どみどりくん みどりの日編 下

長かったGWも今日で最後ですね。

本日もブログを担当します。父じゃっくです。

『どみどりくん みどりの日編 中』は、いかがでしたでしょうか。

どみどりくん本人に確認してもらったところ、「伝わるときは何を書いても伝わるし、伝わらないときは何を書いても伝わらないから大丈夫だよ」とのことでした。

それでは『どみどりくん みどりの日編 下』をどうぞ。





どみどりくんは、つづけておじさんに語りかけます。

「あらゆる現象や出来事、一人一人の行為が起こり続ける根本的な原因「すべてが起こしている」で片付いたとしても、そのすべてが起こしているプロセスを注視していくならば、それはとても複雑なもので、とても緻密なもので、とても複合的なものとして浮き彫りになってくるんだ。針時計の内部のようにね。有形無形の無限にも等しい歯車が噛み合わさって、この世界におけるあらゆる現象は起こり続けているんだもの。おじさんの仕事がうまくいってないフラストレーションも関与しているかもしれない。昨夜の奥さんとのケンカも関与しているかもしれない。食後の楽しみ、バターコーヒーに使うバターを切らしていたことや、番組の予約録画ができてなかったことや、便座を下げずに座っちゃったことも関与しているかもしれない」

「…こういうことも支流として考えられる。子供が何をしていても許せるような気分のときがある。だが、子供が何をしていても腹立たしい気分のときもある。わかってはいても、そういうときの自分は、どうしようもないんだ。そっちの方には絶対に行きたくないのに、否応もなく、行きたくない方向に流されてゆく

自分の意志を超えた、抗いようのない、不可視な磁力のようなものが働いているのを感じるときがある。そう言いたいんだよね」

「そのとおりだ。あるいはそれは、不可視な守護者として認識されることもある」

「おじさん、不可視な領域に踏み込むのはまだ早いよ。可視なものだけでも、支流となるものは、まだまだまだまだあるんだ。おじさんがそのとき立っていた床があること。おじさんに殴る行為ができる腕があること。ヒサシくんが宿題を誤魔化したことに気付いたこと。もっと言うなら、おじさんにとって宿題がどうでもいいものだったら、それはただの紙切れの束としてしか認識されなかったんだ」

「時空を超えたあらゆるすべてがパズルのように精巧にかかわりあっているのだから、人類史はもちろん、恐竜が存在した三畳紀を越え、カンブリア紀をも越えて、その中でわずかでも違う歴史を辿るようなシナリオがあったなら、そのわずかなズレは時間と共に大きなズレへと広がってゆき、パズルは全く違った完成形を迎え、私がこの肉体を得て出生するという現象にまで結びつかなかったかもしれないわけだ…」

「まるでバックトゥザフューチャーだね!あるひとつの現象のプロセスは、際限なく、過去にも、未来にも、末端の一人ひとりの人間のする行為にまでも、すべての微生物クラスの生き物のする行為にまでも、すべての素粒子の末端にまでも、何かしらに繋がってゆくし、最終的には、あらゆるすべての支流が、永遠という名の本流の内にあって、隙間なく繋がっていることを目の当たりにすることになるんだ」

「どこまで過去を遡っていっても、これからの未来を前倒ししても、あらゆる人間が、果てなき支流(縁)でつながっていて、一人一人が瞬間瞬間に取る、些細な行為や思考までをも密接に導き出し、その永遠なる「縁」との繋がりを絶つことは絶対にできない。そういうことなのか」

「でも、困ったことにね、頭を掻くという行為をひとつ取ってみても、その行為が起きたプロセスのほんのわずかな一部分をしか、ぼくら人間は言い表すことができないんだ。言語を用いて、それらすべてを言い表すには、かかわっているものがあまりに膨大すぎてね」

「確かに、結局のところ時空や摂理や森羅万象を含めた「すべて」が、おまえに今、そう行為させたんだと、そう言い表すしかないんだろうな。…しかしまあ、その真実が世の中に精通しようものなら、裁判所は不要になってしまうだろうよ。なんせいかなる人間間の問題や犯罪やトラブルも「『すべて』の仕業です。以上」でお仕舞いだからな」

「精通することはないと思うよ。人が心を宿した存在である限りね。…あ! おじさん、ヒサシくん戻ってきた」

「ヒサシ!」

おじさんとヒサシくんは、無言で対峙しました。

おじさんはヒサシくんの頭を撫で、自分が子供の頃に友達のゲームソフトを盗んだ話や、自分と同じ思いをしてほしくないと思っていることを、ありのままに正直に話し、殴ったことを丁寧に謝りました。

そんな大真面目モードのおじさんに引き換え、バカな顔で鼻クソを掘削するどみどりくんが気になって仕方なかったヒサシくんは、話なんてちっとも聞いておらず、こらえ切れずにどみどりくんへちょっかいを出し、ちょっかいを出され、仕舞いには二人で追いかけっこをし始める始末。

あっという間に、どみどりくんとヒサシくんはお友達になりました。



去り際、おじさんがどみどりくんに訊きました。

「坊や。坊やは2500年前と同様に、生まれ変わった今生でも、煩悩に苦しむ多くの衆生を救って生きていくつもりなのか」

「ちがうよおじさん。救ってもらっているのはぼくの方でもあるんだ。心の病に苦しむ人がいなかったなら、2500年前、ぼくは断食やあらゆる修行を体験することができなかったし、ブッダになる体験をすることができなかったし、説法することを体験することもできなかった。その人間の能力を発揮する対象になるものがそこになければ、自分を描くためのキャンバスがそこになければ、このぼくも、金メダリストも、ノーベル受賞者も、歴史上の名立たる人物たちも、誰しもが、路傍の石ころにすらなれないんだよ

「たいした坊やだ。いや、ブッダの生まれ変わりだったな、そういえば」

「おじさんにひとつ、いいこと教えてあげる。門外不出の秘密だけれど、特別だよ。…実をいうとね、ブッダの生まれ変わりじゃない人は、この世界にどこにも一人もいないんだ

「…ハア?」

「2500年前、釈迦は「ブッダになった」わけじゃなく、「すべての存在がそもそも最初からブッダであったことを思い出した」っていうことが、菩提樹の下で釈迦の身に起きたことの真相さ。じゃあ、ぼくはそろそろ帰るよ。妖怪ウォッチが始まっちゃうから」

「言ってる意味がよくわからんが…まあいいか。おまえとはまたきっとどこかで会うだろう。そういえば坊や、名前を訊いてなかったな」

どみどりくんは喜色満面に笑みをみなぎらせると、おっきな声で叫びました。

「どおおみいいどおおりいいくううん!!!だよ! じゃあね!おじさん!ヒサシ!」


つづく











以下、どみどりくんからのメッセージです。
明日からまた、どみどりくんがお世話になります。


今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Instant Karma / John Lennon(ジョン・レノン)」
作詞作曲 John Lennon

巷で流行のお手軽な教義が、きみを狙ってる
きみのその、お利口な脳みそをノックしてる
さあ、一緒に本当のきみに会いに行こう





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ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん、おはようございます。

こちらこそいつもありがとうございます。

どみどりくんとはたびたびバトンタッチすると思いますので、よろしくお願いいたします。

本日からはまたどみどりくんです。

じゃっくさんお疲れ様す。

以前投稿してくれた同じシリーズよりわかりやすかったす。
ありがとうございます。
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Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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