とある勤勉家の短い物語だよ

あるところに
熱心な勤勉家がいたんだ

ひたすらに純粋に
おもむくままに
わからないことをわかりたいがために
勤勉家は勉学にいそしんだよ
そんなけなげな勤勉家を
人々はこぞって応援したんだ

勉学にいそしめばいそしむほどに
保有される知識や情報は蓄積し
それは自分の立ち位置を
高いところへと押し上げて行くよ

勤勉家が積み上げる
知識と情報の山は
日を追うごとに高くなってゆき
高くなれば高くなるほどに
世界の隅々を見渡すことができて
ものごとの本質を見とおすこと
それができるようになっていったんだ

十分すぎるほど高くなった
知識と情報の山の頂で
ふと下界を見下ろす勤勉家
それまで気にもしなかった
世界の底辺を
能動性のかけらもなく
受動的に行き交う人々が
気になるようになるのと同時に
侮蔑のまなこを向けるようになったんだ

「彼らは能動的になれないがために
世界を見渡せるだけの
知識と情報の山を持ち合わせておらず
なにひとつ
ものごとの本質が見えちゃいない
もっと能動的に生きなきゃ
あんたら 生きる屍だぜ」


ふと見上げれば
自分よりも高い
知識と情報の山が
そこかしこに点在するのが目に入る
その山々が邪魔なせいで
世界を完全に見渡すことができないことに
勤勉家はあせりを感じたんだ

「もっともっと
知識と情報を積み上げ
高いところに立たなければ
この広い世界を
完全に掌握することはできない」


知識と情報集めの
競争に次ぐ競争に勝ち抜き
誰よりも抜きんでて
高いところに立った勤勉家
もはや自分よりも高い山は
どこにも見当たらなかったし
自分を論破できる存在も
どこにもいなかったよ
この世界に見えないところなんて
なかった
はずだった──

ところがなんと
頂から下界までが
あまりに遠すぎるがために
下界の細部で何が起こっているのか
はっきりと見ることが
できなくなってしまっていることに
勤勉家は気がついたんだ

けれども
せっかくここまで登りつめたのに
今さら下に降りるだなんて
あまりにもったいなかったし
プライドが許さなかった

勤勉家は
下界のやつらと自分とでは
住む世界が違う
そう割り切ることで
この問題に蓋をしてしまったよ

あれほど純粋に
知識と情報を求めていた
勤勉家だったけれども
今となっては
自分を脅かしそうな山がないか
ただそれだけが日々の関心ごと

下界からは
勤勉家を疑問視する声が
届き始めたけれども
下界の連中の声など
耳を貸す気などない勤勉家
自分の山より高い山が現れやしないか
そのことだけが気がかりで
勤勉家は夜も眠れず…

頂の狭いスペースで
血眼になる
そんな勤勉家の頭上を
ゆったりと旋回した
智慧の鳥が言ったんだ

「あんたもこっちに来たらどうだい」

次に
智慧の大地が言ったんだ

「あんたが世界そのものになっちまえば」

次に
智慧の海が言ったんだ

「わざわざそんなところから」

次に
智慧の星が言ったんだ

「世界を見渡す必要もなかろうに」









今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね
「Star Ring Child / Aimer(エメ)」
作詞・作曲 澤野弘之

駆け出した 
無邪気な色は 
ぶつかり合っても
塗り上げる音忘れない
飾られた答えなんてここに必要ないから
1秒に見えた世界を 次へ






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ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん

ときには知識や情報が余計な壁になったり不要な偏見になったりもするもんね。

No title

知識や情報もほどほどにってことかな。

yoku358さん

こちらこそありがとうございました。

何のお力にもなれず、申し訳ありませんでした。


yoku358さんと交わした言葉を糧に、ぼくはこれからも生きて行きます。

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ラウさん

ラウさん、いつもありがとう。

まだ8月だというのに、早々に秋がきて冬が来てしまいそうなくらい、肌寒い日が続いて、暑くなったり寒くなったり、なんだかせわしないね
((´д`)) ブルブル

yoku358さん

ごめんなさい。

最後いただいたコメントに、返答してから気がつきました。

どのコメントを削除すればよいでしょうか。

ぼくの返答のコメントも削除した方がよいですか?

yoku358さん

卓球のピンポン玉がたくさん入った巨大な箱があるとして、その内の一個がyoku358さんだとします。

箱を揺らし始めると、その中の一個一個の球は、他のすべての球の影響(ぶつかり合い、力が伝動していくこと)を避けることができません。

yoku358さんの一個の球の動きを決定するものは、yoku358さんの球以外のすべての球ということになります。

「君自身は何もしていない」の意味は、ざっくり言ってしまうとそういうことです。

yoku358さんの周囲にあるものすべてが、yoku358さん一個人の動きを決定しているということです。

もっとうまいたとえ方、伝え方がないものか、このブログの中で試行錯誤する日々です。



yoku358さんが抱える苦しみの、そのすべてをわかったような気になることは決してできませんが、裏の顔のお話、ぼくも共感できる部分が多くありました。

首根っこを…の表現の強さには、言葉をうしなうほどでした。

ですが、見えなくてもよいものが見えてしまうことによって負荷される苦しみの、その反面、そのことによって降ろすことができている苦しみが半分はあると(誰にとっても)、確信する自分がいます。

ところがぼくたちは人間ですから、一度に両方にスポットを当てることができません。
苦しいときは、その苦しいことの一点だけにスポットが当たり、その反面の部分に目を行き届かせることは、自分の力でどうにかなるものではありません。なぜなら、スポットをどこに向けるかという行為さえも、彼方からやって来るものだからです。

逆のパターンもまたしかりで、喜びで浮かれているときには、そのことによって背負うことになった反面する負荷に気付くことができません。

その両方を行き来する振り幅のことを、ぼくは「人生」と呼びます。

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えびはんさん

ありがとうございます!

こんにちーは。

この詩すごく好きだな。人生っていいね!

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No title

「君自身は何もしていない」
一つ気づいた事があります。
何かを伝えようとか、自分をこう見せたい
とか思っても
相手の受け方次第で、まるで違ってくる
私という人間や思考そのものも
私自身(今ここ)から離れた瞬間から、もはや私ですら無い
そう感じる事あります。
なんで、そう取るかな~とか、私はそんな人間じゃないのだが
とか、お構いなしで周囲は動いている。
昨日もそれをひしひしと感じさせられた事があって
ちと疲れ気味(;´Д`)
面倒くさい人とは、絡みたくないのだけれど
なぜか、絡んでいる私がいる。それも、言い換えれば
やらされている!という感じも受ける。
自分自身、面倒くさい人が嫌いなのに、他人に対して、面倒くさい絡みしてる時がある。離れた意識で見ているとわかる。
離れた意識が、後悔という雑念を生むのだけれど・・・・・
考えると疲れる。肉体労働している時以上に・・・・これ不思議な事なのですが
考えるより、肉体労働していると、知識はどこからかやってくる。
本来、答えは解る時に解るようになっている。
という事で、先日の質問はもういいですよ~

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No title

この詩の終わり方が好きです。

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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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