絶飲絶食の禊修行から見えてきたふしぎ発見 前編

1日3食。
1日30品目。

足し算の栄養学を子供の頃から植え付けられ、それを常識として生きてきました。
飢えればやがては餓死するし、栄養のないものを食べていては、病気になったり、衰弱していくことになる。
だからこそ、なるだけバランスよく様々な栄養素を摂取することが健康への最善策であると、そう信じて生きてきました。
ですが、東日本大震災が起こった翌年1月、その思い込みは根底から覆されます。



数冊の健康法や精神世界の本をきっかけに、
絶飲絶食の座禅瞑想を決行してみたいと思い立った私は、
3泊4日の修行を承っていた道場に修行を申し込みます。
自宅で生活しながら絶飲絶食を決行するのは、いつでも食べる物がある誘惑に惑わされない自信がありませんでしたし、家族の存在があり、私が家族の食事を作らなければいけない立場でしたから、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。
水さえも絶っている状況で、料理などできるとはとても思えませんでした。



ところがいざ道場へ行ってみると、思っていた感じと様子が違います。
修行を受ける側と修行を見守る側の人数のバランスが、明らかにおかしかったのです。
修行を見守る側が20人ほどいるのに対し、受ける側はたったの5人です。
しかもどちら側も、嵐の前の静けさであるかのような、異様な空気を放っています。
携帯電話や貴重品は没収され、若いアメリカ人が3人と、中年の日本人が1人、そして私を含めた計5人が、殺風景な6畳の和室へ荷物を置かされ、御本尊のある広間へと案内されます。



雪が降りしきる、凍える寒さの真冬の夜、暖房のない広間で、ヤフオクで手に入れた柔道着1枚に身をつつみ、正座させられ、始まったのが、自分が持つ最大の声量で、ただひたすらに短い祝詞(マントラ)を唱えさせられる、というものでした。



私は後戻りができない段階になって、ようやく気がつきました。
「…これって座禅瞑想じゃなくて禊(みそぎ)修行じゃんよ!」





あとから分かったことですが、私はスケジュールを見間違えて道場に申し込んでしまっていたのです。





座禅が「静」の修行であるなら、禊は「動」の修行です。
言うなれば、度が過ぎた体育会系の世界みたいなものです。
陽もまだ昇らない時間に大太鼓が鳴らされ、どこに潜んでいたのか、道着姿の屈強な道場関係者が、さらに人数を増員した状態で部屋になだれ込み、たたき起こされ、コンサート舞台裏の衣装替えのごとく、数秒で布団は撤収されます。
布団とはいっても、まるで敷布団を上に掛けているかのような、ずっしりと重く、サンドバックのように固い、布団とは呼べない拷問布団です。これがちっとも暖かくならないのです。
私は布団に入りながら、ノースフェイスの雪山用ダウンジャケットを着て寝ていました。にもかかわらず、身体中が24時間キンキンに冷えてました。




そして、早朝から晩まで、ひたすらに正座しながら、同じ祝詞を全力で唱え続けます。
まさに、全力です。声が嗄れようがつぶれようが、全力を要求されます。
日を追うごとに、余力を少し残しつつ全力でやっているかのような小芝居ができるようになりましたが、一日中やらされるわけですから、その余力もほどなく尽きてしまい、あまり意味がありませんでした。
疲れて手を抜いたり気合が足りないと判断されれば、真後ろで同じように祝詞を唱える道場関係者たちに、背中や肩を手刀でおもいきりぶたれます。何度も何度もぶたれます。
すっかり肩が腫れ上がり、痛みに耐えられなくなった私は、柔道着の中にタオルを忍ばせ、叩かれる部分にあてたりしましたが、バレるのに時間はかかりませんでした。




2時間置きくらいに15分くらいの休憩がありましたが、2日目くらいから、アメリカ人の3人も、もう1人の日本人も、何の言葉も出ないほどに憔悴しきっていました。
私は英語が話せませんでしたが、ハグをして慰めあうだけで、この時の5人の中に他に言葉は必要ありませんでした。




食事は朝昼晩の1日3食、麦飯と味噌汁と漬物だけの精進料理がありましたが、何を血迷ったか、私は意地になりたい気分になって、こう決めたのです。
「こうなったら3泊4日、絶飲絶食で乗り切ってやる」






次回に続きます。








あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ノーベルやんちゃDE賞 / スチャダラパー」
作詞 M.KOSHIMA・Y.MATSUMOTO・S.MATSUMOTO

やんちゃー 使命か本能か 何がそこまでさせるのか
やんちゃー 世間に風穴を あくかな?でもやるんだよ






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ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん

今はもう「飲」絶ちはしていないのですが、機会があればまたやってみてもいいかな、と思っています。

このシリーズ、前後2回だけでは終われなそうです…

No title

「食」ならまだしも「飲」もか…。

kakidonさん

話芸に長けた芸人さんがこの話をしたら、きっと何倍にも面白い話にしてくれますよね!


後編は肉体の神秘を感じてもらえると思います。

(・∀・)キタ

ジャックのすべらない話!
映画化希望~
part2楽しみです。

なんで意地になって飲食断食を…
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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