映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート5

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※ブルーレイ&DVDの発売を記念して、パート5をやっちゃうよ!※


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この映画をとおして開眼する
ふしぎ発見!については
4回の記事で
完結した(つもり)だったんだけれども
パート5を銘打った今回は
「マッドマックス 怒りのデスロード」
ある一人の登場人物をとおした
学ぶべきふしぎ発見を
ここに書き記さずには
いられなかったからなんだ

かつて国家が存在した頃
水と石油を巡って
核兵器による大戦争が勃発
現代文明は崩壊したよ

そしてその45年後──

生き残った者たちは
汚染された世界の中で
物資と資源を武力で奪い合い
砂漠化した荒野を
要塞シタデル(砦)を拠点に
独裁的に支配下に納めたのが
ヒュー・キース・バーン演じる
元軍人のイモータン・ジョー

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ジョーは
物資と資源の独占にとどまらず
あらゆる人々を奴隷化し 洗脳し
自らを崇拝対象の地位にあらしめ
一神教的社会を構築することに
成功したんだ

そんなジョー率いる
戦闘集団ウォーボーイズ
汚染された世界に在って
病に侵され
長くを生きることのできない
希望なき人生を──

よくいえば
イモータンジョーに
拾われた存在
わるくいえば
イモータンジョーに
利用された存在


死をも恐れず
イモータンジョーにその身を捧げ
戦いに玉砕する者の魂は
永遠に光輝く──


イモータンジョーという
神の言葉は
彼らウォーボーイズ
勇猛果敢に死することを
至上のよろこびとする
最強の戦闘集団に
仕立て上げていったんだ

そしてその
ウォーボーイズの一員
ニコラス・ホルト演じる
ニュークス

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英雄として
死することができる
二度のチャンスを逃し
挙げ句三度目の
本命的大チャンスには
イモータンジョーの
一番のお気に入りの妻を
死なせてしまうという
大失態を犯し
裏切り者である
フュリオサ大隊長の逃走車(ウォー・リグ)
その中に呆然と残されたまま
絶望の淵で
生きる意味を見失うんだ

そんなニュークス
裏切り者の逃走車の中で
今生において
もっとも大切で
もっとも重要な
覚醒的出会いを果たすよ

その相手が
イモータンジョーの
妻の一人である
ライリー・キーオ演じる
ケイパブル

ジョーを崇拝する
ニュークス
ジョーを唾棄する
ケイパブル
衝突し
その結果──

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ニュークス
イモータンジョーによる
長き洗脳から解脱し
イモータンジョーの
独裁体制に反旗を翻す
フュリオサ大隊長
ジョーの五人の妻たち
そしてその大逃走劇に
巻き込まれる形になった
主人公マックス
意志を共にすることによって
真に生きる意味を
見い出していく
んだ

そんなニュークス
ケイパブル
二人の友達を
紹介するシーンがあって

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ラリーとバリー
そう名付けられた
病から誕生した
二人の友達


ニュークス自身を
苦しめはしても
決して快楽を与えはしない
ラリーとバリー
「友達」と親しみを込める
ニュークスのその感性に
人生における
とても大事なこと

開眼せずにはいれられなかったんだ

ニュークスだけじゃないよ
きみにも ぼくにも
すべての人に
肉眼では確認しようがない
ラリーとバリー

存在していて


むろん
どんな人であろうとも
ラリーとバリー
猛威をふるう
そのときには
不自由と不健全を感受し
どうにかその苦痛から
解放されることを
切に願うにちがいないよ
けれども
ラリーとバリーが
大人しくしていてくれるときには
自由と健全の元に
世界に対して行為することができるという
その 一見すると
あたりまえのことでありながあら
果てなく貴いものに
感謝せずにはいられなくて


健全や健康であることをしか
知らぬものが
このよろこびにありつけることは
決してできない
という真実
そのことにニュークス
気づいたにちがいないんだ

でなければ
忌むべき病に
笑っている顔なんて
描けやしない


最後に
釈迦が弟子の阿難
語ったとされる言葉を
少しかみ砕いてみたりしつつ
パート5を終わりにするよ

阿難
「なあブッダ
ぼくたち聖なる道を歩まんとするものたちが
よき友を持ち
よき仲間とともにあるということは
すでにこの聖なる道の半ばまでを
成就したに等しいと思うんだが
ちがうかな?」

釈迦
「アーナンダ
それは違うよ
よき友を持ち
よき仲間とともにあるということは
この道(人生)のすべてさ」











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「リユニオン / RADWIMPS(ラッドウィンプス)」
作詞 野田洋次郎

友達の意味なんか 
俺は知らないけど
もしもこれがそうじゃないなら 
いらないや
もう知らないや






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yoku358さん

ぼくにも大切にしていたペットを自分の不注意で死なせてしまった経験があります。

その悲しみと悔しさと衝撃は、そう簡単には忘れられません。

新たにペットを飼ってみようか、という気になるまでに長い年月を要しました。

そういう気になれたのは、ブログを始める少し前くらいのことだったように思います。

つまり、この世界のなんたるかを知った、そのときからです。


No title

ごめんなさい~
犠牲にしてしまった命の大きさに
もう、耐えられない~
思い出してしまった。
いや、忘れてはいけない命の尊さなのかもしれない~
ちょっとナーバスになってます。今
ってか、私の責任なんです。全て
私の弱さで私の身勝手さで
私の都合によって犠牲にしてしまった
大切な、大切な命なんです。

yoku358さん

摩擦もまた、よくもわるくも二元世界ならではの醍醐味ですね。

わお!ニューブログ、ついに立ち上げたのですね!
明日ゆっくり拝見します!

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No title

私が学ばなければならない事、一体化からの分離
なぜ分離が必要だったのか?一体化では計り知れない
距離感なのだと思えました。
私にとって距離感、常にそこに摩擦が生じていたのは否めない。

yoku358さん

大丈夫です。
yoku358さんが仰ってくださっていることの細部まで完璧に理解しているわけではありませんが、言葉を超えたものが行間から伝わってくるのです。
気を悪くなどしていませんよ(^^)
確かにyoku358さんはいつも文量が多めなので、まとまった時間があるときでないとなかなかちゃんと読むことができないのですが。
ただそれだけのことで。

ぼくもyoku358さんも、人間としてのタイプは全く違うのかもしれませんが、根っこにある部分は一緒なのだと思います。

そして、こうして巡り合ったことは、だからこそでもあると思うのです。

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yoku358さん

ぼくも前作をずいぶんと前に観たことがあったのですが、今作は前三部作のいいところだけを抽出し、かつ、その3つが想定外?の化学反応を起こした結果、映画史に残る傑作へと昇華されたのではないかという、そんな印象を受けました。

釈迦の指し示す「よき友」とは、2500年の時間経過の中で「人間」のことを指し示しているように解釈が変わっていっただけで、本意としては「体験しうるすべて」のことを言わんとしていたのではないかと、ぼく個人は受け止めています。


sayamaさん

ぼくもフライングゲットしたよ!

sayamaさんにもついにWhat a Lovely dayのときが来たんだね!

あ~宇宙の叡智とは・・・・・

映画には疎いのですが、この前作を見たような気がします。

釈迦の言葉で唖然としました。
私は、私の歩調で歩いていると思っていましたが
そうではなく、夫の手のひらでただ無邪気に転がっているだけなのだと
しいていうなら、私の最良の友は、家族ですね(^_-)-☆
あの日あの不思議な感覚(縁)で結婚を決意し
子供は持てないはずだったけど・・・・子供にも恵まれ
(子供のできない夫に、子供を与えてあげたと思い上がっていたけど・・・
子供を授かったのは、私の方かもしれない)
全てを与えてくれたのは、夫の深い深い愛
時々、それを垣間見る。
夫の愛は、あまりにも大きくあまりにも深すぎて
私には見えない時があるのです。
私は、時々人の心というものが無いんじゃないかという、恐怖を覚える時がありますが
だからこそ、こんな夫と結ばれたのでしょうね
結婚してあげた!(苦労ばかりしてきた夫に、せめて私だけは苦労をさせまい)
と夫を救った気でいながら、救われたのは
私自身だったのかもしれません。

No title

今日届いて、今見終えた。これからもう一回見る。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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