プロタゴラスに始まり、プロタゴラスに終わる世界だよ

人類史において
まだ「哲学」という概念すらなかった
紀元前のギリシャ
そこには
プロタゴラス 
という哲学者がいたんだ

プロタゴラスが残した言葉
その中でももっとも有名なのが
これ

「人間は万物の尺度である」

この言葉が
相対主義
誕生の瞬間さ

相対主義
それがなんなのかというと
ざっくり言ってしまえば

「みんなちがってみんないい」
とか
「価値観は人それぞれ」
とか
「人生いろいろ」
とか
「よそはよそ うちはうち」
とか
そんなところかな

プロタゴラス
アテナイ(現アテネ)を中心に
お金を受け取りながら
徳を教えてまわるという
現代にあてはめるなら
講義やセミナーだったり
トークライブのようなことをしながら
収入を得ていた人で
そういう人々は
この時代のキリシャでは
ソフィストと呼ばれたんだ

人それぞれだよね
という
神話や言い伝えなどに
とらわれない
自由で理性的で
極めて現代的な
そんな考え方が
2500年も前の時代に
ギリシャではもてはやされていた
そのことに素直に
おどろくと同時に
時期を同じくして
北インドには釈迦
黄河流域には孔子が誕生した
ということが
その後のこころの病うずまく世界
予兆しているかのようだね

そしてギリシャでは
そんなプロタゴラスの
相対主義に異を唱え
「絶対なるもの(絶対主義)」を求めよと
立ち上がる者たちがいたんだ
それがソクラテスであり
プラトンだったよ

そしてこのとき
「絶対なるもの」を求めて
「哲学」は概念として
始動し始め
2500年ものあいだ
人間は「絶対(真理)」を求めて
哲学の旅をしてきたんだ

けれども
それから2500年後の今
インターネットという
共有システムの普及とともに
「絶対なるもの」
それが仮に在るものだとしても
ある特定の集団としては
共有可能でも
地球すべての人で
共有することまでは
さすがに不可能
であることに
多くの人々が
気づきはじめてきていてね

それもそのはずで
なんせこの世は
相対世界だもの
相対世界にあって
100%の絶対を認識することは
土台無理な話
なぜならば
絶対を見つけたその人が
相対の存在である限り
認識した(インプット)絶対も
語られる(アウトプット)その絶対も
相対へと変換されてしまう
から

つまり人々は
2500年もの時を経て
360度まわって
プロタゴラスから始まった

「人間は万物の尺度である」

そのスタート地点
今まさに
回帰しようとしている
そう見ることもできるんだ

けれども
今度の相対主義
プロタゴラスが唱えていた
その頃のものとは
その質感も 
その重みも
流された血と汗と涙の量も
まったくちがうもの
であるはずだよ

絶対の極地
そこを2500年かけて
命懸けで目指したからこそ
相対世界における
相対であることの
真なる価値に
目覚める人々が増えて来た

そんな気がしているんだ

そしてそんな相対ゲーム
攻略マニュアルを提示したのが
ご存知 孔子

そんな相対ゲーム
仕組みやシステムを提示したのが
ご存知 釈迦

そんなとこかもしれない








今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみのこころの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「人生いろいろ / 島倉千代子」
作詞 中山大三郎
作曲 浜口庫之助

人生いろいろ
男もいろいろ
女だっていろいろ
咲き乱れるの





クリックしてくれた方も、してくれなかった方も、どちらもありがとう。いつもありがとう。
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テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん、おはよ

攻略本読むのって楽しいんだよね。

でも、攻略本に頼りすぎるとゲームが面白くなくなっちゃうっていうか。

人生ゲームにも多分にそういう側面があるなあって。

No title

子供の頃よくゲームの攻略本読んでた。でもゲームがどういうふうに作られてるかなんて気にしたことなかったな。
ワンクリックいただけると励みになります。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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