世界(DVDプレーヤー)ときみ(DVD再生用ディスク)だけで成している世界だよ

きみ
五感という名の
再生用DVDディスク

世界
きみという
再生用ディスクに対応した
DVDプレーヤー


仮に世界が
ブルーレイディスクのみに対応した
ブルーレイプレーヤーであったなら──

きみは
この世界のおいて
なにひとつ
体験することができない

なにひとつ
体験することができないんだ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「All I Need / Radiohead(レディオヘッド)」 
歌詞 Tom York

You are all I need
You're all I need
I'm in the middle your picture
Lying in the reeds

きみ(世界)はぼくが必要とするすべて
きみ(世界)はぼくが必要とするすべて
ぼくはきみ(世界)の写真の真ん中で
草むら(人生)に横たわっている

It's all wrong
It's all right

人生には不正解しかない
人生には正解しかない






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん

互換性を味わいに来ている、とも言えるかもね。

planetさん

ああ、よかったです。

風通しがいいって、気持ちのいいことですよね。

ネリムさん

印象としてだけでも、ネリムさんの中に刻まれたのであればよかったです。

No title

互換性あっての世界ってわけだな。

No title

どみどりくんの言いたい事、良くわかります。
頭で理論的に受け入れようとすると、どこかで抵抗が生れるけれど
その抵抗という壁がなくなって、全てが気持ちよく入ってくる
そうならない限り、スッキリ感は無いですからね。
今は、とてもスッキリ感あります。
それは、自分でそうしようとかどうかしようと思ってそうなるのではなく
ただ、そうなってる!という感じですね。
ちょっと前の私には、確かに抵抗という壁が存在してました。
今はそれがなく、どみどりくんのコメント返も、スッキリ入ってきてますよ(笑)
私の中は、色んな壁が少しずつなくなって、風通しよくなってるゎ(笑)
前の自転車操業は、とても考えられないような大恋愛に繋がってましたよマジで!
繋がりの前や先なんて、人間の想像をはるかに超えてるから、その時にならなきゃわかんないよね~
ありがとう~それを思い出させてくれて・・・

おはようございます
印象深い文だなと思いました。

No title

planetさんに生まれた「認識の転換」の一助になれたこと、うれしく思います。

ですが、planetさんに「さんざん悩んだ」という土台が出来上がっていなかったなら、このブログに記された言葉も、それこそ「認識されることもなかった」に違いありません。スルーだったかと思います。

ふりかかるあらゆる火の粉が、すべて完璧に必要なものだったのだと満たされるその瞬間が、いつの日かplanetさんに訪れますように。

No title

前にコメントの返信で、どみどりくんが「認識こそが体験」だと
そして、今この記事の裏読みする。
私のなんでも裏読みというするという癖
(よく、あなたには、何を書いていいかわからない!裏を読むから
と言われた事。)
でも、それが私自身を闇から救う事になりました。
認識(体験)の裏を返せば、そこには何も無い。
認識しなければ、何も存在しない。という事
今、この環境「息子の交通事故の後遺症で殆ど仕事ができない状態」
今年の7月で、1年になるし、就職して3ヶ月目での交通事故
この3月には新卒で後輩が入社してくる中、以前の私だったら
やっきになって、どうにかしなければ、どうしたら?
とずっと悩み続けていたでしょう。
意識を向ける事、認識する。だから、意識を向けない。認識しない。なるようになるまで待つ!事が動かないのは、まだ時期ではないからでしょう。そういう新たな認識を生み出す事で
幸福感(感謝できる余裕が持てる)に浸れるようになれたのです。
それに付せて、夫の強迫性障害、今この現状の中にいて
それは、それを味わうべくして味わっているのだからしょうがない
。過去の自転車操業も味わうだけ味わったら、いつの間にか消滅してましたっけ。いつから始まっていつ終わったのか?という位あいまいな感じです。
だから、この状況も、曖昧なうちに消滅していくのでしょう。
不幸だと認識すれば、不幸になるし、幸福な条件が1つでも心に存在していれば、それは、もう幸福なのですよ。
全てが、認識のこの世界という根本的な条件こそが、私に幸福をもたらしてくれるのです。
「悩む」という事が無くなった事が、最大の幸福ですね。
心から感謝しています。
ワンクリックいただけると励みになります。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。