いち介護従事者の目をとおして見えて来るものがある世界だよ パート3

延命のための
延命措置

ほどこされつづけている
そんな老人が
ぼくが働く施設には
何人かいてね

胃ろうや点滴などで
生きながらえてるだけで
ほとんど意思表示ができない
寝たきりの老人たちと
日々関わりあう
スタッフたちの中で
自らの
延命のための
延命措置

願う人は
ぼくの知る限り
一人も会ったことがないよ

現場にかかわる人ほど
その措置の不毛さを
明確に感受している

だからなんじゃないかと
ぼくは思ってる

そして
高齢者の家族もまた
世間的常識
世間的死生観

とらわれるあまり
何を持って
その人の最期とするかを
見極めることが
できずにいるし
延命措置以前の段階の
もっと困難な問題を
抱えている人もいるよ
たとえばこの
渡辺紀夫さんもそう
下のURLをクリックしてみてね↓
http://news.yahoo.co.jp/feature/175

保育や
介護の分野に
従事する
国民の給与を
(ほんのちょっと)上げるだなんていう
政府の
小手先のパフォーマンスに
踊らされない方が
賢明さ

高齢者施設の
人材不足は
ぼくの施設でも
他の施設でも
加速度的に進んでいるよ
これから先
それはますます
止まらなくなっていくんだ
なぜなら
国民を管理する者たちが
人口減少だったり
少子化問題だったりに
歯止めをかけるような
そんな法整備を
推し進めているとは
とても思えない
から

むしろ
人口が減った方が
都合がいい策略

国民を管理する者たちには
あるかのようだよ

人材が足りない中で
施設や介護事業所を
運営していくということは
それだけ
一人の高齢者に対し
スタッフがかかわれる時間が
物理的に削られる
ということ
つまりは
忙殺度数は増していき
比例して
高齢者への
対応やサービスも
雑にならざるをえない
ということ

ぼくの施設が
今まさに
そういう状況下にあるし
介護業界全体に
そういう未来が
待ち受けていることは
否めないと
ぼくは感じているよ

だから
自分が仮にそうなったとき
看取ってくれそうな
誰かがいる方は
自分が元気なうちに
できる限り具体的に
どういう最期を迎えたいのか
自分の希望を
伝えておくこと
そして
きみの両親の
認知機能が正常なうちに
万が一の場合に
どうしてほしいのか
どこまでの救命措置を
希望するのか
ボケてしまったなら
自宅で介護してほしいのか
施設に預けてほしいのか
どの一線を超えたら
自宅介護を諦めるか
どの一線を超えたら
やむなく
施設や事業所の手を借りるか
施設に預けるなら
食事の内容や
処方する薬や
行動の制限などについても
施設と話し合わなければいけないんだ
だからこそ
遅くならないうちに
できる限り具体的に
話し合うことを
お勧めするよ


介護される側が
望んでもいない
延命や介護で
生きていくための
仕事だったり
最低限の生活だったり
ささやかな楽しみまでをも
犠牲にするだなんて
残念すぎる行き違いが
起こらないためにも


けれども
忘れないで


これまでもぼくが
ブログに記してきたように
それでも
この世界には
最善
それだけが
起こりつづけるよ
これからもずっとね

渡辺紀夫さんの
体験
あらゆる人の
こころに
なんらかの作用を
およぼし
また
渡辺紀夫さんの
その記事が
今日のぼくの
投稿へと繋がったこともまた
最善の連鎖であり
最善の連鎖は
どこまでもどこまでも
波及してゆく
んだ

たとえきみが
育ての親を
殺してしまいたいような
絶望的な状況に
追い込まれてしまったとしても

高齢者の比率に対して
それを支える
若い世代が足りない
多死社会
迎えることになろうとも

通貨システムを
操る者たちの
ディストピアワールド
待ち受けているのだとしても

ぼくの目方に反して
ユートピアなワールド
待ち受けているのだとしても

そのどれもが
世界
そうしたかったにすぎないこと

そして
どのワールド
個人規模のワールド
必ずや
凋落を迎えるんだ
どのワールド(幻想)もが
世界(神であるきみ)
ただただ
最高鮮度の体験だけを
求めんがために
創られた
一時的な
借り物のステージだから












きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「But I Know Feat. 5lack / BudaMunk」

特に何もねぇ この時代に
生まれ育ったその訳はなんだ
答えならば出せないさ どうせ
できるときやりな 時間はどうせないだろう






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さよこさん

まさか行政書士をされてるような方のブログに、このブログの記事を貼っていただけるような機会があるとは夢にも思いませんでした。


光栄です。


ありがとうございます。

No title

とても判りやすかったので

うちのブログにリンクを貼らせていただきました。

ご都合悪ければお知らせください。

みいこさん

ずぼらな人でも簡単に飼えるヒキガエルの飼い方も載せる予定だから楽しみにしててって、じゃっくが!

他にも、じゃっくはいろんな生き物飼ってるから、ちょっとずつ紹介してくつもりらしいよ。

はい。
楽しみにしています。

かえるちゃんのカワイイ所もまた宜しくです。


みいこさん

みいこさん、ぼくも数年前に助手をやってました。

なので、仕事におけるみいこさんの抱える葛藤は、とてもよくわかります。

カブトムシが成虫になるまで、おそらくもうすぐです。
写真ブログに載せますね!

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

八咫烏さん

はじめまして!
コメントありがとうございます。

八咫烏さんが見てきたあたりまえの世界に、ほんのささやかでも変化が起こり、八咫烏さんにとってそれがよきものになってくれたなら、これ以上のことはありません。

また、遊びに来てください。
いつでもここでお待ちしてます。

ネリムさん

ネリムさんお久しぶりです。

介護行為それ自体が難しいということは決してなく、手厚い介護を実行することが難しい現状がある、ということだと思います。

自宅介護者を援助するような法整備や社会的認識が整っていたなら、渡辺さんにはまた違う選択肢があったはずです。

ですが、政府は決してそうはしないのです。国民の不満のガス抜きくらいのことはたまにしても、根本的な解決策は決して打ち出しませんよね。



sayamaさん

But I Know!

No title

こんにちは^^

まさに核心をついたお言葉ですね。

昭和天皇が亡くなった時も、ずいぶんと延命措置については考えさせられたものでした。

それ以上に、今日の言葉の数々とリンク先は色々と考えさせられました。とても勉強になりました。ありがとうございました。

お久しぶりです
読んでいて介護の難しさを感じます。

No title

どみどりくん不在のワールドを飛び越え、やってきたぜ。

できるときやりな。

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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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