・スピノザ
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バルフ とは 
ヘブライ語で
「祝福されし者」

スピノザ は
「Espinosa(茨)」という
ポルトガル語が由来の
名前だとか
(イエスの茨の冠と
関連があるのだろうかね)




初めてスピノザの言葉に触れたのは
上野修という大学教授の書いた入門書
「スピノザの世界―神あるいは自然」
だったんだけれども
初めて読んだ
スピノザの本が
この本で本当によかったと
そう思うんだ




たとえば
生前に出版されることがかなわなかった
スピノザの代表作
「エチカ」
病的なまでに徹底して
「個」「人間臭さ」
できうる限りに排除し
「偏見」「主観フィルター」
できうる限りに排除し
幾何学的な演繹手法を用いて
非情なまでに合理的に
書き記されているだけあって
解説なくして読むには
あまりに難解だし
あまりに厳格だし
あまりに大衆離れしているから


上野先生が
補助輪の役目をしてくれなかったなら
言語処理能力に乏しいぼくは
こんなにも近くにいる存在でありながら
スピノザと共に走り出すこともできないままに
スピノザをあきらめていたかもしれない



けれどもぼくは
上野先生のおかげで
スピノザと
400年近い時空を超え
言語を超えた
深甚な領域の中で
繋がることができた
んだ

「なんだ、おまえもか」
「うん、ぼくもだよ」ってね





「神即自然(神=自然)」とは
スピノザを代表する言葉

一見するとこの言葉は
多神教と同義にも
思えるけれども
ここで言われてる「自然」とは
ぼくらが一般的に口にする「自然」
その意味合いとは少し違くて


山や海や川や
動植物や昆虫のみならず
人間も 太陽も 月も 宇宙も
銃器も 紙幣も 添加物も 化学繊維も
プラスチックも 原子力施設も 汚染排気物も
人間の肉体も 
人間の思念も
人間の想念も 
人間の感情も 
善も悪も 
生も死も
なにもかも──

世界そのものが 
自然であり
世界そのものが
神である
という
そういう意味が
込められているよ



「神即自然」
この四文字は
般若心経に記された
「空即是色」
実は
さしたる違いはないんだ

なぜならば
「神」「空」
同じもののことを言っているにすぎないし
「自然」「色」
「神」あるいは「空」なくして
立ち現われることなど
決してないから








最後に
哲学する者ならみんな大好き
池田晶子さんの
スピノザについて述べた言葉を引いて
パート1を終わりにしたいと思うよ

唐突だが、西洋合理主義の権化のようなこの人が見ていた光景は、仏陀のそれに近いのではなかろうか。「因果の理法」と仏陀は言った。宇宙の一切は因果の縁起で生起する。時間的因果ではない。無時間的すなわち永遠的因果である。「永遠の相の下に」一切を観照したスピノザのそれは、西洋では稀なものだ。永遠を観る者に死後は不要とするそれが、異端として排斥されたのは当然である。
池田晶子著「人生は愉快だ」より











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Gathering Stories / Jonsi(ヨンシー)」

Over the stars
Over the nights
Over the rains
Over the moons

Over the days
Over the streams
Over the skies
Over the ponds

Over the fires
Over the lakes
Over the trees
Over the minds

Our kid zigs
Open doors
Over the doors
I am alive

星を越え
夜を越え
雨を越え
月を越え

日々を越え
川を越え
空を越え
泉を越え

炎を越え
湖を越え
森を越え
こころを越える

そいつら神の子が言うんだ
いくつものドアをひらいてる
いくつものドアをひらいてる
それがあなたなんだよって




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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート10

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※発見は終わらないよ!※

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この映画をとおして開眼する
ふしぎ発見!については
9回の記事で
完結した(はずだった)んだけれども
パート10を銘打った今回は
東京立川でアンプリファイされた
極上爆音「マッドマックス 怒りのデスロード」
公開一周年を記念し
9月2日までの
異例の長期上映が決定されたことに加え
そもそもの爆音上映の仕掛け人
遠山企画室長
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その挑戦心をくすぐり
代表取締役社長
ゴーサインを出すに至らせた
採算度外視な情熱
心奥から喚起させる
この映画に秘められた
神的な何か
それとはいったいなんなのだろうと
改めて考えてみずには
いられなかったんだ






俗に
「覚醒」
「非二元」

などと呼ばれているものと
同一と思われる
得体の知れない体験を経たことをきっかけに
このブログを書き始めた
じゃっくだったんだけれども


しばらく書きつづけているうちに
今生において
あの体験以上に
自分の人生をゆるがすような
大きなサプライズが
起こりえないだろうことが
なんとなく予想されてくると──


体験直後の
あふれんばかりの
「伝えたい情熱」
次第に霧消していき
ブログをつづけることに
「鮮度」
「面白み」のようなものを
感じれなくなってきてしまったんだ




仕事として
この活動をしていたなら
またもう少し話しは
違ったのかもしれないけれども
(つくづく 
マネーに支配された世界だね)


ビジネスの縛りのない環境において
個人で好き勝手やっていることにしては
その自由度を活かしきれてない気がしたし
何かが物足りなかったんだね




その倦怠感の原因は
今にして思えば
死への恐怖が薄れてしまったことによって
同時に
生への執着も希薄化してしまったこと


そのことに連動するように
変にあきらめがよくなってしまい
変に過去を引きずらなくなってしまったこと


さらには
見えなくてもよかったものまで
見えてしまうものだから
周囲の人とに食い違いや温度差が生まれ
孤立化していったこと


などが考えられるそう




つまりは
じゃっくの肉体は
山奥に隠棲する仙人みたいに
鎮まりの中に安寧する存在になることを
その時点ではまだ求めてはいなかったか


あるいは
そういう境地に安寧することは
じゃっくの性には合わなかったか


あるいは
そのときすでに
肉体的にも精神的にも
自由のままならない
先行き短い
老境をまたいでいたなら
体験はすんなり
じゃっくに浸透したのかもしれない


なぜならば
肉体の死
非二元的な体験とは
イコールみたいなものだから





多くの人が
求めてやまない
覚醒体験だけれども
これじゃあなんだか
覚醒体験するのも
一概にいいこととは言えない

言うことができそうだ




ところが
そんなじゃっくを
直下型地震のように直撃してしまったものが
この映画
「マッドマックス 怒りのデスロード」




この映画が
じゃっくを「生」への倦怠感から
「生」への狂気(マッド)へと再覚醒させ
裏ワザを使うことによって
安全なアイテムを使い
安全なコースを通り
無難にステージをクリアする非二元的マリオから──

1ステージから順番通りに
敵や障害物や飛来物と
向き合い 
翻弄され
アイテムやコインを駆使しながら
地道に着実に
身を置かれてるステージと向き合う
SURVIVE(サヴァイブ)するマリオへと
引き戻したんだ



それはそれは
覚醒体験にも匹敵するほどの
(ひょっとしたらそれ以上?)
素敵な素敵なサプライズ
だったよ


この映画が
非二元の倦怠から
わるい予感のする
二元のほうへ

じゃっくを引き連れ戻したけれども
だからと言って
覚醒体験が
無駄なことだったとか
非二元が
必要ないものだとか
そういうことじゃないんだ
リアル人生ゲームにおいて
無駄なことなんて
ただのひとつもない


いつだって
それまでのすべてがあったからこそ
今のその人がある
のだからね




イモータン・ジョーが
このブログでたびたび口にする
マネーを操る強大な支配者にも
ぼくは敬意を表したいくらいなんだ

だって
きっと今のこのマネー支配社会が
存在しなかったなら
マッドマックス怒りのデスロードが
撮影されることはなかった
だろうし
10回に渡って書いてきた
マッドマックスのこの記事だって書けなかった
ことはもちろんのこと
マネー支配された世界という
ディストピアなゲーム舞台設定がまた
挑戦心をくすぐる
じゃないの!

社会が根底から
くつがえるほどのことだもの
それはあまりに
高くて高くて高すぎるハードルだけれども
50年や100年
一世代や二世代ががんばったくらいじゃ
飛び越えられないくらい難解なハードルのほうが
挑戦しがいがある
じゃないの!




だいじょうぶ

冒頭に
ふりそそぐ水しぶきは
現代社会になぞらえるならば
ぼくらに日々ふりそそぐ札束に違いない
無題_convert_20160718230026
──けれども



ラストに
帰還したフュリオサや仲間たち
そして民衆へとふりそそぐ
輝く水しぶき
それは決して
お金では買えない
リアル人生ゲームだからこその
プライスレスな何か


ぼくら存在する者たちは
肉体を超えた
目には見えない手のひらに
いつだってその
プライスレスな何か
しっかりと握りしめていて
それが失われることは
決してない
んだ
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今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ワイルドサイドを行け / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

人に弾かれた者同士も 同じ孤独で繋がれんだ
仲間とこじ開ける未来は絶景さ
進んで行こうぜ 今日だって道は分岐点ばかり
好奇心辿って 悪い予感のする方へ






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映画「永遠の0」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
百田尚樹原作 / 山崎貴監督作
「永遠の0」

※ネタバレありだよ※

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夕日が美しいのは
なぜだろうと
きみなら思うだろうか


夕日が美しいのは
夕日そのものが美しいからだと
そう思うだろうか


でもね 
どうやらそれは 
ちがうみたいだ





夕日を美しいと
認識する者
がいなければ
夕日そのものは
永遠の0でしかなくて


夕日を美しいと思った
その瞬間のその人の
体験にこそ
どうやらその
「美しい」はあるんだ




愛する人が
慕わしいのは
なぜだろうと
きみなら思うだろうか


愛する人そのものが
慕わしい存在だから
だと
そう思うだろうか


でもね
どうやらそれは
ちがうみたいだ


愛する人を慕わしいと
認識する者
がいなければ
愛する人そのものは
永遠の0でしかなくて


愛する人を慕わしいと思った
その瞬間のその人の
体験にこそ
どうやらその
「慕わしい」はあるんだ




芸術に
意味を見るのは
なぜだろうと
きみなら思うだろうか


芸術そのものに
意味が宿っているから
だと
そう思うだろうか



でもね 
どうやらそれは
ちがうみたいだ



芸術に意味を
見出す者
がいなければ
芸術そのものは
永遠の0でしかなくて


芸術に意味を見出した
その瞬間のその人の
体験にこそ
どうやらその
「意味」は存在するんだ





ぼくたち人間は 
ゼロ でしかないものを向きながら
ああでもないこうでもないと 
言い争い 
ののしりあい
自らの体験にだけ存在する真実
それを懸命に
主張しあっているよ



主人公の祖父が
こう言うんだ


「私たちだけが 特別なのではない
あの時代 一人一人に 
そんな物語があった
みんなそれぞれ 胸に秘めて
何事もなかったように 生きているんだ
それが戦争で生き残ったと いうことなんだ」





「あの時代」だけじゃないよ
「この時代」も 
「これからの時代」
おんなじ


一人一人が
世界と対峙し 
一人一人の
物語を夢見てる

一人一人が
永遠の0を旅する
一人一人が
永遠の0に意味を見つづけてる



きみもいずれは
知ることになるんだ
自分自身もまた
永遠の0
であることを




でもね 
それは決して
怖いことなんかじゃなく──



それはそれは 
生涯稀に見るサプライズ










きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「永遠の嘘をついてくれ / 中島みゆき&吉田拓郎」
作詞作曲 中島みゆき

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ





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テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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