「雑草」だけしかない世界だよ

雑草が 
に向かって
梯子(はしご)をかけ
つらぬいてやるぞと
めいっぱいに
その手を突きのばしているよ

が 
雑草に向かって
梯子を降ろし
この手につかまれよと
めいっぱいに
その手を突きのばしているよ

それこそが
この世界

けれども
雑草のその手が
に届くことは
ないんだ

けれども
雑草を
雑草たらしめる
は 
最初の最初から
に届いているよ


とが
命の息吹
こすり合わせているよ

必要とされる
こともなく
食べてもらわれる
こともなく
愛慕や 羨望を
浴びることもなく
引き抜かれ
ゴミ袋に詰め込まれ
燃やされるだけだとしても
雑草は平気

雑草は 
己が
何者でもないことを
本当は
知っているんだ

何者でもない者からは
何も奪うことができないよ

何者でもない者が
所有しうる何かなんて
どこにも何も
あるはずもないから

何も持たない者に
奪われうる何かなんて
どこにも何も
あるはずもないから

きみの
奥深く
は 

届いてる

きみの
奥深く
は 

届いてる








今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「LOVE LOVE SHOW / THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー)」
作詞作曲 吉井和哉

「愛には形がないよ」とか言うけど
触れられなければ 淋しいもんだよね
散らない花はないけれども 花は咲き続けるだろう
それじゃさよならお元気で






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

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yoku358さん

全部を受け止めて全部に返すことはなかなかできないのですが、それでもよければいつでも待ってます^^

sayamaさん

YEAH!

No title

みんな雑草!みんなおんなじ!だな。

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yoku358さん

こんばんは。
「どみどりくん」で大丈夫ですよ笑

いやほんと、そこがひとつの落とし穴で。
感情をコントロールなんてできやしないんです。

自分の身に吹いてきた風をコントロールなんてできないのと一緒です。
ですが、どんなに強い風もいつかはやみます。
そのことを知っていれば、精神的に苦しいとき、この強風をどうにか止めねば!などとできるはずもない徒労に、二重に苦しむことを避けられます。

こんばんは

ありがとうございます。

私・・・・・
どみどりくんさん(笑)の
「感情を観ています」という言葉に唖然
あ・・
私は、受け入れるとは
冷静に感情をコントロールする事だと勘違いしていた自分に気づきました。
時々湧いてくる感情をブロックしていたのだと気づいたのです。
そして、これでは一体化にはなれない!と思いました。
だから、ブロックせず湧いてくる感情こそを受け入れる事
(そこから目を逸らさず心を感情に任せる事)
それが、一体化なのだと
気づかせてくれて・・・・・ありがとう~

yoku358さん

>あまりにもシンプル過ぎて、味気無さ過ぎて
真っ先に捨ててしまいそうだったものが
実は、真実の愛(その時の)だったのだと思えた。

yoku358さんのコメントが変化してゆくのをずっとこうして見つめてきましたが、もう、ほとんど核心部分に触れつつあるようにぼくには感じられています。

「愛」というものも、主観が意味から傍受した言葉です。
「愛」すらも超えたところに、真実はあります。
「あります」と断言しましたが、これはぼくにとっての「真実」です。
ぼくの言葉は参考程度に、yoku358さんにとっての真実を、ぜひ見い出してくださいね!

おはようございます。

私の私自身に対する憎しみが、今ここに存在し
夫の苦悩と苦痛が、またそこに存在し
それぞれの苦痛が、またそれぞれの苦痛の為に存在していたのかと気づかされた時、私(現実の私)の苦痛さえも、真の私は楽しんでいるのかと思えた。
(現実の私には、とても考えつかないような演出に感服!)
そして、苦の二乗=愛という公式が成り立った。
そして、この苦の二乗=愛という公式が、これまた、私の奥深くに眠っていた。別の公式に気づかせた。
悦の二乗=愛
(あの関係性に愛があったのか?と思っていたけど)壊れるものを壊し、壊れない芯だけを残したとき・・・・
あまりにもシンプル過ぎて、味気無さ過ぎて
真っ先に捨ててしまいそうだったものが
実は、真実の愛(その時の)だったのだと思えた。
果実の種が、未来に豊かさをもたらすのと同じように
このちっぽけで、味気ない、それでも決して壊れない関係性
ここに、があったのかと思わず笑ってしまった。
ワンクリックいただけると励みになります。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。