吊るしあげられた芸能人すらも、自分自身でしかない世界だよ

この世界に
後ろめたいことが
ひとつもない

そんな人間なんて
果たしているのだろうかね

「断じてない」という
そんな人が
もしいるのだとするなら
その人のことを
信じることは
ぼくにとっては
あまりに困難なことさ

この世界に
あやまちを犯したことが
ひとつもない

そんな人間なんて
果たしているのだろうかね

「断じてない」という
そんな人が
もしいるのだとするなら
その人のことを
信じることは
ぼくにとっては
あまりに困難なことさ

スキャンダルで
吊るしあげられた
一人の芸能人の
その肉体を生まれ持ち
まったく同じ場所
まったく同じ時代
まったく同じ環境
まったく同じ両親
まったく同じ人間関係
まったく同じものを好み
まったく同じものを厭う

そんな世界を
その人としてきみが生きていたなら──

きみ
その芸能人が
華やかなスポットを浴び
人々に夢を与え
人々から夢を与えられたように
まったく同じ場所
まったく同じ時刻
まったく同じ境遇の中
まったく同じ人物たちに
夢を与え そして
夢を与えられることになり──

その芸能人が
吊るしあげられた
まったく同じ場所
まったく同じ時刻
まったく同じ境遇の中
まったく同じ人物たちから
まったく同じように
吊るしあげられることになる
窮地に追い込まれることになる
そして──
往生際での選択と
覚悟を迫られることになる


賢者と呼ばれる者たちが
口々に言葉をそろえる
「すべてはひとつ」の意味すること
それはたとえば
そういうことなんだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Get Wild / TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)」
作詞 小室みつ子

It`s your pain or my pain or somebody`s pain
(それはあなたの痛み?
それともわたしの痛み?
それとも名もなき者たちの痛み?)
誰かのために生きられるなら
It`s your dream or my dream or somebody`s dream
(それはあなたの夢?
それともわたしの夢?
それとも名もなき者たちの夢?)
何も怖くはない






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
関連記事

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

sayamaさん

うん。sayamaさんの言うとおりかもしれないね。

で、イエスはきっと、本当にそんなことがみんなできると思って言ったわけじゃなくて。

その言葉から重要なものをを見い出してほしかった。

No title

イエスキリストが「隣人を自分のように愛せ」って言ったのも突き詰めれば「隣人も自分だから」」ってことなんだろうな。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ネリムさん

こんばんは。

複雑な気持ちになるのはきっと、ネリムさんが自分の身に置き換えているからではないでしょうか。

そして、ベッキーさんの気持ち(たとえそれが自己保身でしかない代物だとしても)を推し量ってあげているからだと思います。

ネリムさんの思いやりです。

konchikiさん

konchikiさんのそういうところがぼくは好き。

そしてやっきになるだろう人はぼくも同じ。

ぼくもそういう肉体にあれば間違いなく口汚くののしってたし、というよりも、今の自分としても、ニュースで目にした最初のとき、ヤフコメにあるような言葉を率直に思う自分がそこにいた。
だからこそ、少しでもそういう流れに逆境することを書き記さなきゃって思い立ったんだ。たとえ僅かな人にでも、冷静になってもらうために。自分を見つめ直してもらうために。ぼくにはそれしかできないから。


konchikiさん、ありがとう。

planetさん

基本姿勢として、ぼくは対峙するその相手の人を
「本当のことを話しても大丈夫そうな人」
「理解しようとしてくれている人」
あるいは
「本当のことを話す必要性を感じない人」
「うわべの関係で終わりそうな人」
とてもおおまかですが、こういったどの枠にあてはまる方かを見極めて行きます。

「本当のことを話しても大丈夫そうな人」
「理解しようとしてくれている人」
には、このブログで書いているようなことを平然と話します。

ですが、
「言う必要性を感じない人」
「うわべの関係で終わりそうな人」
に対しては、その話題を無理に広げないようにするか、放っておくかしますが、うっかり、深く精査もせずに特定の人を「その人が悪いのかもね」と反射的に言ってしまい、自分に残念な思いをすることもありますね。

とても稀な例ですが、後者の人が前者に翻ることもありますし、その逆も起こりえます。その、どちらもを体験したことがぼくにはあります。
本当に大切なことは、その人が言うことが真実か否か、ではなく、相手がどうしてそう言うのか。相手が求めているものは何か。相手がどういう人生のバックグラウンドの持ち主か、という部分に着目することだとぼくは考えます。
結局そこに尽きると思うんですよね。
どんなに正しいことを言おうと、真理を語ろうと、まず初めにそれがなかったなら、その場には何も生まれないとおもうんです。
ぼくがいつも言う通り、結局「真実」なんてものは個人の「好き嫌い」の範疇のものでしかありませんから。

そういったものを精査して、その人になんて言うことが一番ベストなのかを考え、発言します。
時にはその人を怒らせますし、見放されたりもしますが、のちのち、その衝突が相手にとっていい結果に結びつくということもありえない話ではありません。何が正解かなんて、つくづくわからないものですね。


直接顔を合わせて対峙する人や、コメントを介して一対一でやり取りする人に対してのこととしてこのコメントを書いたつもりでしたが、不特定多数の人に一方的に発信するブログ記事という場でも、読み手の存在を想定しながら書いている以上、結局は同じことかもしれませんね。

こんばんわ
つるし上げは見ていて複雑な気分になりますね

No title

どみどりくんが言ってること、言いたいことを、konchikiはよく理解してるつもり
そして、そんなどみどりくんが大好き

ということを踏まえてでも、あえて言いたくなった

スキャンダルを吊るしあげている人間の肉体を生まれ持ち
まったく同じ場所
まったく同じ時代
まったく同じ環境
まったく同じ両親
まったく同じ人間関係
まったく同じものを好み
まったく同じものを厭う
そんな世界を
その人としてkonchikiが生きていたなら──

たぶんkonchikiは、その芸能人の吊し上げにやっきになっていた、と断言できる


No title

昨夜は、感情がひとり歩きして、夫に暴言を吐きました。
初め、この感情と私個人は、同化していましたが、ある時から
感情の一人勝手なのだと感じ始め、面倒くさいので
「あなたは悪くない!悪いのは私(神)だから!」と夫に言いました。
ベッキーも、私が悪いのではなく、神が一人勝手にやってるだけなんですw~って言えばいいのに(笑)
ワンクリックいただけると励みになります。
最新投稿
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
どみどりな応援者
RSSリンクの表示
QRコード
QR
やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。