どみどりくん クリスマス編 後編

あけましておめでとうございます。

管理人であり、「どみどりくん」の分身でもある「じゃっく」と申します。

ここに来て下さる皆様方の、今年1年のご多幸をひめやかに願いつつ、ほんの少しだけ、このブログを振り返ってみようかと思います。

私のブログ歴を遡ると、2014年の9月に行き着きます。
俗に言う神秘体験のようなものをしたことが、そのきっかけです。
その体験のことも、いずれは何らかの形で書き記せればと考えていますが、不要な誤解や憶測や偏見を招きやすい事柄なので、読み手をふしぎ発見へといざなうものであると確信できない限り、わざわざ公開する必要性はないものであろう、とも考えております。
所詮は個人の「いち主観」による「いち体験」にすぎません。

私じゃっくが自分として、このような場で言葉を紡いでゆく際、出て来るわるい手癖が、このとおり、言葉が堅苦しくなりがちというものです。読み手の感じ方によるのかもしれませんが。
その堅苦しさに自ら窮屈さを感じ始めていたこともあって、私の息子をモデルにした「どみどりくん(実際に息子が愛称のひとつとしてそう呼ばれていて、なにかと緑色が好きなのです)」というキャラクターの仮面を被ることを思いつき、2015年の4月、今のブログ名とスタイルに改変するに至り、試行錯誤しながら、2016年の本日を迎えることとなりました。

毎日のように遊びに来て下さっているあなた様。

付き合いで仕方なく遊びに来て下さっているあなた様。

たまに遊びに来て下さっているあなた様。

最近遊びに来て下さったあなた様。

別な面白そうなブログを探しているあなた様。

リツイートやお気に入りにして下さったあなた様。

メールやコメントをして下さったあなた様。

まだ見ぬ未来にブログに遊びに来て下さるごあなた様。

まだ見ぬ未来にあなただけのふしぎ発見がおとなうであろうあなた様。

ありがとうございます。

このブログがどうなってゆくのか、またもブログ名が変わるのか、方向性が変わるのか、アプローチの仕方が変わるのか、このまま何も変わらず続いてゆくのか、終わりを迎えることになるのか、私には先のことは何も見えませんが、いま、現段階の私は、もうしばしこの土壌(ブログ)に種(言葉)を植えることを試みて行くつもりでいるようです。

2016年も、気のおもむくまま、遊びに来ていただけましたら幸いです。


それでは、年をまたぐことになってしまったうえ、タイトルが「クリスマス編」というなんとも残念な公開タイミングですが、前編の続きをお楽しみください。





青年は全身に力を込め、わななき、這うような目つきでどみどりくんを睨みつけました。

「人は自分で撒いた種は自分で刈り取るんだ! それが因果の法則だ。
オレはとっくに腹をくくってる。オレが犯してきたあらゆる罪は、今生で逃げ切れたとしても、来世まで追尾してきて、必ずやオレを捕まえにやって来て、そのツケを払わされる。覚悟はできてる。自分の責任じゃないなんて逃げ方は、オレはしない」

種を撒く者も、刈り取る者も、きみじゃない。神(全)がやる。ただ、神(世界)だけがあるんだ。神の他には何もないんだよ、この世界には

「じゃあなにか! 無差別殺人犯も、悪徳政治家も、汚職警官も、集団暴行事件の首謀者も、インチキ宗教の教祖も、原子力村に群がるハエどもも、この地球を巣食う死ぬまで治らないバカどもも、このオレでさえも神と同等で、誰にも何の責任もないってのか!」

「最初にきみが自分で言ったじゃないか。責任の有無だって、善悪の有無とまったくおんなじことさ。それは木の葉がひるがえるように、ひたすらに流転しつづけるんだ。
ある出来事に「責任」を認識した者にだけ、それは「責任」として存在しえるんだよ。

「……」

転校生っていう映画、知ってる? とある男女の、お互いの精神だけが入れ替わるっていうストーリーの映画なんだけれど…」



「この映画はもちろんフィクションだけれど、本当にそんなことがあって、女の子の身体ときみの身体とがすっかりそのまま入れ替わったとしても、彼女ときみの精神が入れ替わるようなラブコメ的展開は実はなくて。どうなるかというと──
当人たちは入れ替わったことには一切気付かず、はたから見れば、昨日までとなんら変わらないその人たちがあり、入れ替わる前と何も変わらない明日があって

「それは入れ替わったとは言わないだろ…」

「うん。つまりは入れ替わるも何も、入れ替わりようがない。
本来、個性なんてものを持ち合わせていないぼくら人間に、この世的な個性をもたらすものが、肉体
ひとつの肉体には、その肉体固有の得手不得手やクセが備わっているし、与えられた脳には、その脳だけに施された設定みたいなものがあって、その人にだけ見えるものや見えないもの、好きと嫌いを判別するフィルタリングが備えられてて。
そして、ひとつの肉体を通じて起こる、その肉体オリジナルの、日々の経験や体験との掛け合い。その蓄積がその人をかたどっていくんだ。
あえて、すべての人が、同じ一人の人を好きになったりすることにならないようにできているし、あえて、全員が同じ職業を目指すということにならないようにできてる。
ある人には美人に見える人も、ある人には醜く見えるし、ある人には魂を揺さぶる音楽でも、ある人には騒音。
そして時代、環境、人間関係、不可視な力などの、あらゆる条件がその人を運ぶ道筋となり、その人の人生を形成するよ。
水は外側からの力によって、されるがままにその形を変化させるけれども、実は人間も水とおんなじ。つまり、誰が彼女の身体に入ったところで、彼女は昨日までの彼女とも、これからの彼女とも寸分たがわず、彼女なんだ」

「…じゃあなにか、おまえとオレの身体が五秒後に入れ替わったとしても、おまえもオレも入れ替わったことに気が付くことはないし、それまでのおまえの過去を完璧に体験してきたかのごとく、それまでの記憶を持って、おまえの身体をオレが生きるとでも言うのか」

世界五分前仮説は知っているかい? ぼくらの世界が五分前に誕生していたとしても、誰もその可能性を反証することができなくて。
このことは、たとえば僕らが五分置きに誰かの身体と入れ替わりながら生きていたとしても、ありえない話じゃないってことなんだ」

青年は気が変になった人のように笑いました。

「所詮は仮説だ!」

「そう。確かにこれは仮説にすぎないし、その真相をわかることは誰にもできない。なんせ、身体機能や精神機能の限界を超えたところにある真相だから。
人生という鳥かごの中にある限り、人生からはみ出た、鳥かごの外の世界はわからない。けれども、鳥かごの中からでもわかることがあるんだ。
その鳥かごは「宇宙」と、そう人間からは呼ばれていて。果てには行き着けないほどに壮大でありながら、一人の人間の精神に収まってしまうほどに、果てなく小さくもある何か。
そしてきみは自分の力でみみあかひとつ、作り出すこともできない。きみだけじゃないよ、きみが今並べ立てた悪人たちも同じ。金メダリストも、ノーベル賞受賞者たちも、宇宙飛行士も、実力派俳優も、伝説の経営者も、み~んな同じ。
「偉大」とか「偉業」なんて言葉に騙されちゃいけないよ。「偉い人」なんてどこにも一人もいない。釈迦イエスでさえも、その本質の部分はぼくらと何も変わらない。
だって、どの人も等しく自分の力で何もしていないんだもの。それでもきみはまだ、きみが憎んでやまないあの人やその人、放射能を撒き散らした人たちや、お金や国政を牛耳る人たちが、自分の意志でもって、きみにとっての憎むべき行動を取っていると思うかい?」

「…自分の意志だろうがそうじゃなかろうが、関係ない。憎いものは憎い。憎むべき存在はどんな見解があろうと、憎むべき存在だってことに何の変わりもない!」

「ぼくが最初にきみに言ったこととおんなじ。いまここできみがミドリガメを殺すということは、どんな見解があろうとも、ぼくにとっては疑いの余地なく「嫌」と認識されるし、あるいは「憎」と認識される。
けれども、ワニがミドリガメを捕食していたのだとしたら、ぼくはそれを「嫌」と認識しても、「憎」とはたぶん認識しない。そして人間に無残に殺されるのを目にするよりも、「嫌」を感じる度合は小さい。
でも結局のところ、憎むも憎まないも、許すも許さないも、できるときにはできるし、できないときには絶対にすることができない。たとえば、人を憎めない定めにある人は、どんなに人を憎みたくても憎むことをすることができない。その逆もしかりさ」

「ちくしょう、オレの人生を勝手にいじくりやがって!
なんでこのオレを……こんな世界に生まれさせたんだ。
「情報」がこの世界を乗っ取らなかったなら、今よりもずっと、明日や昨日に振り回されることなんてなかった。
どこかの国で大量虐殺があろうと、どこかの海岸に大津波が押し寄せていようと、何者にも惑わされることなく、いま、この瞬間だけを感じ、いま、この瞬間だけを大切に、もっとシンプルに生きられてたはずだ」

「けれどもいま、この星の人間社会において、その「情報」という寄生虫が、一斉に人から人へ、絶え間なくそこいら中を闊歩しているという現実が、ぼくたち現代人の人類規模の命題であり、目の前に並べられたオセロの石みたいなもんさ。逆にそれを利用してやればいいんだ。
確かにそれは、核エネルギー級の破壊力を持った、人間の思考回路を余すことなく食い潰しかねない、手に負えない連中ではあるけれど、使いようによっては、終盤、崖っぷちに立たされたオセロの大逆転劇のように、九回裏ツーアウトの打席でサヨナラ勝ちする可能性を秘めているのが、二十世紀に地球を巣食った「情報」という名の寄生虫さ。
ただし油断は禁物。寄生虫には情けなんてものはないし、極めて老獪な連中だから、隙を見せればあっという間に飲み込まれちゃう。寄生虫は、黒い世界を白にひっくり返そうか、白い世界を黒にひっくり返そうか、舌なめずりしてその時を待ちわびているんだ」

「土台無理な話だ。どいつもこいつも、取り返しがつかないところまで思考回路を食い潰され、常識を疑うことを放棄しちまってる。やがては寄生できる人間も絶滅して、地球は用済みになる。終わりなんだよ。もう、なにもかも……」

「終わるか終わらないかなんてことを考えたってしょうがない。そんなことはハナから定められているものだから。
定まっていることのことを考えたって、なんにも始まらないし、何も進まない。
ぼくら人間にできることは、授かりしいち個の人生を体験し、味わいつづけること、それだけさ」

体験することだと? 体験して…味わって…それがどうなるっていうんだ? そんなことに何の意味がある…?」

それはきみが自分で見つけるべきことだと思う。たぶんね」

「……運命は……運命は、本当に決まってるのか?」

「うん。砂ぼこり一個の動きまでも、ぜんぶ。全部ね。
でも「運命は決まっている」なんて言い方だと、まるで誰か人の姿をした神様が、その人の運命を決めているみたいじゃないか。それは違うよ。何度でも言うけれど、きみが神様だし、ぼくが神様だし、神様ではないものなんて、この世界にはひとつもないんだ」

「…オレが生まれて来ることは、絶対に避けられなかったことなのか?」

「いまそこにそうしてきみが存在しているっていうことは、そういうこと。
ドミノ倒しを思い浮かべてごらんよ。ぼくらはあの、ドミノ倒しみたいなものだよ。
あの一個一個のドミノが、「いま、いま、いま」の連続さ。一度倒れ出したら、ゴールに辿り着くまで、「いま」の連続を止めることは絶対にできない。
そして、ドミノがどんなに困難な道筋に並べられていたとしても、ドミノの本質がそうであるように、途中で進路変更をすることなんて絶対にできない。
でもね、アインシュタイン科学の範疇を超えた意味合いボーアに言ったように、神様はサイコロを振るみたいに、いい加減にドミノを並べ立てたりはしてないんだ。
ぼくらひとりひとり、すべてのドミノの道筋は、ぼくら人間が肉体を通して獲得すべきものを獲得していくための、完全無欠なルートを辿っていくよ。これからだって、ずっと、ずっとね」

青年は歯を食いしばり、とめどなく熱い悲しみをこぼしました。
その悲しみは、動かなくなったミドリガメの山の上で、ちいさく、たよりなく、はじけました。

「なんでだよお…もお…。
その一個目のドミノを、なんで倒しやがった。
神様だかなんだか知らない誰かが勝手に倒したドミノのツケを……なんでオレが払い続けなきゃならない」

きみという存在が必要だったから、ということだけはぼくにもわかる。そして必要とした存在は、他でもない、肉体を超えたきみなんだ」

青年は涙をぬぐい、そしておおきく笑いました。

「わははは!そんなイカれた話、誰も真に受けねえだろうな」

「はは! だね。ぼくもそう思うよ。というよりも、実際に誰も真に受けないんだ。
でもね、それもまたぼくにとっての、ぼくにしかできない、ぼくオリジナルの体験さ。
そしてまた、真に受けようもない話を聞いているきみもまた、きみオリジナルの体験を、いままさにここで味わっているんだ」

おもむろにミドリガメの山の前に歩み寄り、その前にかがんだどみどりくんは、動かなくなったミドリガメたちを、一匹、一匹、丁寧に拾い上げていきます。
青年は、拾い上げられていくミドリガメを、すずろに見つめていました。

「この子たちを埋めてあげようと思うんだけれど、手伝ってくれる?」

両腕にミドリガメを抱えきれなくなったどみどりくんは、青年の方を向いて言いました。
青年は、そんなどみどりくんを、すずろに見つめていました。
青年はゆっくりと立ち上がり、ミドリガメの山の前にかがむと、その小さくふるえる指先を、もう動くことのないミドリガメたちにそっと伸ばしました。

《つづく》










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けていようとも
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Last Flower / Radiohead(レディオヘッド)」 
歌詞 Tom York

it's too much
too bright
too powerful
too much
too bright
too powerful
too much
too bright
too powerful
too much

そこは
ありあまるほどに満たされている
ありあまるほどに光輝いている
ありあまるほどに力強く
ありあまるほどに満たされている
ありあまるほどに光輝いている
ありあまるほどに力強く
ありあまるほどに満たされている
ありあまるほどに光輝いている
ありあまるほどに力強く
ありあまるほどに満たされている






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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ネリムさん

「ツケ」という言い方だとわるい意味に聞こえてしまいますが、もっといい言葉が、きっとどこかにあると思います。

ネリムさん、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

konchikiさん

まだまだ、過去形じゃないよ。
2016年も、konchikiさんに与えられたゲームは続いてゆくからね。
そしてそれは、ぼくだって、みんなだって同じで。

出会ってくれてありがとうだなんて、こんなにうれしい言葉があるんだね。

ありがとう、konchikiさん。

sayamaさん

そのコメントだけで、ぼくはありあまるほどに満たされているよ!

sayamaさん、今年もよろしくお願いいたします。

planetさん

あけましておめでとうございます。

長い作品を丁寧に読んでくださりありがとうございます。

ぼくもよく、書いている内容と現実がシンクロするようなことがよくあります。

そしてまた、この記事はこのタイミングで投稿するべきものだったのだな、ということもままあります。

なので、体験を運んで来る配達人?さんにお任せ状態ですね。

コース料理を待つ客の心持ちです。

シェフはその人の何もかもを知り尽くしてますから、運ぶべき体験を提供する順番や温度やタイミングまで完璧に把握してるわけです。

わかってはいても、ただただ不思議ですし、神秘であると感受せずにはいられませんね。

新年あけましておめでとうございます。
ドミノのツケ……深い言葉だと思います。
今年も宜しくお願いします

No title

世界は五分前どころかたった今だけでできている、のをベースにして、
150億年前にできた、という仮説をゲーム仕立てで楽しんでいる神の手足がこの世界にあるものすべてのようだ、チリ一つ残らずそうらしい、どうもそうらしい。

だけど手足にすぎないとはいえ、手足なんだから気ぃぬいてこ!って思うと神様お気に入りの手足になれなくて、
神の機嫌なんて知ったこっちゃない、おいらは本気で自分という人間をやりたおそう!と決心すると、なんだか神様が近くなる不思議。

本当のことを知りたい、悟りたい、究極の安心を手に入れたい、そればっかりの毎日だった。
それがkonchikiに与えられたゲームだったらしい。

でもまだ何も解決しない、何も終わらない。
でもそれでも自分自身をやり倒すしかない。どうもそうらしい。


出会ってくれてありがとう
今年もよろしくどみどりくん

No title

ど迎春か。今年も世話になるよ。世話になりっぱなしだな。なにかお返しができれないいんだけどな。

あけましておめでとうございます

不謹慎だけど、ある女性が病的にある現象に悩み
私は、その現象を羨ましいと思っていて、彼女は私の現象を望んで
そんなこんなで、自分自身が嫌だと思っていると、嫌な状況の中で、新たな嫌な自分を発見し、それを観察していたのだけれど
そんな時、この息絶えたミドリガメが、自分自身であり、それを成敗した彼もまた、自分のように感じて最後のくだりを読んでいました。
体験を踏まえて読むと、不思議な事がおきますね~
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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