半分ずつをきみに届けるよ。

誰しもに
まっくらな夜と
まばゆい太陽
とが
くりかえしおとずれるように

誰しもに
つめたい風と
あたたかい風
とが
くりかえし吹きつけるように

誰しもに
アタリの料理のときと
ハズレの料理のとき
とが
くりかえしおとずれるように

誰しもが
自分や他者への
敗北を味わい
勝利の瞬間
とを
くりかえし味わうように

明と暗のコントラストがあるから
「物質」を視覚的に認識できる
ように

凹と凸があるから
「物質」を触覚的に認識できる
ように

音量と音階の
高と低があるから
歌を唄い
音で意味を
伝えることができる
ように

助けを必要とする人がいるから
「助ける」というできごとは成立する
ように
助ける余力がある人がいるから
「助けてもらう」というできごとは成立する
ように

誰しもに
「すき」という気持ちと
「きらい」という気持ち
とが
くりかえしおとずれるように

誰しもに
息を吸い
息を吐くということ

くりかえしおとずれるように

誰しもに
歩きはじめるときと
立ち止まるとき
とが
くりかえしおとずれるように

誰しもに
いい気分のときと
わるい気分のとき
とが
くりかえしおとずれるように

誰しもに
「死」という概念と
「生」という概念
とが
半分ずつやどされているように
しあわせだけしかおとずれない人間なんて
いるはずもないよ
不しあわせだけしかおとずれない人間なんて
いるはずもないよ


誰しもに半分のしあわせと
半分の不しあわせとが
おとずれる
たとえ
他者から見てその人が
そうは見えなくともね
当人が
「私にゃ不幸なことしか起こらない」と
思ってるとしてもね
当人が
「私にゃ幸せなことしか起こりません」と
思ってるとしてもね




幸と不幸とが
くれなずむ場所
から
きみは半分ずつを
これからも受けとりつづけるんだ
それはほかのなにものにもかえがたい
くれなずむ場所からの
たいせつな
とてもたいせつなおくりものだよ






きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「フルコトブミ / 環ROY」
作詞 Ryo Tamaki

昼と夜が分かれる前
まだ何もない すべての手前
真ん中にひとつの思いが生まれた瞬間に隠れた
そしていま街角から空を眺めてると
決まりことがわかりはじめるよ
委ねられた二人
幾つもの理由を名前に変えたよ
声を聞いて赤くなった太陽
輪郭が確かになった街灯
デコとボコ 重なるちいさな隙間
繋がるために向き合った
いつのまにか増え続けた理由
最後に触れる名前のことを知る
離れ 離れ だから
少し遠いそこへ迎えにいくよ






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ジャンル : 小説・文学

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konchikiさん

毎日来てくれてたなんてちっとも思いもしなかった。
今はkonchikiさんにとってなんとなくそういう時期なんだね。

あるよ。
特にぼくは音楽を聴くときに、そういうところがあるね。
歌詞とかメッセージ性みたいなところはあまり重要じゃなくて、歌もバックの楽器と同様、音として受け取ってる感じ。
歌詞とかメッセージ性は、聴いてる僕が勝手に作っちゃう。
発信してる側と、受け取る側との解釈にずれがあったとしても、ぼくはそれでいいと思ってる。

というより、誰しもそういうことにあまり自覚的じゃないだけで、人と人とが関わるって、音楽に限らずそういうことだと思う。
だからこそほんとに伝わったときとか、理解できたときの喜びがあるし、自分が意図したメッセージとはまったく違う解釈との出逢いや発見、化学反応みたいなものがあって、そこには成長があるし、人生のおもしろみがあるよね。

自己都合だんなてkonchikiさんは言うけれど、ぼくのブログだって自己都合以外の何ものでもないさ笑

No title

あれから一日一回は来てるよー。
ただ、前みたいに理屈として、言葉として知りたいことはない、なんて思いあがってて(笑)
でもそれってある、よね?

でもそれでも、「半分」という言葉に何かが刺激される。
その刺激をそーーーっと受け取って静かにする。そんな感じ。

だからオイオイ泣いたり助けろーっていう自己都合以外は書くことがない(笑)
いつまでどみどりくんとじゃっくさんがいてくれるかわからない。
それもそうなんだよね。
不思議な有難いご縁にただただ。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。