「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当? パート2

認知症病棟や
介護施設などにおいて
よく見られる光景のひとつに
助けを求めていたり
質問する高齢者を
愛想笑いでかわす
あるいは
素通りする
職員やスタッフ

というものがあるんだけれども

何もこれは
その病棟や施設の
職員やスタッフが
冷たいわけじゃなく
その高齢者が
脳機能の障害として
同じ話を
何度も何度も
何度も何度も
反復してしまうがために
まるでオオカミ少年のように
その高齢者の訴えの
その緊急性は失われ
優先順位として
後回しにされていたり

あるいは
施設内で
業務にあたっている
人数だったり
遂行しなければならない
業務だったり
転倒するリスクや
不穏に陥るリスクが高い
他の高齢者のことなども
見定めながら
優先順位を見い出した結果
そうせざるをえなかっただけ

けれどもいきなり
その現場に遭遇した
まったく事情を知らない
「第三者」
その光景を目撃したなら
「なんてとこだここは!」
「責任者は何をやってるんだ!」

そう思ったとしても
仕方がないことだよね

あるいは
実際に職員に
問題がある場合もあるし
たまたまそのとき
その職員は
心理的
身体的不調を
きたしていたのかもしれない

「第三者」とは
メディアや
人から聞いた情報を
自らの
都合や好みや
偏見を経由し
その物事や
その出来事を
判断する時の
ぼくたち自身のこと


メディアはきみを
過剰に
過激に
刺激するだろうよ
危機意識を煽るだろうよ
視聴率をあげるために
より多くの広告料を得るために
そして
他人の不幸を
他人事に思うことが
まるで悪であるかのように
メディアが勝手に作り上げた
清廉なイメージの人物が
不倫や違法薬物をすれば
やり玉にあげ
憎悪や憤怒の念を
沸き立てなければ
いけないかのように
きみの知らぬ間に
きみの思考回路に潜り込み
きみの常識
きみの価値基準を
敷設していくんだ

メディアに限らないよ
学校教育だってそう
きみを取り巻く
周囲の人々だってそうさ
その人々は
その人々の偏見や
その人々の思い込みを
きみに
押し売りするだろうよ
きみに
同意を求めるだろうよ
その人の正当化を
手伝わせるために
その人の自尊心を
満たさんがために


いかなる情報媒体の
いかなる情報だろうと
いかなる立派な人物の
いかなるありがたい話だろうと
そのどれもが
いち個人による
いち個人が解釈した
ひとつの物語にすぎないし


お時間ある方はパート1のほうもぜひ↓
「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当?

どの物語もが
何億人束になっても
目に見える出来事や
目に見える史実の
真なる正解を確認することは
永久に不可能な
この世界における
微細ないちシーンを
いち個人の
都合や好みや
偏見フィルターによって
ピックアップしたものにすぎない


だからこそ
釈迦
こう云ったんだ

聞いたからとて信じることなかれ
語り継がれたこととて信じることなかれ
人々が噂をしていたからとて信じることなかれ
教本に引用されていたとて信じることなかれ
論理だけで信じることなかれ
推論だけで信じることなかれ
様相だけで信じることなかれ
自分の見方に一致するからとて信じることなかれ
説者が堪能とて信じることなかれ
師なりとて信じることなかれ



釈迦の教えでさえも
安易に信じちゃいけないんだぜ
って

教祖の教えを
信じることが
宗教の大前提
であるはずなのに
「自分の教えも
安易に信じちゃいけない」
なんて言い放った
そんな宗教的指導者を
釈迦以外に
いまのところぼくは知らないよ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS(ザ・ブルー・ハーツ)」
作詞 甲本ヒロト

永遠なのか 本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いたこと いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう






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sayamaさん

イモータン・ジョーは大衆の前に精力的に顔を出していたけれど、実世界の黒幕は、それこそメディアを巧みに利用して、隠れみのを作って、なかなか姿を見せないよね。

いや…ある意味見せてるのかな。

No title

そしてまたそのメディアを操る奴らがいて。その操ってる奴らの上にも黒幕(イモータンジョー)がいて。水源(金源)を抑えたジョーの思うがままだな。
このブログが役に立ってると思った方はぼく↓をクリックしてもらえるとうれしいです。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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