今日も「悟り」について話してみようと思ったよ(昨日のつづきだよ)

それにしても「悟り」って言葉は肌触りがよくないね
その言葉を口にするだけで
まるで「悟ってる人が上」「悟ってない人が下」であるかのような
「夜中にこっそりお菓子を食べてるあたしには無縁な話だわ」とか
「仕事もしないで一日中ゲームしかしてないオレには関係ない話だな」とか
そういう余計な壁を作っちゃうから
ぼくがなるべく使わないようにしている言葉のひとつなんだ
でもそれも結局はぼく個人の感受性の問題なのかな

ぼくの数日前のふしぎ発見!

人が真実を見つけるんじゃなく 真実が人を見つける世界だよ

人が意味を見い出すんじゃなく 意味が人を見い出す世界だよ

の二つを 時間があるときに
もう一度読んでみてほしいんだ
「悟り」という言葉もね
結局はこの二つのふしぎ発見!に集約されることに
みんなも気づいてくれるといいな

「悟り」
それを体験した人
あるいは
それを求めている人
などにとっては
真実だけれども
そうじゃない人にとっては
真実でもなんでもない
ただの眉唾
あるいは 
自分とは生涯無縁であろう何か

覚醒体験者たちが
いかなる真理を体得し
世界に向けて発信しているといえども
そんなことに興味なんてなくて
むしろ毛嫌いするほどで
何の話をしてるのかもサッパリわからない人にとっては
真理はあまりにも無力で

いかなる人にとっても
この世界に内包された存在である限り
意味
その人の先天的肉体や能力
その人の後天的経験や価値観
それらのフィルターを通過し
見えて来る世界こそが
その人にとっての真実
たとえそれが本当は真実(事実)ではなくとも

初めに意味があって
意味がその人を通過するそのとき
それは意味から解釈という化学反応を経て
真実へと変容するんだ


konchikiさんは いま
どうにかして悟ってみたい
どこかに悟りの方法はあるはずだ
どみどりくんから何か引き出せないだろうか
と試行錯誤する konchiki主演の大長編映画
それを銀幕の中に見ているようなものさ

ぼく どみどりくんは いま
konchikiさんに対し
どう答えることがベストなのかを考え
こういう言い方ならkonchikiさんに伝わるかな
と試行錯誤する どみどりくん主演の大長編映画
それを銀幕の中に見ているようなものさ

輪廻転生
過去世
来世
もおんなじ

それらがあると確信している人も
それらがある気がすると半確信している人も
そんなものはありえないと確信する人も
そんなものはない気がすると半確信する人も
それぞれ
受信したその意味
それぞれの真実に変換しているだけ

UFOを見た人も
ネッシーを見た人も
死んだ人と再会した人も
死後世界を探索した人も
陰謀論者も
悪魔に魂を奪われそうになった人も
超能力だったり予知能力だったりも
み~んなおんなじ
おのおのが享受した
先天性と後天性のままに
自分主演の大長編映画
それを「人生」という名の銀幕の中に見ているだけ

そしてそれらすべての主演キャストはというと
一個一個 ひとつひとつ
「存在」という名の歯車として
世界をあまねくおおっていて
ひとつとして欠けることなく
他の歯車すべてと連動しながら
永遠なる円(縁)運動をくりかえすんだ
連動する歯車すべてを合わせたおおいなるひとつ
これがkonchikiさんやぼくの真なる姿
それこそが劇場で銀幕を観賞している張本人

きっとkonchikiさんは
「悟り」について
こんなふうに教え諭されてきたんじゃないかな
「悟りたい」と思うその願望
その願望それ自体がすでに自我だから
その願望を抱え続ける限り
「悟ること」は絶対に起こりえません
なぜならば 「悟り」とは
自我の消失でしかないからです
あなた(個)が悟るのではなく
おおいなるひとつ(全)
あなた(個)という幻想から目覚めるのです


このことにはぼくも異論はなくて
しいて言うなら
その抱え続けている願望(自我)を
何かの弾みでポロリと落とすこともある ということかな
いずれにしろ
「悟り」という現象のプロセス
自我の消失であることだけは揺るがないけれどね

けれどもそんな
ロジックをも内包する
絶対的なスーパーふしぎ発見!があって
それはというと
ドミノの牌
決められた道筋だけをしか辿れないように
僕ら人間に一人一人並べられたドミノの道筋に
「悟る」という牌が置いてあるならば
たとえどんなに悟りたくなくても
その人は「悟ること」避けることはできない
「悟れない」という牌が置いてあるならば
たとえどんなに悟りたくても
その人は「悟れないこと」避けることはできなくて
ドミノの牌が倒れ続けるがままに
ぼくら存在者たちは
この世界を歩んでいくしかないんだ
それじゃあ身も蓋もないじゃないかと怒られそうだけど
でもそうなんだから仕方ない

だからこそぼくは
トップ画面にこう記しているってわけ

きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ。











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Fallin’Down / 電気グルーヴ」
作詞 石野卓球、ピエール瀧
作曲 石野卓球

タテもヨコも無い 上下すらない
目に映るままにただ戸惑い
タテもヨコも無い 上下すらない
メビウスの罠にただ従い





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No title

りゅうかさんがいてくれなければ、ぼくは単なる無力ないち存在。

「個」が「個」のみにて自らを表現することができない世界だから。

りゅうかさんありがとう。

無力を悟ってふらふらしてたらすごいブログに出会ってしまった( ゚д゚)
なんか今まで探していた答えの一つに出会えました、ありがとうございます

konchikiさん、こんにちは!

よかった!伝わった^^

きっといるよ!きっと。

じゃなきゃkonchikiさんがぼくのブログに来てくれることなんてなかったんじゃないかな。

No title

煙に巻かないでくれてありがとう。
解りやすかったよ。

konchikiがkonchikiなのは、この肉体の個性のせいだからね。
全体(時空を超えてすべてすでにある全体)にある情報の中から、ある情報(記憶)が、ある肉体を持った個性に湧いて出ることがあるのが前世の記憶、と言われるようなことなんだね。

守護霊はkonchikiにもいてくれる気がする。

sayamaさん、こんばんは!

そうそう!それそれそういうこと!

こちらこそいつもありがとう!

もしかしたら投稿した内容のくり返しかもしれないけれど…

「共生して寄り添ってくれる存在がいる」
これはぼくにとってのゆるぎない真実さ。
すべての人にあまねく共生者は存在していると、「ぼく個人」は確信しているよ。そこに嘘偽りはないんだ。

けれどもね、人によってはそれを自分に害を及ぼす「悪魔」だと認識する人もいるわけ。「宇宙人」と認識する人もいるだろうし、「電磁波」と認識する人もいるだろうし、「幻聴」だと認識して、精神病院に駆け込む人だっているかもしれない。

結局のところ、「人の数だけ真実がある世界」ということに尽きるのかもしれないな。「輪廻転生」もそれとおんなじだよ。

ぼくにとっての輪廻転生はというとね、自分という存在が永遠であることを理解してからというもの、どうでもいいものになっちゃった。
だって、「死」なんてないし、死がないということは「生」もなくて。
だからもう、生まれ変わりがあるかどうかなんて問題よりも、「いま、ここでどうあるべきなのか」の方が、ぼくにとっては重要な問題で。

あれ、これじゃぜんぜん答えになってないか。
あるかないかってことをkonchikiさんは訊きたいんだもんね。
俗に言う「生まれ変わり」みたいなことは、ぼくはないと認識しているよ。
肉体という制限から解き放たれるということは、もうその人は「個」ではなく「全」だからね。「全」はひとつしかないから、そこにはもう「個」としてのボーダーラインは存在しないよね。とはいえ、心肺停止したと同時に、うっちゃるみたいに、なんの余韻もなしにいきなり「全」に反転する、なんてことはないと思うんだけれどね。

ようするにね、仮に再び二元世界に返り咲くのだとすれば、「konchikiさんとして生まれ変わる」んじゃなく、「全」からまったく新しい「個」が、「新たに誕生する」ってことだよね。
過去世の記憶を持った人がいるという話も、同じ過去世の記憶を持った人が数人いるという話も、ぼくらは時空を超えてすべての記憶を共有している「全」なのだから(記憶を司っているのは脳じゃないとぼくは確信している)、そんなことが起きてもまったく不思議なことじゃないよね。


なるべく煙に巻くような言い方をしないように気をつけたつもりなんだけれども、言葉で伝えるって本当に難しいね。

ありがとう

悟り、さとり、差取り、覚醒、目覚め、意識のシフト、気づき、ふしぎ発見。
もうね、じっくりひとりになってみるよ。
はじめに意味ありき。すごい響いたよ。
ありがとう。


でね、輪廻転生。

あると言えばある、ないと思えばない、お前の世界ではなー、てこと?

でも、共生して寄り添ってくれる守護霊は、「いる」んだよね?


No title

なんで幽霊を見る人と見ない人がいたりするのかよくわかった。
見えない人が見える人の身体に入れでもしない限り同じもの見るのは無理だよな。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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