改善の余地があることこそが「救い」であり「パーフェクト」を意味する世界だよ

きみの眼前に
どの角度から覗いてみようとも
いっさい
手をつける必要性がない
聴く必要性がない
嗅ぐ必要性がない
味わう必要性がない
感じる必要性もない
パーフェクトな世界

広がっていることを
想像してごらんよ

まあ
そんな世界を
絵として想像すること自体
不可能なことなんだけれど
ぼくがいったい
何の話をしているのかというと
もはやきみは
なんにもする必要性がないし
もはやそこに
何かをできる余地もない
仮にそんな状態にまでに
到達することができたなら の話さ

そんな状態にあるならば
あらゆる煩悩も
あらゆる苦しみも
存在するはずもなく
完璧に解脱している
のだから
一見すると
それ以上の悦びは
他にはないようにも思えるね

けれどもね
何も見る必要性がない
何も触れる必要性がない
何も聴く必要性がない
何も嗅ぐ必要性がない
何も味わう必要性がない
何も感じる必要性もない
その極地に在る状態のままに
人生を味わうということが
どう足掻いたところで
不可能である
ということに
きみは気がついただろうか

だってね
「人生を味わう」も何も
そこにはもう
味わうための余地はないし
そこにはもう
味わう必要性が残されていないのだから
言ってみれば
その人は
世間一般で言う
「死」
その地点に到達したのと
同じこと

あえて断言するよ
「釈迦」という人物は
存在したかもしれない
けれども
「ブッダ」なんて人物は
存在しないんだ

なぜならば
この世界は
改善の余地がない人物が
存在することが
できない世界だから
物理的に
そういうふうにできてしまっている
世界だから


語り継がれていく中で
勝手に一人歩きしはじめ
勝手に神格化されはじめ
権力者や支配層の都合よく
大衆扇動や
ヒエラルキー維持のツールとして
利用されていったもの
それが「ブッダ」の正体さ

「でもさ
すべての人がブッダなんだよって
どみどりくん言ったじゃない」


そのとおりだよ
でも ぼくが言うブッダは
神格化されたブッダのことじゃなく
人間も 宇宙も あらゆるすべても含む
この世界そのもののこと
を意味していて──

いいかい
つまりはこういうことさ
パーフェクト(であるはずだった)存在は
あるときふと思った?んだ

「何も改善する必要性がなく
何も改善する余地もない
無の状態であるということは
なんと退屈なものなのだろう…
これって本当にパーフェクト?
ん? 待てよ…
退屈と思っちゃってるその時点で
ちっともパーフェクトなんかじゃないじゃん!」

てね

で パーフェクトな存在自身でもある
この世界(二元世界)が誕生


「無」であることが
パーフェクトなんじゃなく
改善へと流動しつづける状態
変化へと流動しつづける状態
ふしぎ発見!へと流動しつづける状態
その流れに身を置き
流転ていくことこそが
永遠であり
「無」を超えた
究極のパーフェクト
だってことに
パーフェクトな存在は
気がついて──


つまりね
この世界は
最初から救われていたし
これからだって
救われつづけていくんだ
最初からパーフェクトだったし
これからだって
パーフェクトでありつづけるんだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「years / サカナクション」
作詞 山口一郎

僕たちは薄い布だ
折り目のないただの布だ
影は染まらず通りすぎて行き
悲しみも濡れるだけですぐ乾くんだ






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sayamaさん

「思いついた」とか、「退屈だったから」っていう表現は方便で、実際のところは(こことはシステムが違う一元の話だけに)誰にもわかりようがないけれど、そんなところなんじゃないかとぼくが勝手に思っているよ。

No title

自作自演で自分をだましだまし流転させてく手法を思いついたんだな、パーフェクトな存在は。

ネリムさん

こんばんは。
改善と似てますが、「工夫」という言葉も好きです。

リンクの件、了解しました。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

yoku358さん

他人に歩調を合わせることになろうとも、自分に歩調を合わせることになろうとも、どちらを選択しようともyoku358さんには変わりません。

あとはyoku358さんのお好みで!


思いつくままにする落書きって楽しいんですよねえ(゚∀゚)

こんにちわ
改善がある。素敵な言葉だと思います。

リンク貼らせて頂きました。
今後とも宜しくお願いいたします。

追伸

共感、共鳴、協調、それは、相手に対してとても心地よさを与えるけど
だからといって、自分を押し曲げることはしてはならないのだとおもいました。
ここに落書きをする事を許されることで、私が私である事を思い出し、私であることを認識し、私であること
私が私として生きてこそ、私としての一部こそが今生の私の生であることに間違いはないのだと思えるようになったのです。
誰かに歩調を合わせて歩く幸せもあるでしょう、しかし、自分の足で自分の歩幅で、自分の歩調で歩く幸せがあるのだと知ることができたのです。
落書きなら、よそでしろ!と言われるでしょう。しかし、他の人の落書きを見聞きする事は、大いなる叡智の他の一部を垣間見れるチャンスでもあるわけで(; ^ω^)
気にしないでください~神経を逆なですることを書く事もあるかもしれません。
しかし、それもどみどりくんから見たら、大いなる宇宙の智慧の一部でもあるという事だけ、付け加えさせて下さいな(⌒▽⌒)

No title

個を通して、全へと繋がる
個を信頼できて始めて、全を信頼できるというもの
現実なくして、精神世界もないし
上のごとく下も、下のごとく上も
ヘルメス主義

ただし、個とは本来のあるべき姿の個であって
作られた個から抜け出せた個
本当の自分を恐れたり、恥じたりしているうちは
全との繋がりは途絶えている、いや、そっれもまた全なのかもしれないし・・・・離れること事態が本当は不可能なのかもしれません。
本当の自分でいる時こそ、一体化している
繋がっているか離れているか?の感覚も掴めてきましたよ。
何やってるんだ私!と思っているときは、離れてたんだな~
個は、あくまでも全の一部であって
どみどりくんも私も
全ての人々が、全のほんの一部に過ぎない。
これは、果てしない智慧、広大な智慧の多分砂粒ほどの知識に過ぎない。
誰が正しいかではなく、全ての人の全ての智慧は
宇宙全体の一部の智慧なのだと思っています。
だから、論争するのではなく(論争する事も、ある意味一部である
個を知る方法の一つでもある)
それら一部一部を受け入れていくことで、砂の数が増えるというもの・・・・だと私は思っています。
全世界の相反する智慧をも自分の中に取り入れる事ができたとき・・・・それが全なんでしょうね
人間である以上(個である以上)、現実世界ではそれは不可能
戦争をなくしたり、貧富の差をなくしたり、肌の色をなくしたり
違い!を取り除くことは、現実世界で存在するには限界があるのだと思いますよ。私は幽体離脱の経験がないので(; ^ω^)
現実世界は、不完全を味わう為に存在しているのでしょうからね。
完全を目指すから、苦るしみが生まれるし、またその苦しみを味わうための不完全な世界(現実)なのかもしれないし
って、ま、何でも有り!こそが全である事
それは、受け入れることができないまでも否定する事もまたできないのだろうな~
だから、私のこのコメントもある意味
宇宙という大きな黒板の隅っこに描く落書きのようなもの
だれかに、訴えるとか届けるとかでなく、まったく無意味な落書きです。

yoku358さん

ぼくにとっては毎日が未知なる道ですね。
何の予測も付きません。

明日死ぬかもしれませんし、明日このブログが終わるかもしれません。
まさに「未知(みち)」であってこその「道(みち)」というわけです。

いち個としての自分には何の信頼もありませんが、全としての自分においてのみ、ゆるぎない信頼がそこにはあります。

追伸

神は、必要なアイテムをどこかに誰かによってもたらす
しかし、その隠し場所は知るべきタイミングでしか得ることができないんだよね~
それは、そこへの道しるべがどこにあるのか?を知った時
先日手を打っておいたところから、息子の事故に関する事で
今朝電話がありました。
新たな道が開けました。
知ってることなら動けるけど
未知なる道へ進むときこそ、自分への信頼が必須となっているんでしょうね~
不安や恐怖を打ち砕く勇気と絶大なる信頼
それが、道しるべなのだと思いました。

出口

ようやく、出口が見えましたよ~
究極の答え・・
前からそうだけど、トイレに入ると答えが見えてくる。
トイレの神様と通じるんだろうな(笑)
息子の交通事故と私の状況が同時進行で繋がっていて
もう、誰も信じられない!という切迫した感情
そこに行き着くことが必要だったのだとね
そうなって始めて、人は自分しか信じられない!という思いにかられる。
そこで、真に信頼できるのが自分なのだと始めて自分の答えに自信がもてるようになる。
今まで私は、簡単に人を信じすぎてきて・・・・・答え合わせを他人にしてきたけど
それは、もはや自分自信を信じていない!という事
ここにきて、この一連の現象は
己を信じて進めという事だったのだと気づかされました。
この現象にも変化が見えてくるはずです。
あ~長かった~

yoku358さん

津留さんというメッセンジャーの方がいるんですね。

ぼくも津留さんの赤いメッセージに共鳴するものを覚えます。

No title

最悪!嫌悪感!
そんなどん底の中にいると
嫌でも育つものがある。
そして、嫌でもそこから実るものがある。
その果実の味が、どんなにまずいものであっても
味わい続けなければならない時がある。
それは、始めての味だから、まずさだから
すぐにでも吐き出したくなってしまうし
悦び事で、美味しい果実を味わい続けたい!と思うのが人情だけれど・・・
しかし、同じ味ばかりでは飽きてしまう。

飽きたら食べられないけど、慣れたら食べられる。
それが私の人生のモットーだった。
このまずさも、いずれ慣れる事で気にもならない時がくるのでしょう。
気にならなくなる!それが、終焉の時なのだろうな~
終わりはないけど、気にならないから
それを味わっていることに気づかなくなる。
抜け出す事に必死になると、それに気づけない。

このままで何一つ問題がないところから創造した、問題の世界が今ここなのです。ここは問題の世界、あなたの人生ゲームを存分に楽しんで下さい。あなたはそのままで何ひとつ問題ありません。そのままで完全です。不完全なあなたこそが、今ここにいる理由なのですから。

という津留さんのメッセージは、読むだけでは理解しがたいものだったけど

体験こそが、それを感じ取る能力へと変貌させるんだね。

このブログが役に立ってると思った方はぼく↓をクリックしてもらえるとうれしいです。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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