どみどりくん クリスマス編 前編

いつもどみどりくんのブログに遊びに来てくださりありがとうございます。
管理人であり、どみどりくんの分身でもある「じゃっく」と申します。

今年も残り僅かとなってしまいましたが、本当はクリスマスに掲載する予定だったものの、間に合わせることができなかった、どみどりくんの対話形式ショートストーリー第5弾を掲載させていただきます。

それではお楽しみください。





12月24日。太陽が傾き始めたころのことです。
クリスマスツリーの飾りつけを整え、サンタさんの水分補給のためのきゅうりを準備し、サンタさんへのねぎらいの手紙を書き終え、あとは手紙に落ち葉アートをほどこすのみとなったどみどりくん
落ち葉を拾いに、近所の公園にやって来ました。

いい色合いの落ち葉を探していると、二十歳前後の目つきの鋭い青年が、壁に向かって何やら石のようなものを投げつけています。

どみどりくんが目を凝らして見れば、それがミドリガメであることを確認できました。

青年の足元には、動かなくなったミドリガメが折り重なっています。

どみどりくんは、じっと、青年を見つめていました。

どみどりくんの存在に気が付き、自嘲するような笑みを浮かべた青年は、囁くような声で言いました。

「おまえ…あれだろ、どみどりくんとかいう…」

どみどりくんは、何も答えませんでした。

「その服装でわかったぜ。ほんとに全身みどりいろなんだな、おまえ」

どみどりくんは、何も答えませんでした。

「言えよ、可哀想だからやめなよって。そう言いたいけど、言ったらオレが何をするかわからないから、怖くて何も言えないんだろ?」

どみどりくんは、何も答えませんでした。

「こいつが外来種だって、知ってる? こいつが日本に居座るようになってから、日本にもともといた気性の優しい亀は居場所がなくなって、数がどんどん減ってる。だからさ、オレはこいつらが冬眠してる場所を見つけ出して、こうして淘汰して、もともとの亀が住んでた池に戻そうとしてるってだけのことだ。一人保健所みたいなもんだよ」

「今に人間を淘汰する保健所もできるかもしれないね」

「あるじゃねえか、人間同士の殺し合いを仕掛け続ける国家規模の保健所が」

「さあね、ぼくにはわからない。その保健所のバックにもまた、仕掛け人がいるかもしれないじゃないか。透明人間にでもなって実際に仕掛けてる現場でも抑えない限り、真相は永久に闇の中だよ。
仮に仕掛け人が表に出て来てすべてを自白したとしても、その人が本当のことを話しているのかどうか、誰にも確かめるすべはない。
仮にリアルタイムに現場を見ていた人がいたとしても、その人が見たものをねじ曲げたり誇張したりしていないかどうかは、決して誰にもわからないし、最終的にはおのおのの主観で判断するしかない。
つまり、この世界では永久に確かめようがないことが日々山積みになり続けてる。そして人はそれを「歴史」と呼ぶんだ」

「おまえ…おもしれえやつだな。噂じゃ、愛と平和の象徴みたいなやつって聞いてたから、バカな大人にいろいろ吹き込まれて偽善の押し売りでもしてるやつなのかと思ってたけど…意に反して気に入った。
どう? おまえもやる?」

「遠慮するよ。ぼくはミドリガメもその他のカメも好きだし、攻撃されてもいないものに対してそんなことできない」

「へえ、おまえの好きなカメがこんな目にあってるってのに、よくそうやって冷静に見てられるな」

「冷静なんかじゃないよ。たまらなくイヤだし、たまらなく悲しい。けれど、ここから進むことも、立ち去ることもできずにいるんだ」

「気持ちはわからないでもないな。オレがしてることも、他のすべての人間がしてることも、善とも悪とも判別ができないものだからな。どこにも怒りの矛先を向けようがない。
も、も、木の葉がひるがえるみたいに、どこまでも流転し続けるんだ。
で、誰にもそれは捉えられない。
なぜかというと、実は最初からそんなものは無いから。
まことしやかな常識を疑いもしないバカどもにこんなこと言っても馬の耳に念仏だけどな」

「判別はできるよ。ただしそれは、いかなる人物が判別しようとも、「善」と「悪」という基準での判別ではなく、「好き」と「嫌い」という基準での判別でしかない。だからやっぱり、きみが言うとおり「善悪」なんてものはどこにもない。あるのは「好き」と「嫌い」それだけ。
そしていま、きみがしていることは、まぎれもなく「嫌」なんだ。このぼくにとってはね」

「それってようは、人の数だけ言い分があるし、人の数だけ真実があるってことだよな。だから「真に正しい基準」なんてものは、どこにも無い。
法律ってのもさ、金と権力を得て威張りたいやつらの都合や嗜好で決めたルールでしかないわけだ。 
バカの決めた善悪基準に、バカが従う世界じゃあ世話ないぜ」

「国によっては、その威張りたい人たちが決めた好き嫌いの基準に基づいて、戦争が「善」になるし、大量虐殺も「善」になる。人をたくさん殺した人が、英雄視されている国すらもある」

「な? それを考えれば、オレの今してることなんてたかが知れてるだろ。この死体の山がスッポンだったら食用として正当化され、食用じゃなければとみなされる。
この国がミドリカメを食す国だったら、誰もオレの行動をとがめないが、ミドリガメを祀る国だったら、オレの行動はとみなされる。
いやあるいは、ミドリガメを食す国だとしても、ミドリガメにリスペクトがない扱い方をすれば、やっぱりそれはとみなされる。
虫一匹殺さないとぬかす連中も、
毛皮の服は着ないとぬかす連中も、
自分の手で殺せない動物は食べないとぬかす連中も、
殺処分0を目指すとぬかす連中も、
反戦運動に躍起になってる連中も、
どういつもこいつも笑わせやがる。
ここまで来ると、まさにおまえが言う「好き嫌い」の問題でしかなくなる。
個人や集団にとって都合のいい殺傷はとされ、都合のわるい殺傷はとされる。
そうやって自分に利がある殺傷には「善」のジャッジを下す連中が、ご都合主義的善悪認識をでっちあげ、自らの善悪観を正当化する。つまりは結局自分さえよければいいんだ。
オレの善悪観と、連中の善悪観、狂ってるのがどちらなのかは明白だろう?」

「狂っているのがどちらなのかもまた、個人の好き嫌いで判別される問題でしかないよ」

「はは! そう言うと思ったぜ」

「問題と銘打たれるあらゆる問題が、個人の好き嫌いの問題でしかないことを誰しもが知らないことが、何より問題なんだ。好き嫌いの磁力はときには、1+1の答えも変えうるし、血縁関係だって変えうるし、歴史認識も変えうるし、白でしかないものを黒に、黒でしかないものを白に変えうるんだ」

「科学者アインシュタインが、科学者ボーアの理論を非科学的な理由で認めなかったことも、好き嫌いの範疇の問題と言えば、そうなのかもな」

「そうだね。そして人は自分の思いどおりに「好き」を決めることができなければ、「嫌い」を決めることもできないし、自分の思いどおりに行動することも、思考することもできないことが、この世界の究極の動因になりえるコアの部分なんだ」

青年は耳を疑うような素振りを見せたかと思うと、しばらくのあいだその場に立ち尽くし、我を取り戻すと、おもむろに一匹のミドリガメを手に取りました。

「…オレが今、こうしてほら──」

青年は振りかぶり、ふたたびミドリガメを壁に投げつけます。

「自分の意のままに、ミドリガメを殺すことができる。
オレはだとかだとか、法律だとか道徳だとか、何者からも何の縛りを受けることもなく、好きな時に好きな場所で、思いどおりに好きな場所に行けるし、好きなことが考えられるし、生き物の命を奪うことだってできる。オレは自由だ。
オレはオレの中にだけある好きと嫌いに、忠実に生きることができるし、これからもそうすることができる。…だろ?」

「いま、自分で言ったよね。「オレの中にだけある好きと嫌い」に忠実に生きることができるって。気がつかないかな。「オレの中にだけある」と発言してしまっているその時点で、きみは偏見の足枷を引きずっているし、主観の檻に閉じ込められてる。きみはちっとも自由なんかじゃないんだ」

「何を言ってやがる…」

「偏見や主観を克服しなければならないなんて言ってるわけじゃないよ。
はじめに、偏見や主観をはっきりと認識してしまっている以上、自らが偏見や主観を抱えながら生きていることを認めたその先にしか、本当の自由はひらかれないってことだよ。
偏見や主観を産みだしているものは、きみじゃない。好き嫌いや善悪を判断しているものも、きみじゃない。
なぜならば、きみがスタートライン(誕生)を踏み出たそのときから、きみは一方的に与えられた肉体、一方的に与えられた偏見や主観、一方的に与えられた環境や人間関係の道筋のままに、ここまでの人生を歩んできているから。
すべての人が、自分で選択しながら生きているように見えて、実はすべて選ばされて生きてるんだよ。
つまりね、行為しているのはきみだとしても、行為者はきみじゃないんだ」

「…いちおう訊いてやるよ。その行為者ってのは誰だ」

世界(全)さ」



《クリスマス編 後編につづく》
                          









今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けていようとも
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「IN THE FLIGHT / FISHMANS(フィッシュマンズ)」
作詞作曲 佐藤伸治

ドアの外で思ったんだ あと10年たったら
なんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何も出来ないよ
僕はいつまでも何も出来ないだろう






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

planetさん

ああ、そんなふうに解釈してもらえることは、ぼくの意図するところですし、とてもありがたいことです。

ぼくにとっても、planetさんはもちろんのこと、お互いの顔が見えない様々な出会いと、その出会いによる化学反応のようなものをたくさん体感した1年でした。

ありがとうございます。
今年も残り半日。
planetさんがよいお年を迎えられますように。

No title

読み手、受け取る人によって
救われる言葉でもあり、全てを覆す言葉でもあり・・・・

どみどりくんとの出会いは、私にとって
とても衝撃的な1年でした。
ありがとう~

良いお年をお迎えください。

ネリムさん

自分でもそう思います。

ですが、書くことを止めることができませんでした。

いま、このことを書いておかなければいけないという、説明不可能な衝動に突き動かされました。

ネリムさん、ありがとう。

sayamaさん

sayamaさんが素敵な新年を迎えられますように。

ありがとう。

こんにちわ
シビアな話だなと思いました。

No title

内容から心血を注ぎまくった記事なことがよくわかる。ありがとう。後編も楽しみにしてる。
ワンクリックいただけると励みになります。
最新投稿
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
どみどりな応援者
RSSリンクの表示
QRコード
QR
やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。