何かと引き換えに「対価を得る」んじゃなく 得たものを「対価と判断した」だけの世界だよ

先日また
プロフェッショナルを何気に見ていたんだ
清掃のプロへの
密着取材だったんだけれども
取材対象の新津春子さん
第二次世界大戦のとき
旧満州に取り残された日本人残留孤児のお父さん
それと中国人のお母さんのあいだに産まれたんだ
中国でも 17歳で渡った日本でも
壮絶ないじめを経験したんだって

そんな新津さんが
ひたむきに清掃の仕事を続けて10年が経ち
清掃の技能選手権で日本一に輝いたころ
あるふしぎ発見!があったんだ
清掃で本当に大切なのは 技術ではなく
やさしさ
その場を使う人を思いやるこころ
それがなければ
本当に気持ちよくその場を使ってもらえない
という新津さんが見た真実
そして新津さんは
この清掃という仕事こそが
ずっと探し求めていた
自らの居場所であったことに気がついて

一般常識的に考えるならば
新津さんががんばってきた対価として
日本一があって
自らの居場所を得られたのだと
きっと大方の人がそう思うよね

新津さんに限らないよ

努力の偉人にならい
常人の三倍努力したら
その対価として優勝できた人がいるだろうし

少食健康法に触れ
一日一食に減らしたら
その対価として健康が得られた人がいるだろうし

スピリチュアル本を読んで
素手でトイレ掃除を続けたら
その対価として富が得られた人がいるだろうし

風水師に占ってもらい
パワースポットを訪ね歩き回ったら
その対価として成功を得られた人がいるだろうし

斎藤一人さんにならい
感謝の言葉を欠かさなかったなら
その対価として運気を得られた人がいるだろうし


ところがね
体験した本人からすれば
そうとしか思えない
これらの対価獲得体験は
実はその体験者の主観でしかなくて
実際のところ
関連性があるかどうかは
関連性があると信じた人の中にだけしかないことなんだ

新津さんは
先天性と後天性のままに
そう生きざるをえない順路に従い

清掃の仕事を始め
避けようもなく
その先には日本一があって
避けようもなく
その先には居場所があった
ただそれだけのことさ

人の三倍努力したその人は
避けようもなく
人の三倍努力せざるをえず
避けようもなく
その先には優勝があった
そこに主観が「対価を得た」というレッテルを貼り付けた
ただそれだけのことさ

一日一食に減らした人は
避けようもなく
一日一食に減らさずにはいられず
避けようもなく
その先には健康があった
そこに主観が「対価を得た」というレッテルを貼り付けた
ただそれだけのことさ

素手でトイレ掃除を続けた人は
避けようもなく
素手でトイレ掃除を続けざるをえず
避けようもなく
その先には富があった
そこに主観が「対価のレッテル」を貼り付けた
ただそれだけのことさ

パワースポットを歩き回った人は
避けようもなく
パワースポットを歩き回ざるをえず
避けようもなく
その先には成功があった
そこに主観が「対価を得た」というレッテルを貼り付けた
ただそれだけのことさ

感謝の言葉を欠かさなかった人は
避けようもなく
感謝の言葉を欠かさずにはいられず
避けようもなく
その先には運気があった
そこに主観が「対価を得た」というレッテルを貼り付けた
ただそれだけのことさ

事実
同じことをしても
同じ対価を得られない人がたくさんいる
ことが
そのことを証明しているよ

だからこそあらゆる賢人は
くり返しくり返しこう言うんだ
「今を生きよ」ってね

「対価を得たいだなんて考えはよこしまだ」
そんなことが言いたいわけじゃないよ
ただね
「今やりたいことをやる」を目的にするんじゃなく
「対価を得ること」が目的になった瞬間から
その人はありもしない「未来」を追い始め
ありもしない「過去」を振り返り始め
「今」見失うんだ

無条件にただそうしたい
無条件にそうせずにはいられない
それが「今を生きる」ということ
ひょっとしたら新津さんは
清掃という居場所をとおして
「今を生きるすべ」を見つけたのかもしれないね










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Seven Deadly Sins / Man with A Mission(マン・ウィズ・ア・ミッション)」
作詞 Kamikaze Boy . Jean-Ken Johnny

Hello desire Your my old friend
やあ欲望(対価) ぼくの古き友人
But I don’t need you here again
でも もう君には用はないんだ
Just take a walk Go back inside
ぼくのこころの奥深くへとお帰り
I’ll see you on the other side
ぼくは「今」で待っているから





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sayamaさん、おはよ!

ぼくも同じことを思ったよ。

「やさしさ」ときたか!みたいなね。

いろんなふしぎ発見!があるね!

はつねさん、おはよ!

コメント欄のやりとりも面白いと感じてもらえるだなんて、ブロガー冥利に尽きるね!

そしてその半分はkonchikiさんや読者のみんなのおかげ!

いつもありがとう!

No title

>konchikiさん

恐縮す!

>どみどりくん

「清掃」を「やさしさ」って言い切る新津さんの発想に驚き。その二つがつながったことなんて一回もない。
「今」の境地にある何かなんだろうな。

こんばんは!

すごい!(^^)!
面白い(*^_^*)

どみどりくんの記事もコメント欄でのやり取りも読ませていただいたけど全部すごい面白い☆

読ませてくれてありがとう。

No title

konchikiさんのコメントに答えることで、自分にとって斎藤ひとりさんや小林正観さんがどういう存在だったのか。どうして整合性がないことばかり語っているお二人なのに、嫌いになることができないのか、気づくことができたんだよ!

刺激してもらっているのはぼくも同じ。

konchikiさんやsayamaさんをはじめ、読者のみなさんや日常生活とのかかわりの中で、いろんなことを教えてもらっているよ。

ほんと、教えてもらうことばかり!

No title

どみどりくん、ありがとう。

まさかどみどりくんが、斎藤ひとりさんや小林正観さんを大好きなんて!

私は正観さんを全然知らないのだけど、ほんとにどみどりんが言うように、
「このレベルを学ぶ段階にある人の体験を担う役割を与えられた内の何人かが、お二人なんじゃないかなって。」
思ってる。


どみどりくんのブログを読むと、なにかが刺激されるんだよね。
(そして、sayamaさんのやさしさとセンスがきらっと光るコメントにも)
で、ついつい、聞いてみたくなる、書き込みたくなる。すいません(;´∀`)

ありがとうございました。



確かに夜中に働くんだから「夜勤」て言えば、夜勤だね(*´▽`*)

konchikiさん、夜勤お疲れ様!

ぼくも斎藤一人さん大好き。

トイレ掃除のふしぎを教えてくれた小林正観さんも大好き。

konchikiさんが言うように、お二人とも「暖かい」っていう言葉がピッタリだね。

トイレ掃除をしたからって金運がよくなるわけもないんだけれど、でも不思議なことに、やり始めた最初の一ヶ月くらいだけ、思わぬ収入が続いたりして驚いたりしてた頃もあったんだけれども。


思うに、konchikiさんが言った、

>だったらさ、とてもいい運に出会ったとき、
脳(か何か)が、トイレ掃除をしたから運が良くなった、という物語をみせているのかも?!って、思うんだよね。

まさにこれだとぼくも思うんだよね。
レベルっていう言い方はあまり好きじゃないけれど、それぞれの人に段階的に体験する学びみたいなものがあって、「人知を超えた力にフォーカスする」くらいが初級者レベルの体験で。

このレベルを学ぶ段階にある人の体験を担う役割を与えられた内の何人かが、お二人なんじゃないかなって。

いずれにしても、不可視な存在は意地悪だなあって思うよ。「本当だった!」って思わせといて、「やっぱり違かった」ってがっかりさせてくるんだもん笑
でもそこを通るからこそ、次の段階に行けるのも確かなんだよね。


>だとしたら、人生は、壮大な、ほんとに壮大な白日夢を毎瞬毎瞬見せられてるのかも・・って。
どうなんだろ。。そういうこと?

うん。そういうことだよね、まさに。


記事の主旨とは見当違いなことなんて何もないよ。
一見するとなんの繋がりもないようなことも、必ずやどこかで繋がっているんだ。それがたとえ中身のないバラエティー番組みたいにくだらないことでもね。
見当違い大歓迎。

だから、そのときのkonchikiさんの内なる声やインスピレーションを大事にして。ぼくもそうしているよ。

僕の方こそ、昨日は「今を生きれるかどうかは自分の力じゃどうにもならない」って言ってたかと思えば、今日には「今を生きよう」って言うもんだから、読者のみんなを混乱させるよね。

でも、「起こることが起こる」っていう、非二元的な真理って、それを言っちゃあおしまいよっていうか、それを言ったら他に言うべきことが何もなくなっちゃうんだよね。
SF映画を見ながら、「ウソの話を見て何が面白いの?」って言ってるようなもんで。
賢者テラさんもよく言ってることだけれど、せっかく映画を見に来てるんだから、映画を楽しもうよって、思うんだよね。
「非二元」は、映画の世界に没入しすぎて苦しくなったときに、「おっと、そうっだったこれは映画なんだったっけ」って我に返るためのカンフル剤であれば十分なのかなって。
だって、悟ろうと何しようと、映画は続くわけだしね。

だからぼくのブログは、二元のふしぎ発見!と非二元のふしぎ発見!を行ったり来たり(厳密には二元のことしか言葉では書き表せないけれどもね)。
たぶんこれからもそういう感じでいくと思うよ。



konchikiさん、遅くまでお仕事お疲れ様でした。
いつもありがとう。

No title

おはよー

どみどりくんの言いたいことは、「今に生きる」とか別にあって、
konchikiの聞きたいことはせっかくの記事の主旨とは見当違いなんだよね、ごめん。

いつかさ、気が向いたときに記事に書いてくれたら嬉しいかなって話でした。

じゃあ、今日は徹夜仕事だったから今から寝る(笑)

No title

斉藤ひとりさんは暖かい人だよね。


でね、前から気になってたんだけどね

夢みるでしょ?寝てるとき
例えば崖から落ちる夢
いろんな出来事があって、最後にうわーっ落ちる!で目が覚めると、実は頭が枕から落ちるとこだった、というような。

これって、ずっと不思議だったんだ。

未来に頭が枕から落ちることを知っていて脳が物語をつくって夢にして見せてるのかしら。。?って。


で、何かで読んだんだけど、頭が枕から落ちる瞬間に、脳がすべての物語りをつくってみせているんだという説。
なるほどなあって。

だったらさ、とてもいい運に出会ったとき、
脳(か何か)が、トイレ掃除をしたから運が良くなった、という物語をみせているのかも?!って、思うんだよね。

だとしたら、人生は、壮大な、ほんとに壮大な白日夢を毎瞬毎瞬見せられてるのかも・・って。
どうなんだろ。。そういうこと?

文章下手だから伝わらなかったらごめんね。


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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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