絶飲絶食の禊修行から見えてきたふしぎ発見 中編

初日の一食目を頬張る、他のアメリカ人3人、日本人1人をよそに、私は目を閉じ、呼吸にだけ集中しながらじっとしていました。
そのときの自分が考えうる、最善の食欲抑制手段でした。



ところが、時間が経過していくとともに、私にとって空腹感や飢餓感は切迫した問題ではなくなっていきます。
厳密には、空腹感や飢餓感を感じなくなっていった、という方が正しいかもしれません。



そうなった大きな要因は、3つあると考えています。
ひとつは、「危機感」です。



本を読み進めることを止められず、気がついたら朝になっていたり、テレビゲームに夢中になった世代の方であれば、寝食を忘れてゲームに明け暮れた経験があるかと思います。
あるいは子供のとき、日が暮れても夕飯のことなどおかまいなしに、目の前の遊びに夢中になった経験があるかと思います。
これらの思考が排された「今」に在る感覚は、「ワクワク」だったり「好奇心」のようなものからだけ生まれて来るものだと思われがちですが、この感覚は、「危機感」「恐れ」を感知した際にも発揮されます。
たとえば「スリル」という感覚は「ワクワク」「好奇心」寄りの感覚ですが、その紙一重隔てた裏側で「危機感」「恐れ」が盛り立ててくれているからこその「スリル」です。バランス次第ではこれは、「しまった…どうしよう」にもなりえます。状況次第でいくらでも玉虫色に転がりうるわけです。




なんらかの大きな災害に遭われた方や、大きなトラブルに巻き込まれた方、家族の誰かが危機的状況に陥ったことがある方ならよくわかると思うのですが、気を緩める隙が見当たらないような状況に置かれたとき、人は眠くなどならないし、食欲など起こらないものです。
もし、それらの欲求が起こるときは、その人がその出来事に対してそれほどの危機を感じていないか、状況が把握できて冷静さを取り戻したか、その状況に慣れたか、状況が治まって気を緩められる余裕ができたか、などです。




人間は、いかなる危機的状況であっても、時間が経過するに連れ、その状況に適合しようとする生き物です。
私にも、「なんでこんなことになっちゃったんだろう」「早く帰りたい」
「次の休憩はまだか」「家族は今頃何をしてるだろう」「もう肩も喉も足も限界だ」

などといった「過去」への後悔「未来」への希望をよぎらせるだけの余裕が見えてきます。
これこそがみなさまお待ちかね、「煩悩」ないしは「苦」の始まりです。
そしてそんなときにこそ勢いを増して来るものが身体的苦痛ですし、今回のケースだと飢餓感や空腹感、殴打による肩の痛み、声出しによる喉や腹筋の疲労、正座していることによる激しい足痛、猛烈な寒さなどです。
何の準備もできていない者がこの状況に放り込まれたなら、

「オレの人生もここまでか…」

と思えてくるような、まさに絶望的な状況であると言えます。




ここでふたつ目の要素が私を支えてくれます。
それは、「言葉」です。
絶飲絶食を決断できたことも、まさに言葉による力の賜物でした。
言葉はときに、身体的苦痛をも弾き返すエネルギーとなるのです。
「言葉のプラシーボ効果」とも言えるかもしれません。




そんなエネルギーを与えてくれたものは、修行のきっかけとなった数冊の本であり、それらは道場での眠れない夜の、一条の光となりました。

一冊は、山田鷹夫著 「不食 人は食べなくても生きられる」

もう一冊は、パラマハンサ・ヨガナンダ著 「あるヨギの自叙伝」

他にもあった気がするのですが、どうも思い出せませんでした。



のちに山田氏とは手紙のやり取りをしたり、直接お会いして語りあう機会などありましたが、お互いの方向性の行き違いなどから、次第に疎遠になっていってしまいました。私は「鷹さん」という愛称で呼ばせていただいておりました。
よくもわるくも、筋金入りの自由人に違いありません。
もう私のことは憶えていないと思います。ですが、鷹さんはそれでいいのです。それでこその鷹さんなのです。
「人は食べなくても生きられる」という常識を覆す逆説的発想にとどまらず、面白いと思うことがあれば自ら実践して確かめる姿勢、その姿勢そのものが喜びであることを私に示してくれた、そんな人物です。
この記事を書きながら久々にフェイスブックを覗きましたが、相も変わらずの独創的実践思想観にうれしい思いになりました。
鷹さん、相変わらずですね。





そしてもう一冊の、「あるヨギの自叙伝」(この本については後編で後述します)。

これらの本が、

「人は食べなくても生きられる。これからその真実に触れることができるんだ!」

そんな高揚感好奇心と、現状況に対する危機感と恐れのスパイスが、私に禊修行を乗り切る力を与えてくれたのです。





3つ目の要素は、飲食を絶ったことによる飢餓状態が、身体になんらかのプラス作用を及ぼし、絶飲絶食の後押しをした。ということです。





ドイツ強制収容所での体験記録を綴った本に、「夜と霧」という作品がありますが、
著者のフランクル教授の、こんな記述が残っています。 



人間には何でも可能なものだというかかる数多くの驚きのうち、たとえば次の幾つかのことだけでも引用しておこう。
すなわち収容所生活の始めから終わりまで一度でも歯を磨くことはできず、また食物の明らかに著しいヴィタミン不足にも拘らず、以前の最も健康な栄養の時代よりもよい歯肉を持っていたということである。
あるいは半年間も同じシャツを着て、そして最後にはどう見てもそれはシャツとは言えないようになり、そして洗濯場の水道が凍ってしまったために一度も洗うことができず、また手は土工の仕事で汚れて傷だらけであったにも拘わらず、一度も傷が化膿することはなかったということである(もちろん凍傷になれば話は別であるが)。
あるいは以前は隣の部屋のほんの一寸した音でも目を醒まし、もう眠れなくなった人間が、同僚の囚人とぴったり押し合って横になり、彼の耳の数センチの所に同僚の鼻が恐ろしいいびきを響かせていても目を醒まさず、また横になるや否や深い眠りに陥るのであった。




もうひとつ、こんな例もあります。
2010年、チリのコピアポ鉱山落盤事故のニュースを覚えていますでしょうか。
地下634mの坑道内に、作業員33名が閉じ込められた、あの事故です。


全員が救出されるまでに69日間もの期間を要したこの事故。
生存確認がされる18日目までの間、気温36度、湿度80%以上の閉ざされた劣悪な環境の中、彼らは48時間置きに一人当たりツナ缶2さじ、クラッカー1枚、牛乳2分の1カップの食事量で生き抜いたと言います。33人が、全員です。


この件に関しては、作業員を混乱におとしめることなく、最後まで平等で厳格な食事分配をし、作業員たちの自己管理や生活管理を徹底させ、秩序をも保たせたリーダー、ルイス・ウルスァ氏の統率力と、33人の結束力が素晴らしかったことはもちろんですが、日本人の一般家庭の一回の食事量の半分にも満たない食事量で、全員が生き延びたということは、耳を疑った方も多かったかと思います。


しかも、です。
作業員たち全員に、健康上の問題はほとんど何もなかったのです。





最終的に私は4日間の禊と絶飲絶食を達成するわけですが、肉体的精神的ダメージと蓄積する疲労が深刻な状況の中で、飲まず食わずの修行をやり遂げることができたことは、私にも炭鉱作業員やフランクル教授と同じ身体的変化が起きていたと見て間違いなさそうです。




以後、絶飲をすることはしてませんが、20日間ほどの長期絶食(断食)だったり、1日~2日程度の短期絶食を今でもそのときの気分や目的や体調によってやります。
1日1食で過ごすことがあれば、2食のときもあったり、間食もたまにしたり、ときには食べすぎ飲みすぎで頭も体も鈍重化し、何もできなくなったりする自分も楽しんだりと、あまりこだわることのない食生活を現在は送っていますが、明らかな身体の劇的変化は、1食も食べずに(空腹を感じることもなく)夕方から朝までの夜勤などをこなしたりできるようになったこと。内科的な事情で病院に行くことがほとんどなくなったこと。風邪をひきにくくなり、もしひいても完治するまでが早いこと。胃腸などの臓器が以前より断然丈夫であること。肌が荒れにくくなったこと。年齢よりも若く見られること。1日3食を食べていた頃より睡眠時間が短くなったこと。などでしょうか。

あ。それともうひとつ。
なんらかの災害が起き、食べ物や飲み物を得られなくなったとしたらどうしようか、という恐怖。
一文無しになってホームレスになったとしたら、飲食はどうしようか、という恐怖。
それら不意の飢餓的状況への恐怖がいっさいないことです。





実践者の中には、サイキックな能力に目覚めた方だったり、真冬に裸でも寒さを感じない身体になった方だったり、生活習慣病やアルツハイマー型認知症、あるいは末期的な病から回復した方だったり、思考回路が度を越してクリアになった方だったり、老人斑(シミ)がちいさくなった方だったりだとか、視力が回復した方だったりとか、かつて水野南北が説いたように、そのおかげで運が向いてきたと判断するような方もいたりします。





なにゆえ身体は、食べなくても平気な身体に変化したのか。
このこともまた、長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)と呼ばれる遺伝子の発露だったり、体内に生息する微生物の変化だったり、プラーナ摂取(太陽エネルギー)だったりと、様々な諸説があるので、興味がある方は自分で調べてみて、自分だけの正解を探索してみることをお勧めします。何が正解かは、自分の肉体でもって確かめるのが一番の最短距離です。
また、少食における体の変化の記録を綴った文献や、科学的データを元に様々な推論を立てた文献、精神世界と食との関連性を記した文献など、いろいろあります。
私の方からも、ブログにて少しずつですが紹介していけたらと思います。









2回で収まりませんでした。
次がようやく後編(最終回)です。
最後に重要な問題が残されています。
「ではなぜ、飢えて死ぬ人間と死なない人間とがいるのか」












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「さよなら人類 / たま」
作詞 柳原幼一郎

今日 人類がはじめて
木星についたよ
ピテカントロプスになる日も
近づいたんだよ






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sayamaさん

最終回、更新しました!

No title

これはけっこうすごいことを言ってるのでは。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。