「生悟りの覚醒者」だけしかいない世界だよ

「生悟り(なまざとり)」という言葉があってね
生半可な悟りをしている者
あるいは悟ったような気になっている者
そういう人たちに対する
蔑称なんだけれども

そろそろはっきりさせてもいいだろう
そんな時代に
差し掛かっていることを
ひしひしと感じ始めているから
今日は声を大にして言うよ

釈迦にしても
イエスにしても
老子にしても
マホメットにしても
その他大勢の
過去に実在したとされる
大聖者
大予言者
真理伝達者
霊的指導者
神秘思想家
現存する
ありとあらゆる
覚醒体験者
ワンネス体験者
スピリチュアルマスター
チャネラーもそう
どの人をとってみても
一滴の濁りもない
完全無欠の覚醒者なんて人は
絶対にありえなくて

結局のところ
どの人をとってみても
「生悟りの覚醒者」でしかないんだ
自分を覚醒者なんて言うつもりはないけれど
言うまでもなく
このぼくもね

なぜならばね
ぼくがいつも言うように
ある人が
いかなる真理を体験しようとも
その真理を体験しているのは
個としての肉体を身にまとった
人間
であり
その体験を語っているのも
個としての肉体を身にまとった
人間
だから

当然その真理には
その個人の好き嫌いや美徳
先天性や後天性
時代背景や聞き手のレベルによって
体験した真理も 語られる真理にも
フィルタリングバイアスがかかるよね

ブッダやキリストは50%の覚醒で
その弟子の誰々は30%の覚醒で
くらいの程度の差はあると思うよ
けれどもどの人をとってみても
100%は絶対にありえない

だってね
仮に100%の覚醒
それが起こってしまったとしたら
その人はもう
この世界にはいないんだ

100%の覚醒存在
それが実体である
ぼくたち存在者たちの
覚醒パーセンテージを
100%から5%だったり
100%から1%だったりと
制限するものが
肉体

だからね
現存する覚醒者たちは
「あなたは神ですよ」
「あなたも仏陀ですよ」

とか
「あなたはすでに悟ってますよ」
なんて言うわけ
制限がかかっているだけで
リミッターさえ外れれば
誰しもが例外なく
100%の覚醒存在だから

つまりね
100%パーフェクトな存在
であるにもかかわらず
わざわざ
パーフェクトな自らを放棄し
たくさんの自分に分節して
五感 時間 空間 引力 斥力といったあらゆるリミッターを創り出して
動物 植物 微生物といった多様な生命体を創り出して
マッチポンプな人生ゲームを体験してる
それがぼくらの正体

ひょっとしたら
一滴の濁りもなく
ほんのわずかにも動くこともなく
明鏡止水の完成形がパーフェクトなのではなく(これって退屈そうだしね!)
あえて100%の自分をベールに隠し
それを2%や3%覚醒の
たくさんの自分が追い求め
ありとあらゆる可能性を体験しながら
そのプロセスに没入しつづけ
流動的に変化しつづけ
探求しつづける
その状態に在りつづけることが
神(ぼくら)が見い出した
究極のパーフェクトなのかもしれないね










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Hello,World! / BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)」
作詞作曲 藤原基央

その目が見たから 全ては生まれた
選んだ色で塗った 世界に囲まれて
選べない傷の意味はどこだろう
ご自分だけがヒーロー 守ったものがある
恐いのは その価値を知っているから





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sayamaさん、おはよ!

訪れる人たちはここに、抱え込みすぎて歩くのもひと苦労になった荷物を降ろしていけばいいんだ。

で、整理して、必要なものだけ持って、また旅を続ければいいよね。

No title

同じくどみどりくんに心を軽くしてもらってるやつがここにも。

No title

konchikiさんのコメントを見ていると、いつもありがたくてたまらない気持ちになるよ。
なんてありがたいことなんだろうって。

ぼくはこんなことを書くくらいしか取り柄がないから、それを読んで心が軽くなってもらえるって、とても幸せなことだよ。

心が軽くなっているのは、ぼくの方でもあるよ。

No title

>でも人間て、自分が最初から知っていることしか知ることができない存在だから、釈迦がしなくても、他の誰かが必ず見つけて公表してただろうね。

うん。知ってることしか知らない。
不可知なことがあるっていったらそのことは、すでに想像上で知ってることだよね。
想像すらも及ばない不可知な領域。
知識がまったく歯が立たない役に立たない領域。が、あるんだね。



>核爆弾が危険だとわかっていても、「だって作れるものは作れちゃうんだから仕方ない」として作られちゃったみたいに、できる可能性が開けているところには必ず誰かが入っていって、必ず誰かがやる世界だよね。それがいいことでもわるいことでも。

だね。
わかる。



>でも、ぼくとkonchikiさんがこうして出逢い、いつかは別れの日を迎えるように、いずれは今してる体験とも別れる日が来て、次なる体験がkonchikiさんを迎え入れる日がやって来るよね。

なんかどみどりくんに言われると、ほんとそうなのだね、って気になる。

苦しい探求もやがて過ぎ去ることのひとつ。
真実との出会いすらも過ぎ去ることのひとつとして、出会っては別れていく、ということか。。

なんだかね、心が軽くなったよ。ほんとに。


konchikiさん、いつもありがとう。

一休さん、面白いこと言うなあ^^

でも人間て、自分が最初から知っていることしか知ることができない存在だから、釈迦がしなくても、他の誰かが必ず見つけて公表してただろうね。

核爆弾が危険だとわかっていても、「だって作れるものは作れちゃうんだから仕方ない」として作られちゃったみたいに、できる可能性が開けているところには必ず誰かが入っていって、必ず誰かがやる世界だよね。それがいいことでもわるいことでも。



>それでそれでも探求したくてたまらないんだから、これがkonchikiのままならない人生ありのままなのかな(´・ω・`)

耳にタコができるくらいkonchikiさんが耳にしてきただろう言い方をするなら、「人間、konchikiとして、真実の探求がままならない人生を体験したいと本当の自分(一元の自分)が思ったから、今まさにそれをしてる」ってことだよね。

でも、ぼくとkonchikiさんがこうして出逢い、いつかは別れの日を迎えるように、いずれは今してる体験とも別れる日が来て、次なる体験がkonchikiさんを迎え入れる日がやって来るよね。

おはよーどみどりくん

釈迦といういたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな 

一休さんていいなあ。大好き。

konchikiはこの頃すごくそう思う。

「知らぬが仏」でいれば、さとりなんて探求しなかったんだろうって。

本当は探求なんかしないで毎日泣いたり笑ったり苦しんだりして、
あー早く死にたいとか、生まれてきてよかったーとか、つべこべ言いながら何も知らずに生きて死んでいく。

そういうのが本当の仏なのかもって。

真実の一瞥体験ですら、個人の思い通りに行かないならなおさら。

それでそれでも探求したくてたまらないんだから、これがkonchikiのままならない人生ありのままなのかな(´・ω・`)

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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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