5月8日に投稿した蛾の後日談と、けろぴー。

5月8日に投稿した蛾の話には、
実は後日談があります。



翌々日の10日、
ベランダの洗濯物を取り込んでいたところ、
バタバタと暴れるような羽音が聴こえてきます。



排水溝の辺りで、
ボロボロになった羽をばたつかせていたそれは、
あの蛾でした。





8日、羽を痛めた蛾をどうしたらいいものか、
考えたすえ、
パキラの甘い蜜を吸わせてやれば、
少しはマシな余生を過ごせるのではと思い立ち、
蜜が出ている辺りに捕まらせ、放っておいたのですが。


10日に見つけた蛾の羽は、
もはや飛び立てるような状態ではありませんでした。
そのまま放っておいても、身体を地面に打ちつけながら、
苦しみながら、ゆっくりと息絶えて行くのみです。



そこで私は、ひと思いに楽にしてやろうと思い立ち、
蛾をヒキガエルに与えることを決めました。



私の四畳半の部屋の棚の上で、
プラスチックのケージに住まわされ、
飼われているのがヒキガエルのけろぴーです。



そのケージを取り出そうとしていたときです。
私の指先にとまっていた蛾は、私の足の甲に降りたかと思うと、
じっとそのまま動かなくなり、次に卵を産み始めたのです。

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計4個産みました。

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まるでそれは、
最期の覚悟を決めた蛾が、
生命のバトンを私に託したかのようでした。


そのあとは、ジタバタとすることもなく──
けろぴーのケージにその身を置いてやると、
一瞬でけろぴーに飲み込まれてしまいました。



けろぴーが生き物を食べるところを見たのは、実はこれが初めて。
いつも私が目を離している隙に、いつの間にか虫がいなくなっているので、
けろぴーがちゃんと生き餌を食べてるのかどうか、半信半疑でいましたが、
正真正銘のヒキガエルであることがはっきりしました。



蛾が遺した卵は、
ベランダで一番土がやわらかそうなプランターに蒔いてきました。





私は蛾が、
私に生命のバトンを託したかのようだったと、
放っておけば、苦しみながら息絶えてゆくだろうと、
そう書きましたが、
これこそがまさに、
私の主観が成した「解釈」です。
ズートピアでいう「偏見」です。


蛾は安定した場所を探していて、
たまたま私の足の甲が安定してよさそうだったので、
卵を産んだだけかもしれません。

「覚悟」どころか、
な~んにもいっさい考えてない可能性だってあるし、

虫に「苦しさ」などという概念があるのかどうかも、
虫になってみないことには誰にもわかりません。

そしてまた、
私が蛾をヒキガエルの生き餌にしたことを、
「なんとむごいことを!」
と、解釈した方があるかと思います。
いっぽうで、
「わたしもそうしたかもな」
という解釈もあったかもしれません。

あるいは私が、
もはや飛び立てない蛾を、
排水溝に放っておくことにしたなら、
それはそれでやはり、
「この人は冷たい人なんだろうな」
そう解釈した方もあったかと思います。
いっぽうで、
「自然のものに人間の手を加えないことは正解だ」
という解釈もあったかもしれません。

極め付けは、
そもそもヒキガエルを飼ってたり、
蛾を触ったりしてる時点でこの人ありえない。
なんて解釈も。
(案外これが一番多かったりして)



「人間てやつあ、偏見だとか解釈だとか、
そんな万華鏡みたいなもんに振り回されて、つくづくご苦労なことですなあ」
と、
けろぴーが冷めた眼差しで見つめているかのよう。

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という、これまた私主観がカエルを擬人化した解釈。




けろぴー「で、その逃走不可能な見えない相手をどうするおつもりで?」

じゃっく「逃げるのやめて、楽しむことにした」

けろぴー「いいねえ」












あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Renaissance feat.Sugbabe / PUNPEE(パンピー)」

いつもと同じ壁を眺め
批評家や女子のウケを考えつくよりさ
誰のためでもなんでもない
自分の描きたいものを ほらっ
君の閉塞的な脳みそに
少しだけ微量の閃光が差せば全て変わるから
それはRenaissance,Renaissance お目にかかるよ
君のRenaissance じゃあさ 作り出そう エイ♪






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遠慮なく「偏見」をぶち壊すべし

ディズニー映画最新作「ズートピア」を観てきました。

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ざっくり言えば、「偏見」がテーマの映画なので、
そんな大人すぎるテーマの映画で、子供も楽しめるの?
と、心配される方もいらっしゃるかと思いますが、そこはさすがディズニーです。
子供が楽しめてなお、大人も笑える皮肉たっぷりの社会風刺が散りばめられています。

え?あのディズニーが「皮肉たっぷりの社会風刺」?
そうなんです。それどころか、自分たちが過去に作った作品を嘲笑してしまう、
そんな自虐ネタまで挟み込まれたこの映画に、
おこがましい言い方ですが、ディズニーの「成長」のようなものを感じました。




みなさまご存知のとおり、
世界は偏見に満ち満ちています。


まるで「中国人」という名の、
ひとつの巨大な厳戒地区が存在してるかのように、
「韓国人」という名の、
ひとつの巨大な怪物が存在しているかのように、
その国境内にある人々すべてを、
ひとくくりにし、
「だってテレビでそういう中国人を見たから」
「だってあいつら日本人を目の敵にするだろ」
「だってみんなが韓国人は自己チューだって言うから」なんて安易な理由から、
ぺたっぺたっぺたっぺたっ…
私たちは偏見のレッテルを貼り付けてしまいます。
国内規模でも同じことをしますし、
職場規模や学校規模、家庭規模や個人間規模でも同様です。
呼吸をすることほどに、心臓が勝手に鼓動することほどに、
いつでもどこでも、私たちはその作業を怠りません。


ズートピアはそのことに対し、
楽しく可笑しく、警鐘を鳴らします。



過去、
私にも偏見による失敗遍歴が、
数え切れないほどに、
笑えないほどにあります。
泣けてくるほどにあります。



結局のところ、
人間が主観フィルターを内蔵された存在である以上、
人間に「好き」「嫌い」が宿命づけられている以上、
人は「第一印象」から逃れることはできません。

怖そうに見える人は、やっぱり怖いし。
あやしく見える人は、やっぱりあやしい。
優しそうに見える人は、どうしたって優しそうに見えてしまいます。



あるがままのその人を、
あるがままの世界を、
見えなくしてしまう「偏見」


では、偏見とは排他すべき「悪」でしょうか?




ところがどっこい。
「偏見」を悪とし、邪険扱いする行為もまた、
立派な偏見
なのです。



世界に「偏見」がなかったなら、
ぼくのブログの存在意義などないことに、
みなさまお気づきでしょうか。



最初は嫌な奴だと思ってたけど、
こいつ案外いい奴かも。とか。

初対面は一生の友達になると思ってたのに、
今はなんとなく気まずいな…。とか。

せっかくのGWが予定変更で台無しになったと思ったけど、
予定変更になったおかげでもっと楽しいことが待ち受けてた!とか。

どの人もレビュー大絶賛の本だったのに、
読んでみたらぜんぜん面白くなかったチクショー!とか。

ブログにキレイな蛾の写真を載せたし、
きっとみんな喜んでくれるかと思いきや、
母親や友人から「気持ちわるいです」のメールが来た泣。とか。



この世界は、
大なり小なり、
無数の偏見で彩られています。
世界は偏見でできている、と言っても過言ではないかもしれません。



誰しもが、
うれしいパターンでの

「ずっとこうだと思ってたけど、そうじゃなかった」
「まさか急にこんな展開が待ち受けているとは!」


なら大歓迎だけれど、
残念なパターンでのそれは、
できれば避けたいところだと思います。
ぼくだってそうです。
信じてた人に裏切られたりすることは、
思わぬ大アクシデントに巻き込まれたりすることは、
なかなか骨身にこたえます。



ですが、
これらすべて、
「偏見」があればこその、
「ふしぎ発見」
なのです。
偏見なくして、
「発見する」という体験はあり得ない
のですし、
もっと言えば、
「偏見」なくして、
「人生」はあり得ない
のです。





偏見という名の壁に囲まれた迷路は、
お化け屋敷の仕掛けのように、
これからもあなたを、
驚かします。
怯えさせます。
涙させます。
怒らせます。
そしてとっておきのタイミングで、
歓喜もさせます。

それこそがどみどりくん的「ズートピア」です。




偏見の壁は、目には見えないものです。
そして、あなたの中にこそあるものです。
なので、壊したところで誰も困りはしません。
遠慮なくぶち壊しましょう。
壊せるものがある喜びを、味わいましょう。











あなたのその身に、
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても、
どみどりくんは変わらず、
いずれあなたにおとなうであろう「発見」によりそっています。

今日のあなたを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「ARISHIMA MACHINE GUN/// / 0.8秒と衝撃。」
作詞 塔山忠臣

誰のモノじゃなく、
君は君に
刻印を押せよ、
愛の色に。
カモンレッツダンス!!!






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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
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