「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当?

領土問題も
従軍慰安婦問題も
戦争責任問題も
みんなおんなじ
どれもこれもあれもそれも
歴史的ないかなる問題も
元をたどれば
みんなおんなじ

結局のところ
いかなる史実をかかげ
「あったか」「なかったか」
「やったか」「やってないか」
「オレが正しい」「いやオレが正しい」
「だってこの記録にはこう書いてる」
「いやこの記録にはこう書いてる」
そういう視点で
論争を続ける限り
主張と主張は
未来永劫に
平行線をまっしぐら

いやね
決して論争することを
無駄なことだとか
言いたいわけじゃないよ
知識や情報をかき集めることを
否定しているわけでもないよ
ただね 
得た知識や情報を
信じ込みすぎて
得た知識や情報に
思入れを深めすぎて
得た知識や情報との同化
それが始まってしまうと
きみはその知識や情報そのものとなり
その時点で思考は停止
そうして知識や情報では計りえない
本当に大切なもの
を見失うことになるんだ

よくね 
こんな言葉を
耳にすることがあって
「真実は人の数だけあり
ひとつだけしかないものが事実だ」

いち聞すると
至極まっとうな
至言にすら聞こえるこの言葉

けれども
果たしてこれは
本当にそうだろうかね

世界にひとつだけしかないはずの
「事実」
世界にひとつだけしかないからこその
「事実」
でもね
それが事実かどうかを判断するものは
どう足掻こうとも
逆立ちしようとも
悟りをひらこうとも
結局は主観(個人)なんだよね

たとえばとある「事実」があって
その証拠になるものは
ぬかりなく完璧に揃っていて
それが
誰の目にも明らかな「事実」だとしても
その証拠のすべてが
ねつ造されたものかもしれない可能性
一体誰が否定できるだろう

「ちょっと大丈夫?
あなたむずかしく考えすぎよ」
「おまえあれだろ 
都市伝説とか陰謀論にどっぷり浸かるタイプだろ」


明白に思える
事実であればあるほど
そんな反応が聞こえてきそうだけれども
でも それでも
その可能性を
100%否定することは
誰にもできないはずなんだ
なぜならば
である
ぼくたち人間一人一人は
世界で起きている
すべてのできごとを
リアルタイムで
完全に見尽くすことはできないし
たとえ見尽くせたとしても
見尽くしたその張本人が
である限り
結果は同じことさ

太平洋戦争の
完全無欠な全貌なんて
未来永劫
誰にもわかるわけがないんだ
なぜならばね 
ついにベールを脱いだ
その全貌が
完全無欠なのかどうか
確かめるすべは
永劫に見つからないから

いかなる人間も
この主観世界の
住人である限り
主観の域を
超えることができないルール

それこそが
おのおのの最期の日にまで
適用される
この世界の掟

覚醒体験とは
主観が消失する体験ではあるけれども
そこから最期まで
消えっぱなしの人なんて
どこにもいないよ
この世界に
内包される存在である限り
形あるものから
その影を
切り離すことができないように
「個」から「主観」という影を
切り離すことは不可能


同じものを見ているはずが
黒に見える人がいて 
白に見える人がいて
長く見える人がいて 
短く見える人がいて
小さく見える人がいて 
大きく見える人がいて
壺を見ている人がいて 
人の横顔を見ている人がいて


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結局のところ
おのおのが「事実だと信じていること」
それこそが「事実」の正体
「同じ事実を共有する者たちのあいだ」でのみ
それは「ひとつだけの事実」たりえるってわけ

だからね
「事実」「真実」も大差はないし
全人類にとってひとつだけしかない事実なんてものが
成立不可能な世界
ぼくら「個」として存在する者たち
生きてゆくしかないんだ

これらのことを
頭の片隅に置いておくだけで
誰かと論争するにしろ
知識や情報を詰め込むにしろ
その活かし方も
目を置く視点も
ぜんぜんちがったものになるはずさ


ところでこの世界には
限りなく100%に近い共有度を誇る事実もあってね

たとえばそれは
例外なく誰しもが
いつかは肉体が朽ち果てることや
「2+3=5」であるということなんかがそうで
これらの事実はというと
共有できない人を探すことの方が
おそるべき難易度だよね

ぼくはというとね
「2+3=5」に匹敵する
新たなものを見つけること
それをこのブログでしようとしているんだよ
そいつの名は
何を隠そう 
ふしぎ発見!っていうんだけれども!










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「風が強く吹いてる / yaoyoros(ヤオヨロズ)」
作詞作曲 黒澤司

国家とは自由とは自分とは何か考える時間がある
ドラマのような優しさは僕にはないけど
誰かを愛するくらいは出来るさ

風が強く吹いてる





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ありがとうsayamaさん

ぼくが見つけられなかったとしても、ぼく亡きあと、代わりにそれを探してくれる冒険家たちの羅針盤的ブログであれますように。

No title

どみどりくんならきっと見つけられる。
オレも探すよ。

LandMさん、はじめまして!

また新たな出逢い、うれしい。

今日の投稿は歴史認識っていうデリケートな部分にかかわってくるものだったから、すごく迷ったんだ。怒っちゃう人もいるだろうなあって。

でも、LandMさんのコメントに救われたよ。
ああ、やっぱり投稿してよかったなって。

ぼくもLandMさんと同意見。

ある女性とすれ違った瞬間、「綺麗な人だったな」って思ったことは真実で、「口元にホクロがあった」っていうのは事実で。

でも、そのホクロはもしかしたら黒胡麻がくっついてただけかもしれないし、自己演出で描いたものだったかもしれないし、二度と確かめることはできないよね。

歴史認識もそれと一緒だと思うんだよね。自分に都合のいいようにいくらでも解釈できるんだ。

そんなこと言ってたら何も始まらないのかもしれないけど、正しいのはオレたちだし、折れないし損もしたくないっていう精神で歴史を解釈する者同士がいくら話し合ったところで、何にも解決しない気がするよ。


LandMさん、ありがとうございます。

No title

確かに真実と事実は違う。
事実は確かにあったこと。
真実は心の中にあるものだと思います。
顔と花瓶の絵と同じですね。
描かれてあるものは事実。
どう見えるかは真実。
面白い物の見方だと思います。
Σ(゚Д゚)
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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