映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート10

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※発見は終わらないよ!※

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この映画をとおして開眼する
ふしぎ発見!については
9回の記事で
完結した(はずだった)んだけれども
パート10を銘打った今回は
東京立川でアンプリファイされた
極上爆音「マッドマックス 怒りのデスロード」
公開一周年を記念し
9月2日までの
異例の長期上映が決定されたことに加え
そもそもの爆音上映の仕掛け人
遠山企画室長
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その挑戦心をくすぐり
代表取締役社長
ゴーサインを出すに至らせた
採算度外視な情熱
心奥から喚起させる
この映画に秘められた
神的な何か
それとはいったいなんなのだろうと
改めて考えてみずには
いられなかったんだ






俗に
「覚醒」
「非二元」

などと呼ばれているものと
同一と思われる
得体の知れない体験を経たことをきっかけに
このブログを書き始めた
じゃっくだったんだけれども


しばらく書きつづけているうちに
今生において
あの体験以上に
自分の人生をゆるがすような
大きなサプライズが
起こりえないだろうことが
なんとなく予想されてくると──


体験直後の
あふれんばかりの
「伝えたい情熱」
次第に霧消していき
ブログをつづけることに
「鮮度」
「面白み」のようなものを
感じれなくなってきてしまったんだ




仕事として
この活動をしていたなら
またもう少し話しは
違ったのかもしれないけれども
(つくづく 
マネーに支配された世界だね)


ビジネスの縛りのない環境において
個人で好き勝手やっていることにしては
その自由度を活かしきれてない気がしたし
何かが物足りなかったんだね




その倦怠感の原因は
今にして思えば
死への恐怖が薄れてしまったことによって
同時に
生への執着も希薄化してしまったこと


そのことに連動するように
変にあきらめがよくなってしまい
変に過去を引きずらなくなってしまったこと


さらには
見えなくてもよかったものまで
見えてしまうものだから
周囲の人とに食い違いや温度差が生まれ
孤立化していったこと


などが考えられるそう




つまりは
じゃっくの肉体は
山奥に隠棲する仙人みたいに
鎮まりの中に安寧する存在になることを
その時点ではまだ求めてはいなかったか


あるいは
そういう境地に安寧することは
じゃっくの性には合わなかったか


あるいは
そのときすでに
肉体的にも精神的にも
自由のままならない
先行き短い
老境をまたいでいたなら
体験はすんなり
じゃっくに浸透したのかもしれない


なぜならば
肉体の死
非二元的な体験とは
イコールみたいなものだから





多くの人が
求めてやまない
覚醒体験だけれども
これじゃあなんだか
覚醒体験するのも
一概にいいこととは言えない

言うことができそうだ




ところが
そんなじゃっくを
直下型地震のように直撃してしまったものが
この映画
「マッドマックス 怒りのデスロード」




この映画が
じゃっくを「生」への倦怠感から
「生」への狂気(マッド)へと再覚醒させ
裏ワザを使うことによって
安全なアイテムを使い
安全なコースを通り
無難にステージをクリアする非二元的マリオから──

1ステージから順番通りに
敵や障害物や飛来物と
向き合い 
翻弄され
アイテムやコインを駆使しながら
地道に着実に
身を置かれてるステージと向き合う
SURVIVE(サヴァイブ)するマリオへと
引き戻したんだ



それはそれは
覚醒体験にも匹敵するほどの
(ひょっとしたらそれ以上?)
素敵な素敵なサプライズ
だったよ


この映画が
非二元の倦怠から
わるい予感のする
二元のほうへ

じゃっくを引き連れ戻したけれども
だからと言って
覚醒体験が
無駄なことだったとか
非二元が
必要ないものだとか
そういうことじゃないんだ
リアル人生ゲームにおいて
無駄なことなんて
ただのひとつもない


いつだって
それまでのすべてがあったからこそ
今のその人がある
のだからね




イモータン・ジョーが
このブログでたびたび口にする
マネーを操る強大な支配者にも
ぼくは敬意を表したいくらいなんだ

だって
きっと今のこのマネー支配社会が
存在しなかったなら
マッドマックス怒りのデスロードが
撮影されることはなかった
だろうし
10回に渡って書いてきた
マッドマックスのこの記事だって書けなかった
ことはもちろんのこと
マネー支配された世界という
ディストピアなゲーム舞台設定がまた
挑戦心をくすぐる
じゃないの!

社会が根底から
くつがえるほどのことだもの
それはあまりに
高くて高くて高すぎるハードルだけれども
50年や100年
一世代や二世代ががんばったくらいじゃ
飛び越えられないくらい難解なハードルのほうが
挑戦しがいがある
じゃないの!




だいじょうぶ

冒頭に
ふりそそぐ水しぶきは
現代社会になぞらえるならば
ぼくらに日々ふりそそぐ札束に違いない
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──けれども



ラストに
帰還したフュリオサや仲間たち
そして民衆へとふりそそぐ
輝く水しぶき
それは決して
お金では買えない
リアル人生ゲームだからこその
プライスレスな何か


ぼくら存在する者たちは
肉体を超えた
目には見えない手のひらに
いつだってその
プライスレスな何か
しっかりと握りしめていて
それが失われることは
決してない
んだ
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今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「ワイルドサイドを行け / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

人に弾かれた者同士も 同じ孤独で繋がれんだ
仲間とこじ開ける未来は絶景さ
進んで行こうぜ 今日だって道は分岐点ばかり
好奇心辿って 悪い予感のする方へ






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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ジャンル : 小説・文学

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ラウさん

ラウさんも、すでにもう乗り込んじゃってるもんね!

sayamaさん

ありがとう。

sayamaさんもウォータンクに乗り込んでしまった一人だものね。

行きつくとこまで一緒に行こう。

No title

最高だ。

No title

最高だ。最高のふしぎ発見だ。
ワンクリックいただけると励みになります。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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