『運命は自分で切り開ける』という意識レベルと 『運命は変えられない』という意識レベル

数日前
友人からこんな内容の質問を受けました。

妻のことをどうしても愛することができないが
努力次第でいつか愛せる日は来るのか。

あるいはその時々の距離感や
共に過ごした時間などによって
それは変化していくものなのか。







質問に対して私は回答したのですが、
読者のみなさまにも何らかのお役に立つような気がしたので、
要約して掲載してみようと思いました。

表現の中に「レベル」という言葉が使われますが、
私たち人間は「レベル」と聞くとそこに優劣を見い出す習慣があります。
ゲームにしろ勉強にしろ「レベルが上がる=成長」を意味しますから、当然と言えば当然のことです。
ですがこの回答に関しては「優劣の話」ではないことと、
「個人差」もあるだろうことに注意し、読んでいただければ幸いです。




愛する努力をし、その努力が実る場合はあるし、実らない場合もある。

そして、「実るか」「実らないか」という行き着く結果は、すでにさだめられている。

私たち人間が、自らこの肉体や個性を選んで生まれてきたわけではないように、
ある人とのあいだに生まれる距離感も、共に過ごす期間も、
本当のことを言ってしまえば、自分では選ぶことができない。

かなりざっくり、乱暴に人間の持つ意識を2種類に分けてしまえば、
『運命は自分で切り開ける』という意識レベルの次の大きなステップに、
『運命は変えられない』という意識レベルが待ち受ける。

それが人間として行き着く終着点としての意識だが、この世界のほとんどの人間は、自分が人生を切り開いているような錯覚を享受しながら生かされてる。

成功の法則や引き寄せの法則の類いは、すべてがその意識レベルにある人のためにある。
本当にそのとおり願望が実現したり、実現しなかったりして涙をのんだりしながら、人生の荒波に翻弄されることを体験するために。

だからといって後者が優れているとかいうことではないし、自分の意思で後者の意識レベルに移行できるものでもない。
けれども仮にもし、このブログを読んでいる人が後者の意識レベルに移行することがあったなら、このブログに書き記されていることが、呼吸をするくらいに当たり前のことになってしまう。

後者の意識レベルに移行してしまったなら、変えられないことを受け入れなければならない苦しみというものが待っている。

その一方で、すべては起こる必要があって起きていることを理解している意識レベルにあるため、過去への後悔や未来への期待といった波風が激しくは立ちにくくなる。
そういう意味での平穏は得られる。

引き換えに、過剰に幸福を感じることはなくなり、過剰に不幸を感じることもなくなる。
自分で人生を切り開いているような達成感や充実感は、希薄になる。
人によっては虚無感に苛まれる(私にもそういう時期がありました)。


結局のところ、どちらの意識レベルであっても、この世界に肉体を持って存在する限り、
「苦」が100%完全に滅却されることはない。



意識レベルの話は、この↓ふしぎ発見も参考になるかもしれません。

必要なパーツがすべて噛み合って、初めてそれは自転車(世界)だよ










今年もまた冬を越し、
春も越えて、
実をつけたパクチーの種の収穫期が来ました。

IMG_20160601_142159.jpg

花が咲き、この枯れ枝のような状態になるまで放っておき、
種をつまむとぽろぽろと種がこぼれてきます。
年々、取れる種が大きくなっていってるのがわかります。
冷蔵庫に保存すれば、数年持ちます(元気な種なら10年くらい経ってもいけるかもしれません)。
単純に、育てたパクチーがいろんな場所に波及していけばいいなと思うので、
遠慮なく「種をおくれ」と連絡下さい。





前のパクチーに関する記事で
パクチーは夏に弱いことをお伝えしましたが、
いつか真夏にも耐えうるパクチーを育てるべく(夏にこそ一番食べたい植物だけに)、
あえてうちのパクチーが苦手な時期に種を植え付けました。
で、10日ほど経ってこの通り芽が。

IMG_20160531_161205_convert_20160604104132.jpg


さあ、今年こそはパクチーたちは真夏の猛暑を耐えぬくことができるでしょうか。












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ナオト・インティライミ / 未来へ」
作詞 オオキノブオ

誰のせいでもない運命
恨む相手がいたら救われたのだろうか




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

http://domidorikun.jp/blog-entry-435.html

希望のメールを下さった方へ 
メールを送信してから10日経っても届かないようでしたら、またメールください。




この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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sayamaさん

大丈夫です。

そうだと思ってました。

No title

オレはたぶん後者の側。移行のきっかけはこのブログ。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。