どみどりくん みどりの日編 中

昨日に引き続き、ブログを担当します。父じゃっくです。

それでは『どみどりくん みどりの日編 中』をどうぞ。







ガードレールに腰かけたまま、中空を見つめるおじさんへ、どみどりくんは切り出します。

「ねえおじさん、おじさんは自分で今のその肉体を選び、自分で今のこの世界を生きることを選んだのかな?」

「まさか。頼んでもいないのにこの肉体を与えられ、頼んでもいないのにこの世界を生きざるをえない状況にあるんだ」

頼んでもいないのに世界はそこにあって、頼んでもいないのに時間や空間はあって、頼んでもいないのに光や影があって、頼んでもいないのに空や大地や星々はあって、頼んでもいないのに多種多様な動植物がいて、人間関係があって、時代や文化があったわけだ」

「それがどうしたというんだ?」

頼んでもいないのに用意されたものしか世界には存在しないってことだよ。頼んでもいないのに用意された世界と、頼んでもいないのに用意された肉体という制限の中でしか、ぼくら存在者は何かをすることができないし、生まれ持った世界と肉体の制限の中で「テレビゲームが好きな自分」を発見して、「ゲームソフトが欲しい自分」を発見したわけだよね?」

「ああ。そういうことなのかもしれないな」

「テレビゲームに興味がない肉体を授かっていたなら、果たしておじさんはゲームソフトを盗んだだろうかね」

「盗まなかっただろうな」

「逆に世界の側にテレビゲームっていう遊びが存在しなかったなら、果たしておじさんはゲームソフトを盗んだだろうかね」

「存在しないものは盗めない」

「だよね。もっと言えば、盗んだことによって手痛い目を見て、ウソをつくことが許せない価値観が形成されることもなかったし、のちのち、今日という日にヒサシくんを殴ることもなかった」

「…確かに、今日ヒサシを殴ったことの根本的な原因までをたどるなら、私がこの肉体を得て人生のスタートを切った、私が出生した瞬間にまで行き着くんだろうな」

「いま、おじさんは根本的な原因て言ったけれど、本当におじさんがおじさんのその肉体を得て出生したことが、今日の出来事の最終的な根本原因かな?だってさ、おじさんが出生したその結果にだって、なんらかの原因はあってしかるべきだよね?」

「確かに原因はある。私が出生する前から世界は存在していたし、私を育てた両親がこの世界に出生する前からも世界は存在していたさ」

「だよね。てことは、おじさんの両親が出生するに至るまでの原因になる両親も存在して、その両親たちの出生原因になる両親たちがまた存在して、その両親たちの出生原因になる両親たちがまた存在して…」

「…果てしないな。それじゃあどこまでたどったところで、最終的な根本原因になんてたどり着きやしない」

どみどりくんは、ニヤリ口角をあげます。

果てはあるよ。「世界の始まり」がそうさ。世界が始まらなかったなら、そもそものその原因と結果のバトンリレーがスタートすることもなかったわけでしょう?」

「だがしかし、この世界がある日始まったものであるあるなら、世界が誕生する結果になった原因がどこかにあることになる。ということは、今度はこの世界が誕生する前の過去が出現することになるわけだ。そんなバカな話があるか?世界がない、ということは、そこには時間と空間もないことを意味する世界が存在していないのに、過去が存在するなどという矛盾はありえないだろう?」

「うん、だよね。つまり時系列の中でしか現象を捉えられないぼくら人間は、宇宙を超えた世界が存在しても、それを認識することができないよ」

「つまり…それこそが頼んでもいないのに用意された人間の肉体に課せられし謎の制限であり、人間である以上、世界の始まりから物事を考えるしかない。そういうわけか」

「おじさん、ぼくは宇宙を超えた世界は認識することができないと言ったけれど、厳密には誰しもがそれを日常生活の中で垣間見てるんだ。その人が自分のことを、「私」「僕」と呼ぶときの「自分」が消え去ったほんの一瞬にね」

「自分が消える?」

「世界の始まり」とは言ってもね、「始まり」があって「終わり」がある、という時間の流れを意味する「始まり」とは違うんだ。ぼくが言っている「始まり」は、時系列を超えた「いま」であり「すべて」であり「永遠」さ」

おじさんは何かに気づいたかのように顔を上げ、どみどりくんに目を向けました。

「たとえば世界が始まった瞬間とは、ビリヤードの最初のひと突きのようなものなんじゃないか。あらゆる無数の球が方々に拡散し、互いにぶつかりあい、互いに影響しあい続けるんだ。つまり…一個の球の動き(この世界に存在する上でのシナリオ)を、一個の球以外のすべての球が決定する。ビリヤード台(宇宙)の枠の中でな。それら無数の球はというと、目に見えるものや触れられるものだけじゃない。時間や空間、五感、数、温度や湿度、感情、思考、記憶、創造力、そして、無数の球は永遠にとどまることがない。私があの日、あの場所で、あのタイミングで、友達のゲームソフトを盗む、という行為に帰結させたものは、この世界のすべて。あるいは、この宇宙のすべて。そんなふうに言うことができるのかもしれない」

「おじさん、それ、最初にぼくが言ったことと同じこと言ってる」

「ん?……あ!確かに。さっき坊やから耳にしたときは、なんのことやらさっぱりだったのにな…」

それだよおじさん。今、おじさんは知識を話したんじゃなく、智慧を話したんだ。この世界におけるあらゆる現象や出来事の中核を見たんだ。時空を超えた世界(本流)から分かたれた無数の支流で色めくこの世界の中で、生まれ持った肉体、能力、好き嫌い、環境、時代、取り巻く人間関係の支流の帰結として、さっきヒサシくんは、ウソをつかざるをえなかった。少年時代のおじさんは、ウソをつかざるをえなかった。ただそれだけのことなんだ」

「………」

『みどりの日編 下につづく』










以下
どみどりくんからのメッセージです


今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「I’ll wake up / ななみ」
作詞作曲 ななみ

I’ll wake up I’ll wake up
何かと言っていつも逃げる自分だった
いま目を覚ませば全てはここに





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じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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