哲学者「スピノザ」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート1

いつかは
書き記さねばならないと思いながらも
ぼくにとって
あまりに特別すぎて
あまりに他人とは思えなすぎて
逆にどう紹介すればいいものか
そのタイミングをなかなか見つけられない
そんな哲学者が
一人いるんだ



実は
ブログ初期の頃に
一度だけ紹介したんだけれども
その人に関して伝えたいことが多すぎて
うまくまとめることができなかった
そんな経緯があるよ

だからと言って
今はまとめられるのかというと
そんなこともなくて…



とはいえ
そんなことずっと言ってたら
いつまで経っても書けないし
いつまで生きれるかもわからないから
少しずつ 
小出しに
手探りで書いていこうと思ったんだ






そんな噂の哲学者は
1632年
オランダ生まれ

現代とは比較にならないほどに
一神教的宗教観が根強い
当時のオランダでは
社会体制的に
無宗教の人間などありえない
暗黙の圧力があったし
一神教的神を否定しようものなら
「非国民」と同義だったし
それでもなお
発言を辞さない構えを取るならば
殺される覚悟で
思想や宗教観を
発しなければならない
そんな時代の 
そんな地で
ユダヤ教団を破門にされ
ユダヤ人コミュニティから追放されながらも
身の危険を顧みず
唯一神(ただひとつの神的存在者を信仰すること)を否定し
聖書を真理とする解釈を否定し
一元的汎神論(相対的な神など存在せず
この世界には神の他に何もない、ということ)
を唱え
人間には本質的には自由な意志がないことを唱え
挙げ句には「無神論者」「危険人物」のレッテルを貼られてしまった
そんな彼の名は 
バルフ・デ・スピノザ
Spinoza_Karl_Bauer_02_convert_20160720223138.jpg




バルフ とは 
ヘブライ語で
「祝福されし者」

スピノザ は
「Espinosa(茨)」という
ポルトガル語が由来の
名前だとか
(イエスの茨の冠と
関連があるのだろうかね)




初めてスピノザの言葉に触れたのは
上野修という大学教授の書いた入門書
「スピノザの世界―神あるいは自然」
だったんだけれども
初めて読んだ
スピノザの本が
この本で本当によかったと
そう思うんだ




たとえば
生前に出版されることがかなわなかった
スピノザの代表作
「エチカ」
病的なまでに徹底して
「個」「人間臭さ」
できうる限りに排除し
「偏見」「主観フィルター」
できうる限りに排除し
幾何学的な演繹手法を用いて
非情なまでに合理的に
書き記されているだけあって
解説なくして読むには
あまりに難解だし
あまりに厳格だし
あまりに大衆離れしているから


上野先生が
補助輪の役目をしてくれなかったなら
言語処理能力に乏しいぼくは
こんなにも近くにいる存在でありながら
スピノザと共に走り出すこともできないままに
スピノザをあきらめていたかもしれない



けれどもぼくは
上野先生のおかげで
スピノザと
400年近い時空を超え
言語を超えた
深甚な領域の中で
繋がることができた
んだ

「なんだ、おまえもか」
「うん、ぼくもだよ」ってね





「神即自然(神=自然)」とは
スピノザを代表する言葉

一見するとこの言葉は
多神教と同義にも
思えるけれども
ここで言われてる「自然」とは
ぼくらが一般的に口にする「自然」
その意味合いとは少し違くて


山や海や川や
動植物や昆虫のみならず
人間も 太陽も 月も 宇宙も
銃器も 紙幣も 添加物も 化学繊維も
プラスチックも 原子力施設も 汚染排気物も
人間の肉体も 
人間の思念も
人間の想念も 
人間の感情も 
善も悪も 
生も死も
なにもかも──

世界そのものが 
自然であり
世界そのものが
神である
という
そういう意味が
込められているよ



「神即自然」
この四文字は
般若心経に記された
「空即是色」
実は
さしたる違いはないんだ

なぜならば
「神」「空」
同じもののことを言っているにすぎないし
「自然」「色」
「神」あるいは「空」なくして
立ち現われることなど
決してないから








最後に
哲学する者ならみんな大好き
池田晶子さんの
スピノザについて述べた言葉を引いて
パート1を終わりにしたいと思うよ

唐突だが、西洋合理主義の権化のようなこの人が見ていた光景は、仏陀のそれに近いのではなかろうか。「因果の理法」と仏陀は言った。宇宙の一切は因果の縁起で生起する。時間的因果ではない。無時間的すなわち永遠的因果である。「永遠の相の下に」一切を観照したスピノザのそれは、西洋では稀なものだ。永遠を観る者に死後は不要とするそれが、異端として排斥されたのは当然である。
池田晶子著「人生は愉快だ」より











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Gathering Stories / Jonsi(ヨンシー)」

Over the stars
Over the nights
Over the rains
Over the moons

Over the days
Over the streams
Over the skies
Over the ponds

Over the fires
Over the lakes
Over the trees
Over the minds

Our kid zigs
Open doors
Over the doors
I am alive

星を越え
夜を越え
雨を越え
月を越え

日々を越え
川を越え
空を越え
泉を越え

炎を越え
湖を越え
森を越え
こころを越える

そいつら神の子が言うんだ
いくつものドアをひらいてる
いくつものドアをひらいてる
それがあなたなんだよって




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

http://domidorikun.jp/blog-entry-435.html

希望のメールを下さった方へ 
メールを送信してから10日経っても届かないようでしたら、またメールください。




この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

sayamaさん

ぼくも初めは「わあ!」って思った。


ぼくにはこんなにもストイックに、徹底して「個」を排除した書き方はできないけれども、ぼくが当時のオランダを生きていて、どういう言い方をすれば自分の伝えるべきことは伝わるだろうかと模索していたなら、同じような幾何学的な伝達手段を選んでいたかもしれないね。

No title

言い方は違くても言ってることはどみどりくんと同じだな。
このブログが役に立ってると思った方はぼく↓をクリックしてもらえるとうれしいです。
最新投稿
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
どみどりな応援者
RSSリンクの表示
QRコード
QR
やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。