「大先輩としんまい」だけの世界だよ

触れる対象になるものが
先にあったからこそ
ぼくたちは
触れる
ということを
することができるよ

見る対象になるものが
先にあったからこそ
ぼくたちは
見る
ということを
することができるよ

聴ける音が
先にあったからこそ
ぼくたちは
聴く
ということを
することができるよ

思う対象になるものが
先にあったからこそ
ぼくたちは
思う
ということを
することができるよ

創る素材になるものが
先にあったからこそ
ぼくたちは
創る
ということを
することができるよ

世界 とは
大先輩みたいなもので

それはもう
釈迦イエスといった
歴代の聖人たち
どころの騒ぎではなくて
口答えをする隙もないほどの
大御所中の大御所

であるにもかかわらず
右も左もわからない
しんまい中のしんまいの
ぼくたち人間
自らが世界
影響を及ぼし
自らが世界
利用してる側で
自らが世界
遊んでやってる側だと
信じて疑わなくて

でもね
人間と遊んでやれる
唯一の存在は
世界だけ
人間を利用できる
唯一の存在は
世界だけ
人間に影響を及ぼせる
唯一の存在は
世界だけ

きみは
触れる対象が
そこにあったからこそ
触れざるをえなかった
んだ

きみは
見れる対象が
そこにあったからこそ
見ざるをえなかった
んだ

きみは
聴ける音が
そこにあったからこそ
聴かざるをえなかった
んだ

きみは
思える対象が
そこにあったからこそ
思わざるをえなかった
んだ

きみは
創れる素材が
そこにあったからこそ
創らざるをえなかった
んだ

ようはね
それらが先に
そこ
存在しなかったならば
人間は何ひとつ
行為することなんて
できやしない存在ってこと

さてさて
ここらで気づいた人も
いるかもしれないね


触れるための肉体
それがなければ
見るための眼球
それがなければ
聴くための耳
それがなければ
思うための心
それがなければ
創るためのアイデア
それがなければ
それはそれで
何もできやしない 
ということ
世界とつながる(接続する)ことができない
ということ

つまり 
このことは
きみの肉体すらも
きみよりも先に
そこにあったもの
であり
きみの肉体すらも
大先輩の一部
であることを
意味するんだ

きみ = 世界

きみが世界
であるのだから
きみがした
ひとつひとつの行為
ひとつひとつの思考

世界がしたのと同じってわけ

この意味のすごさがわかるかな
たったの一人にでも
伝わるといいな










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「少年ヤング / 電気グルーヴ」
作詞 石野卓球、ピエール瀧
作曲 石野卓球

怒られる 晩餐
あせる殿 高3
迫られる 決断
頼るのは ひらめく判断





クリックありがとうございます。聞いた話だと、「冷房」よりも「除湿」の方が多く電力を使うとか。
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ジャンル : 小説・文学

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qtaroさん

あ!答えを見つけてくださっていたなら問題ないですね。

こちらこそありがとうございます。

自由意志の話の

自由意志のとこで質問した答えは、これですね。
ありがとうございました。

sayamaさん、こんにちは

同感です。

世界責任論は、思いもよらない悲劇に見舞われたときにこそ、最大限の威力を発揮します。

No title

なんでも世界のせいにするわけにはいかないけどなんでも自己責任にする風潮もおかしいよな。両方をバランスよく行き来したい。

yoku358さん、いつもありがとうございます

ああ、すごいです。

ブログに書いていることを、ここまで理解してくれて、自分に落とし込んで、日常生活に実践的に活かしている方がいるということに、感慨深いものがこみ上げました。

身も蓋もないことばかり書いているので、果たしてこれは誰かの役に立っているのだろうかと、書きながら疑問を感じることもしばしばですが、いや、必要としてくれている人も少ないながらもいるのだ、ということをはっきり実感することができました。

「エキストラ」。
まさに、仰るとおりです。
となると、主役は誰?という話しになるかと思うのですが、その主役こそが「世界」であり「宇宙」です。

つまりぼくたちは、「エキストラ(二元性の自分)」でありながら「主役(一元性の自分)」でもあるという、二面性を同時に備えながら、この世界に存在しているということになります。

ちょっと、規模が大きすぎてクラクラするようなお話かもしれませんが。


yoku358さん、ありがとうございます。

追伸

自分の都合で事象が動いているのではなく、私もある意味エキストラに過ぎないのだと理解できました。
エキストラだから、どこかに行こうと思って行くのではなく、ただ歩くのが役目
今まで、自分の都合で押したスイッチが、まったく別の反応をしたり
相手に伝わらない事に苛立ちを感じていたけど。
スイッチを押すだけの役目で、自分の都合はまったく関係ないのだと思えれば、執着せずに済みます。
その執着心に自分自身が疲れていたから。
ようやくトンネルから抜け出しましたよ。
ありがとうございました。

お世話になってます。

昨夜、私は義妹夫婦(もともと夫婦関係は最悪)の関係に
大きな石を投げ入れました。(壊れたら私の責任だと罵られた)
でも、それが発端となって、いままで動かなかった田舎の土地問題が大きく動きました。
で、いつもなら、自分の失態を後悔し、悩んだでしょう。
しかし、あなたのサイトに出会っていたので、私がやった行為だけど
私がした訳じゃない!これにどれほど救われたか(´;ω;`)
山が動く為の小さな石・・・・たまたまその役目が私だっただけ
私が石を投げたから、山が動いたのではない!・・・・ってところでしょうか。
でも、疲れた~
このブログが役に立ってると思った方はぼく↓をクリックしてもらえるとうれしいです。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。