「死ぬ」も「生きる」も誰にもわからない世界だよ

「死ぬ気でやる」
という次元にあるとき
思いもよらぬ
力が発揮されることがあるのは
みんなもご存知のとおり

「死ぬ気でやる」とは
「生きる気でやる」
意味するところはおんなじ
コインの表と裏さ

観念 自我 という
足かせが微弱になり
生死(世界)そのものとの
分離感が微弱になり
そもそも自らが
世界と一体であることに
無自覚に覚醒するのと同時に
世界を突き動かし 
やむことのない
根源的エナジーが
その姿を現す
んだ

いやいや
「生きる気」にかかわらず
現にこうして生きてるじゃないの
そう思った人も
いるかもしれないね

では
なにゆえ
「死ぬ気でやる」
そう表現されつづけるのか

それはというと
誰しもが
「死んだことはない」けれども
「生きたことはある」
信じてはいても
疑うことはないからに
他ならないんだ



本当に?


本当に
「生きたことはある」
きみは
うそいつわりなく
言い切ることが
できるだろうか

ぼくには
どうしても
言い切ることが
できないんだ

なぜならば
「死んだことがない」
と言えるということは
「生きたことがない」
と言っているのと
同じことだから








今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「I DON’T KNOW / NUMBER GIRL(ナンバー・ガール)」
作詞 向井秀徳
作曲 向井秀徳

おーい!!
あの娘の本当 オレは知らない
あの娘のうそを オレは知らない
I don’t know






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。
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ジャンル : 小説・文学

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sayamaさん

sayamaさん、いつの日か一緒にマッドマックス観に行こうぜ!

No title

I Live I Die I Live again!!!

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No title

娘のいじめから逃れたくて飼った子犬(クール)への思いを馳せる
とある駐在所から別の駐在所へ移動の時
車や船を乗り継ぎ、乗り物に対する酔が強烈で゚(゚´Д`゚)゚
今の地へ引っ越すとき、彼の命を私たちは犠牲にした
あの日の彼のあの恐怖の顔と、目、そして暴れ方
ふと思い出し、罪悪感と彼への愛
そして・・・・・・尊い命
一つの命にいじめからの救いを依存し
そして、今度は新たな生活の為から犠牲にした

あの尊い命への懺悔
私の罪、懺悔・・・・・・・・・・・・・・・・・彼の生きた時間
幸せを求めるが為に何かに頼った弱い自分と
あまりにも大きな犠牲・・・・・・
今日は、クールを思い涙が止まらない・・・・・申し訳なく
命の代償とその報い・・・・・
そこに、生は無く、死は無いとは言えないのだ゚(゚´Д`゚)゚
現実に生きる私にとって・・・・・・そして、家族の為に犠牲になった
あの優しすぎるクールにとって・・・
現実とはあまりに無残で、あまりに残酷で
あまりに・・・・・・・・

No title

ぶっちゃけ。生について
落ち込んだ事あります~
この度の息子の交通事故の一件で
警察署で、強いて言えば、あなたは何が悪かったと思いますか?
と聞かれたらしい息子
違反もなく、ただ自転車で走っていて跳ね飛ばされた!
警察では話さなかったけど・・・・・私にポツリ
「自分の何が悪かったか?強いて言えば、生まれてきた事でしょう!」
と言った息子に
自分の欲望だけで生んだ息子!ショックでしたね~

No title

↑↑
どみどりくんのコメ返良くわかります。
私が私だと主張しているとき
私は、名前を意識して話した事が無いからです。
お名前は?と聞かれた時にだけ
自分と名前が一致する。

ネリムさん

そうですね。
唯一わかっていることは、その二つが「言葉」である、ということかもしれません。

こんにちわ
生死は難しい世界だなと思います。
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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。