映画「ヘイトフルエイト」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
クエンティン・タランティーノ監督作
「ヘイトフルエイト」

※今回はネタバレしたくない気分だからしないよ!※

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「差別」という
人類にとって
もっとも困難な問題
その象徴的戦史である
南北戦争終結後の
ワイオミング州の
豪雪の山奥が
この物語の舞台

物語の中身は
西部劇であり
一級の
密室ミステリー

序盤
賞金首を捕まえることを
生業とする
カート・ラッセル演じる
ジョー・ルース
確かこんなことを言うんだ

「そこに偏見が介入する限り、それは正義ではない。
偏見なきところに本当の正義がある」


きみは
この言葉もまた
偏見であることに
気がつくだろうか

なぜなら
「偏見なきところに本当の正義がある」
という
もっともそうなこの言葉もまた
ひとつの考えであり
ひとつの偏見
だから

たとえばきみが
何かを選択したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が選択したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見の選択にすぎないよ


たとえばきみが
ありのままの誰かを
目撃したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が目撃したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見のその人にすぎないよ


たとえばきみが
常識では考えられない
唯一無二の
超常現象を
体感したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が体感したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見の体感にすぎないよ



生きることは
偏ることさ

偏りたいがために
わざわざ
「自分」ていう
着脱不可能なフィルタリングを
肉体に埋め込んでまで
生まれて来たんだ
ぼくたち人間は


この映画で
ぼくにとって
もっとも深くに届いた
短い台詞があってね

「うまい創作だな」

どういう展開があって
どういうシチュエーションでの
この台詞なのかを
言いたくてたまらないところだけれども
今回はやめておくことにするよ

けれども
この台詞は
ウソ(創作)にこそ
ホントウの扉を
開き
こっそり覗くことができる
秘密の鍵
それが用意されていることを
改めてぼくに
示してくれた


ホントウとは
自らのウソ(創作)や偏見(創作)
自画自賛して笑ってる
である
ぼくたち自身(ホントウ)
ほかならない
んだ



決して万人受けするような
ファミリームービーではないよ
なんせ
R18指定だし
神経を逆なでするような
過激なバイオレンスに
ゴア描写
意地悪で不謹慎な
異常な世界観に
満ち満ちているから

ぼくはというと
ときに息をのみ
ときに笑い
ほんの少しだけだけど
泣かせてもらい
勇気をもらったよ

タランティーノ作品が
好きな人には
迷わずお勧めだけれども
お初の方は
同じく
人種差別をテーマにした近作
「ジャンゴ 繋がれざる者」が
お勧めかもしれない












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「地獄でなぜ悪い / 星野源」
作詞 星野源

嘘で出来た世界が
目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が
悲しい記憶に勝つ






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
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映画「ロッキー・ザ・ファイナル」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
シルヴェスター・スタローン監督作
「ロッキー・ザ・ファイナル」

※ネタバレありだよ!※

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全6部作にもなる
ロッキーシリーズは
数あるスポ根映画の中でも
金字塔的映画

言わずと知れた
シルヴェスター・スタローン
主演を務めていることや
ラジー賞(その年の最低映画や最低俳優を決める賞)に
ノミネートされたり
様々な映像作品やマスメディアなどで
パロディ使用されてきたがために
ときには嘲笑されながらも
普段は映画を見ない人にまで
広く認知された
アメリカンドリームの
象徴的映画でもあるよ

ぼくは
どちらかというと
こてこての根性論は
苦手な性質で
トレーニングシーンなどの
ダイジェスト映像での
勝手なイメージで
なんとなく
敬遠していた作品だったし
もっと言えば
バカにすらしていたかもしれない

けれども昨年
新たなロッキーシリーズの始まりと
噂されていた
スピンオフ作品
映画「クリード チャンプを継ぐ男」
劇場で見てみて
シルヴェスター・スタローンという俳優へ
抱いていた
凝り固まった偏見に
愕然とさせられることになり
今さらながら
ロッキーシリーズを
1から見て行くことを
始めたんだ

5作目まで
見終えて
そして
シリーズ6作目にあたる
「ロッキー・ザ・ファイナル」

自分の体重が
何キロか落ちたんじゃないかと
錯覚するほどに
目から鼻から
水分という水分が
抜け落ち
この6作目の布石ための
1~5作目だったのであろうことを
思い知らされ──

「これはもはや
スポ根映画なんかじゃない
リアル人生ゲームにおける
本当に大切なことが
ここにはすべて詰まってる」


そう思ったぼくは
世間的なイメージに
加担し
今まで抱いてきた
根拠のない偏見を恥じ
スタローンに
土下座したいような
そんな気持ちになったんだ

1作目からの
あらすじはというと
こんな具合

三流ボクサーで
生活は貧窮し
ヤクザに依頼される
取り立て業をこなしながら
その日暮らしな生活を送っていた
シルヴェスター・スタローン演じる
ロッキー・バルボア
そんなロッキー
ある日
世界チャンピオンの
アポロ・クリードとの対戦
その奇跡的なチャンスが
舞い込むことになり
互角の試合をしたことや
その高倉健ばりの
不器用さと純朴さでもって
名実ともに
スター選手の仲間入りを果たすよ

けれども
ボクシングだけが
人生のすべてには
なりえない
ように

ロッキー1作目から
5作目まで
繋がっていくストーリーは
単にボクシングすることのみにあらず
ボクシングに帰結するまでの
ロッキーのバックストーリーがあってこその
ロッキーのボクシング


そしてこのことは
すべての人にとって
同じこと


料理人の世界に
その生きざまを刻む者は
料理人に帰結するまでの
その人のバックストーリーがあってこその
その人の料理があって

サービス業の世界に
その生きざまを刻む者は
サービス業に帰結するまでの
その人のバックストーリーがあってこその
その人のサービスがあって

妻子や友人を持てば
妻子や友人を持ったからこその
苦悩や葛藤があり

裕福になれば
裕福さへの執着
それを失うことの恐怖は生まれ

過去の栄光や
世話になった人があれば
やがてはそれが
手枷足枷となり
更なる困難を呼び込む
材料となる


そして
リアル人生ゲームには
それらあらゆるハードルの
対価であるかのように
そのあらゆるハードルが
硬い岩をも貫く喜びへと変異して
ハードルだったはずのもの
すべてを木っ端みじんに
突き砕いてしまうような
そんな瞬間が
待ち受けていることがあって


6作目の
ロッキー・ザ・ファイナルは
まさに
その珠玉の光が結集した
宝石のような映画だよ

1作目から
ピッタリ30年の時を経た
この6作目は
30年の時があったからこそ
1~5作目までの
試行錯誤や創意工夫が
あったからこその
名シーン
名台詞

あまりに多すぎて
ピックアップすることが
野暮に思えて来るほど

ロッキー
いつだって
一貫して
世間や審査員が下す
勝ち負けの判定には
いっさい興味がなくて──
ロッキーがしたかったことは
もはや
ボクシングですら
なかったのかもしれない


内から湧きいづる
自らを突き動かす衝動
そのままに
何度でも人を愛し
何度でも笑い
何度でも泣き
何度でも挑戦する
ロッキーがしてることは
いつでも
どんなときでも
自らに忠実であること
ただそれだけ

そしてその衝動は
ロッキーを目撃した人にも
そうじゃない人にも
波紋のように
波及してゆくんだ
時空を超えて


ロッキーの無謀な挑戦に
戒めをつぶやいた
ロッキーの息子の言葉

「何をしても それもまた
過去になるんだよ」


確かにこのことは
逃れようもない真実さ
けれどもこの言葉は
こう言い換えることができることを
覚えておいてよ

「何をしても それもまた
未来になるんだよ」




スピンオフでありながら
シリーズ7作目と目され
4月20日に
ブルーレイ&DVDが発売される
「クリード チャンプを継ぐ男」
機会があれば
是非見てみて
誰しもを突き動かす
湧きいづる衝動は
個人を超えて
肉体を超えて
どこまでも
繋がっている
ことを
確信出来るかもしれない
から












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Tough Boy / TOM★CAT」
作詞 TOM

Keep you burning 駆け抜けて
この腐敗と自由と暴力のまっただなか
No boy no cry 悲しみは
絶望じゃなくて明日のマニフェスト






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート8(V8)

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※ブイエイ!ブイエイ!ブイエイ!
「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見のV8達成だよ!
そして、第88回アカデミー賞最多6部門受賞おめでとう!


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パート8(V8)を銘打った今回は
パート7でのふしぎ発見を
もう少し掘り下げてみる試みであるとともに
「マッドマックス 怒りのデスロード」
この映画が完成するまでの
その経緯
そして
監督ジョージ・ミラー
関わったキャスト
関わったスタッフ
から
学ぶべきふしぎ発見を
ここに書き記さずには
いられなかったからなんだ

前回のパート7では──
映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート7
ジョージ・ミラーの
この重要発言

「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」


この言葉が帯びる
普遍性
作品における
ストーリー上の必然のみには
まったくとどまらないことを
シャリーズ・セロンを例に見て
書き記していったんだけれども
このこともまた
シャリーズ・セロンのことだけには
まったくとどまらないんだ

1998年
ジョージ・ミラーは
本作の着想を得ることになり
2001年にクランクインしたはずだった
「マッドマックス 怒りのデスロード」
シリーズ前3作品主演の
メル・ギブソン
同じく主演を務める予定だったんだけれども
世界同時多発テロの影響で
米ドルの価値が暴落
米ドルで調達した製作費を
豪ドルで支払っていたがために
製作費は膨れ上がり
やむをえず断念

再び
2003年に
撮影は再開されるに見えた
かと思いきや
イラク戦争が勃発したことによる
世界情勢の暗い雲行きの
その只中に巻き込まれ
オーストラリアに
大量の撮影機材を
持ち込むことが難しくなり
豪ドルの高騰も相まって
やむをえず断念

仕方なくジョージ・ミラーは
フルCGアニメーション
ハッピーフィートの制作に
その労力と歳月を費やすよ
この子供向け映画の制作は
マッドマックス制作資金を
たくわえる意味が
あったのかもしれないね
なんせ
ほとんどが
資金不足によって
つまずいてきたから
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満を持して
ようやく
「マッドマックスが撮れるぞ!」という
その段階になって
今度はお金ではなく
人でのトラブルが勃発
主役のメル・ギブソンが
プライベートにおいて
様々なトラブルやスキャンダルを
起こしてしまったがために
再び撮影を断念

旧シリーズファンのあいだでは
もはや撮影は
絶望的なのではないかと
囁かれはじめていた
そんな最中
さらに時は過ぎてゆき
メル・ギブソンは年をとり
ジョージ・ミラーは
70歳を目前にしていたよ

ジョージミラーは
とうとう
メル・ギブソンの起用を
断念する決意をし
頭を切り替えたんだ

「新たなマックスで挑もう」ってね

ところが今度は
新マックスとして
白羽の矢が立っていた
ヒース・レジャーが急逝し
キャスティングが難航
そうしてようやく2009年
新たなマックス役に
トム・ハーディの起用が決定し
2011年
オーストラリアの広大な砂漠で
もはや何度目の正直かわからない
撮影を開始する予定だった
新生マッドマックスだったんだけれども
撮影直前になって
雨がまったく降らないはずの
撮影地において
雨が降り
植物が芽を出し
地獄のように荒廃した
ディストピア(ユートピアの対義語)世界では
なくなってしまった撮影地
それでもなお 
めげることなく
撮影地をアフリカ・ナミビアに変更し
ようやく
悲願の撮影再開が叶った
マッドマックス怒りのデスロード

ふりかえれば
マッドマックスシリーズ三作目の
前作から
30年もの月日を
経ることになってしまっていて──
けれどもその
不遇の長い月日がもたらした
プラス要素

あまりに大きかったんだ

たとえば
イモータン・ジョーの配下
戦闘集団ウォーボーイズ

身体中に描かれた
スカリフィケーション
(身体に切れ込みや焼き込みを行った際にできる
ケロイドを利用して描く文様)

これは順当な予定では
タトゥーで行う予定だったんだけれども
長い月日を経て
誰しもファッション感覚で
タトゥーを入れる時代を
迎えてしまったからこそ
タトゥーを使用することが
そぐわなくなり
スカリフィケーションという
マッドマックスの
ディストピアな世界観にふさわしい
ボディアートは誕生したよ
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マッドマックスはもちろんのこと
バスター・キートン
シルヴェスター・スタローン
ジャッキー・チェンをはじめ
かつては
体を張った
生身のアクション
こそが
アクション映画の醍醐味だった
そんな時代があったんだけれども
1999年
映画「マトリックス」が公開された
そのくらいの頃から
VFX技術を駆使した
CGアクションがもてはやされるようになり
生身のアクションは
どこか古臭いとされる
そんな時代を迎えることになるんだ

そのタイミングで
マッドマックスが
予定通り2001年に
クランクインしなくて
本当によかったと思うよ
なぜなら
さらなる長い歳月の中で
VFX技術というものが
大衆に消費されすぎたがために
CGアクションはマンネリ化し
大衆は
CGアクションに
飽き始めていた
から

そういうタイミングだからこそ
生身のアクションにこだわる
ジョージミラーの神髄は
観客たちのその肉眼に
最高鮮度の状態で
焼き付けられることになり──

同時に
長い年月を経たことによって
進化したVFX技術は
ジョージミラーがイメージする
再現不可能だったはずのヴィジュアル
再現不可能だったはずのアクションを
補完する役割を担う
ベストな状態にあったがために
原初的生身のアクションがもたらす
血沸き肉躍る衝動や高鳴りと
超最先端のVFX技術とが
手と手を取り合い
この映画に奇跡を起こした
んだ

さて
もう一度前回の記事を
思い出してみて

車という移動手段と
切り離せない
生活圏に育ち
交通事故によって
運ばれてくる
たくさんの負傷者を
救命医療の医師として
治療する日々を送り
映画撮影の
その機会を迎えた
そのとき
大きな資金提供など
なかったからこそ
ロケ地を僻地に設定し
「荒廃した近未来世界という
舞台設定は生まれ──

それは
今回の
マッドマックス4作目にまで
繋がってゆき
核戦争によって
文明が滅びた世界設定が
残された廃材や
限られた資源の中で
生き残った人々は
どういった車やバイクを創造するのか
どういった服装や小道具を創造するのか
どういった人々が暮らしを送り
どういったコミュニティーを形成し
どういった喋り方や眼差しをし
どういった人生哲学を創造するのか──

一見すると限られた
不自由な舞台設定の
その必然性の元に
最善の智慧が
導き出されてゆく
んだ
美術賞を受賞した
コリン・ギブソン


こう言うようにね
「不自由な分、よりクリエイティブなソリューションをひねり出すことができるんだ。」
そして
ジョージ・ミラーが
こう言うように
「不毛の荒野にあってさえ、人は美しいものをつくる」

本が存在しない世界だからこそ
世界の歴史と言葉を
その肉体に刻み 保存する
生きる歴史の教科書
ミス・ギディのキャラクターは生まれ──
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武力と生命力と
生きるための利己性に
徹することだけがものをいう
健全な精神が
存在しない世界だからこそ
幼い頃に母親を殺され
誘拐されたフュリオサ
幽閉され
奴隷のように扱われながらも
たくましく
そして
人間らしく生き延びれるだけの
健全な精神や思想を
幼いフュリオサに
教え諭し
わずかに残された植物の種(希望)
庇護しながら旅する
鉄馬の女たちのキャラクターは生まれ──
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アクション映画を
一種の視覚的音楽と捉え
「すばらしい音楽が聴き手にどんな効果をもたらすかを考えてみるといい。どんな気分でいる時でも、その音楽を通して聴き手は自分の殻を破り、その殻を破ったという経験をしたことによってそれまでいたのとは違う場所に出てくる。私たちは、これらの映画でそれを成し遂げようとしているんだ」
そう豪語する
ジョージ・ミラーが指名した
聴覚的サウンドデザインを担い
奇しくも
オリジナル作曲賞にノミネートされなかった
(ぼくにとってこのことは
シャーリーズ・セロンが
主演女優賞にノミネートされなかったことと同様
審査員の耳を疑いたくなったほどだよ)
トム・ホルケンボルフ(ジャンキーXL)
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録音賞を受賞した
グレッグ・ラドロフ、ベン・オズモ、クリス・ジェンキンスの三人や


音響編集賞を受賞し
こんな素敵なスピーチを残した二人


「何千年もの間、人は暗闇の中、かがり火や映写機の光の下で物語を語り継いできました。デイヴと私は音で語ります。ジョージ・ミラーは『マッドマックスは耳で観る映画だ』と言いました。この作品ほど音で語る映画は他にない。音響家は語り手です。」
マーク・マンジーニデイヴィッド・ホワイトの才能は
その恵まれた大きなチャンスの中で
個人個人の能力を超えて
最大限に引き出され──

衣装デザイン賞の
ジェニー・ビーヴァン


メイク・ヘアスタイリング賞の
レスリー・ヴァンダーヴォルト、ダミアン・マーティン、エルカ・ウォーデガ


おのおのの力も
最大限に引き出され──

そしてそして
ジョージ・ミラーの妻である
編集賞受賞の
マーガレット・シクセル


全部で480時間!も撮影された
規格外の膨大なフィルムを
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として
そぎ落として…
2時間の映画にまとめるという
ちょっとめまいがしてくるような
苦行を成し遂げているよ
(当人は
ジョージ・ミラーの役に立てて
とてもうれしかったのかもしれないけれどね)
ジョージ・ミラーは
ここまで理解のある奥さんがいて
本当に幸せ者だね

作品を支える
これだけの立役者がいて
ここには書ききれなかった
立役者もたくさんいて
新作を待ち望む
たくさんのファンがいて
ひいては──
核戦争を生き延び
独りで生きるだけの
知恵とスキルを持ち合わせた
主人公マックス
それまでの経験上から
この悪夢のような世界において
誰かと心を通わせるということが
悲しみや絶望しか
生まないものであること

という
信念や思い込み
マックスの内に刻まれた
過去の深い傷

フュリオサや
それを取り巻く者たちが
ぶち破り
人としての尊厳
人として最も大切なものを
主人公マックスや
それを取り巻く者たちが
取り戻す
という
この究極の愛の物語
誕生することになるよ

映画の枠を超えた
ありとあらゆる人生や能力を持った人材
ありとあらゆる出会いや物語が
この映画へと帰結し
そして再び
未来へと繋がっていくことを
感じてもらえたなら幸いさ
なんせこのことは
「マッドマックス 怒りのデスロード」に限らず
きみの実人生そのものが
一本の映画が完成する過程と
同じものである
ことを
意味してるから


ある日突然に
カーアクションによる
リアル鬼ごっこを思いつき
これだけ多くの
人や物や
それ以外のものをも巻き込んだ
ジョージ・ミラーが発した
「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」

この言葉が帯びる
普遍性を
より掘り下げて言い表すならば
この世界に
生まれて来たもの
いままさに
生まれつづけているもの
これから先に
生まれゆくもの
それらすべてのものは
「人生上の必然から
生まれて来たもの」

ということになるよ


だったらもう
振り返る必要性なんてない
振り返ったところで
この世界(ストーリー)が
必然であること

覆ることは決してないから
畏れはしても
無駄に恐れる必要性はなくて
きみは
きみが求める
光へ向かって
走りつづけるのみ
なんだ

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今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「リアル鬼ごっこ / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

生き急ぐとき 誰もがいま美しい
命短し 走れよ乙女よ
どこへ逃げても 追いかけて来る影を
振り返らずに 光へ進めよ






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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート7

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※性懲りもなくパート7をやっちゃうよ!※

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この映画をとおして開眼する
ふしぎ発見!については
6回の記事で
完結した(はずだった)んだけれども
パート7を銘打った今回は
「マッドマックス 怒りのデスロード」を監督した
ジョージ・ミラー
主要キャストである
シャリーズ・セロン
映画完成に帰結するまでに
辿り歩んできた軌跡から
学ぶべきふしぎ発見を
ここに書き記さずには
いられなかったからなんだ

オーストラリアの
人里離れた
小さな町で育ち
映画史初期の
アクション映画
カーチェイス映画を
こよなく愛した
ジョージ・ミラー

彼の生活圏には
広い高速道路が通っていて
移動手段として
というアイテムは
その周辺に住む者にとって
必須だったんだ

医師として
救急救命室に勤務していた
ジョージ・ミラー
救命医療を選択した
その理由はというと
映画を撮るための
少しでも多くの
資金を集めるため
(救命医療は給料がいいんだってさ)

ジョージ・ミラー
車文化の負の面
そして
瞬間 瞬間に
医療的最善選択を迫られる
多くの怪我人を
目の当たりにしながら
サバイバル的感覚
養ってゆくよ

マッドマックスシリーズ一作目において
復讐の相手を
5分後に爆発する車に繋ぎ止め
ノコギリを渡し
足首を切断し
生き延びるか
それともあきらめて
死を選ぶか
主人公マックスが
当人に選択を迫らせる
冷徹なシーンがあるんだけれども
そのシーンなんかは
まさに
ERでの体験が
反映されたシーンなのかもしれないね

交通量の多い都会での撮影は
撮影費用がかさみすぎるという理由で
人気のない僻地を
ロケ地にせざるをえなかった
ジョージミラー
けれどもそのおかげで
荒廃した近未来という
マッドマックスシリーズを
通底する舞台設定は
誕生することになって──

そしてシリーズ第4作目にあたる
「マッドマックス 怒りのデスロード」
この作品の
完成に至るまでの道のりを
ひも解いてゆくと
あらゆる出来事が
必然的に
導き出されてきた道のりであったことが
見えて来るんだ

ジョージ・ミラーが敬愛する
サスペンスの巨匠ヒッチコックの言葉
「日本人が字幕なしで理解できる
そんな映画を目指している」

その言葉を
ジョージ・ミラーが思い出したことから
極限まで説明や台詞を削ぎ落とした
原初的アクション映画を目指すことを
見定め
ストーリーボード主導型の脚本制作という
かつて例のない映画製作方法から
映画制作はスタートし
脚本家のブレンダン・マッカーシー
ストーリーボード主導型の脚本制作
その過程がもたらす奥深さを
こんなふうに言い表してる
「この方法で書かれた脚本では、ヴィジュアルと言葉が同じ重要性を持っているんだ。
試行錯誤していく中でジョージとぼくが重要だと考えたのは、サブテキスト(作品の根底にある意味)だった。
たとえば”グラフィックな詩”みたいなものを思い浮かべてほしい。
表面を読むのは簡単だけど、余韻は深いところで響いている。
ぼくたちが実現しようと努力したのは、そうした深いところを流れているものを
これはという瞬間に表面に浮上させ、観客の心の中で爆発させることだった」

かくして映画は
単なるアクション娯楽大作ではとどまらない
詩的な深み芸術性をたずさえた
奇跡的なヴィジュアルを
生みだすことになったんだ

そして 
ストーリーができあがっていく中で
重要なポイントとなったものが
ヒッチコックの造語
マクガフィン
(それを巡って話が展開する仕掛け)


核戦争によって
文明は崩壊し
物資は限られ
あらゆる場所が汚染された
荒廃した近未来世界において
宝石や貴金属が
価値ある仕掛けになるはずもなく
それをではなく
にしてみようと
ジョージ・ミラーが決めたことから
支配者イモータン・ジョー
支配体制を盤石にするため
監禁された
5人の妻を巡る戦いという
構想は生まれ
その妻たちを守る戦士を
ではなく
女性であるフュリオサ大隊長にする
という必然的人物設定は
生まれたんだ

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なぜならば
男と男で
女を奪い合う

そんな話にしてしまったなら
話しの意味合いが
まったく変わってしまうから

ジョージ・ミラー
この点について
インタビュアーの高橋ヨシキさんに
こんなふうに回答しているよ
「女戦士が、自由を奪われた女性たちの逃亡を手助けし、
マックスはそれに巻き込まれる。
本作におけるフェミニズムは、
ストーリー上の必然であって、
先にフェミニズムありきで映画を作ったわけではありません。
フェミニズムは、ストーリー上の必然から生まれて来たものなのです」


実を言えば
「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」
とは
「映画内におけるストーリー上の必然」には
まったくとどまらないんだ

フュリオサ大隊長という人物の
映画の中での実在感
そのたたずまいの説得力は
フュリオサ大隊長を演じる
シャリーズ・セロンの過去を
ひもとくことで
見えて来るものがあって

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南アフリカにおいて
道路建設会社を経営し
10台もの車を所有するほどの
大の車好きで
マッドマックスシリーズを
重要な作品であると位置づけた
そんな父親の元で生まれ育ち
初めて運転したことを
思い出せないほどに
トラック
家庭環境に自然に
溶け込んでいた
そんな幼少期を過ごしていた
シャーリーズ・セロン
車の運転なんて
お手のもの

ところが
アルコール依存症の父親による
家庭内暴力に悩まされてきた一家に
悲劇は起こるんだ

15歳になった
シャーリーズ・セロン
身の危険を感じた母親が
父親を射殺

16歳のときに
地方のモデルコンテストに優勝し
1年ほどモデル活動をしたのち
バレエ・ダンサーを志し
ニューヨークへ移住
けれども
膝の怪我によって
その夢を断念するんだ

今度は女優を目指して
ロサンゼルスに移住したものの
仕事がなくて
その日暮らしの困窮生活
手元に在った小切手を
現金化しようとしたものの
小切手の期限が切れていて
素っ気なく銀行員に断られたがために
シャーリーズ・セロンは激昂
口論になっているところを
なんと
現在のマネージャー
スカウトされるんだ

改めてぼくが言うまでもないけれど
膝を痛めていなかったなら
銀行で口論になっていなかったなら
そこに現在のマネージャーが
通りかからなかったなら

現在のシャーリーズ・セロンはなかっただろうし
「フュリオサ大隊長の役は
シャーリーズ・セロン以外に
考えられなかった」

そうジョージ・ミラーが豪語するほどの
フュリオサ大隊長の実在感
そのたたずまいの説得力は
映画の枠を超えた
シャーリーズ・セロンの過去(実人生)
なくして
表現されることはなかったはずだよ

そして
それはなにも
シャーリーズ・セロンのことだけに
とどまらない
んだ

パート8では
ジョージ・ミラーが発した
「ストーリー上の必然から
生まれて来たもの」

この言葉が帯びる
普遍性
より掘り下げる
試みをしていこうと思うよ










今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「焦燥 / Glim Spanky(グリムスパンキー)」
作詞 松尾レミ

間違いを探す事で答えが見える
なんて思う人間だけじゃないさ
苦しい今に慣れた僕らは
真実は確かにあるって事を知ってる






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映画「ファニーゲーム」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
ミヒャエル・ハネケ監督作
「ファニーゲーム」

※取り上げはしたものの、決してお勧めはできない映画だよ※

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毎夏の休暇を楽しむため
車で別荘へとやってきた
ウルリッヒ・ミューエ演じる
夫ゲオルク
スザンヌ・ロタール演じる
妻アンナ
ステファン・クラプチンスキー演じる
息子ショルシ

夫ゲオルク息子ショルシ
セーリングの準備を
妻アンナ
夕食の支度と
一家は
満ち足りた時間を
過ごしていたんだ

別荘へと辿り着く前
挨拶を交わした
隣人のベーリンガーと一緒にいた
見知らぬ2人組の内の
1人の青年
ベーリンガーの頼みで
卵を借りに来たと
訪ねて来るんだけれども
青年が卵を落としたり
新たにやって来た
もう1人の青年
夫ゲオルクのゴルフクラブで
素振りをしたりし始めるうち
なにやら
2人組の様子がおかしいことを
妻アンナは察知し始め

異変に気がつき
駆けつけた
夫ゲオルク息子ショルシをも巻き込み
態度を急変させた2人組
夫ゲオルクの足を折り
一家3人を
監禁状態に追い込むと
夜になって
こんな提案をするんだ

「賭けをしよう
お前らが12時間以内に
生きてるか死んでるか」


しかも2人組
何を思ったか
観客の方にまで
目を向けたかと思うと

「どうです?
お宅は生きてる方に賭ける?
それとも死んでる方に賭ける?」


などとうすら笑いで
挑発を仕掛けて来る

つまりはこれは
一家への 
というよりも
映画を観ているその人への挑戦状

「これはあくまで映画だし
虚構なわけだから
気をわるくなさんな」

とでも言いたげに
直接的暴力描写は見せず
観客の
高鳴る不安を
せせら笑うかのように
高度な手腕
高度な演出力で
底意地悪く
観客を煽り
一般的には
反撃のチャンスとなるような伏線が
反撃される伏線となり
一般的には
許されない禁じ手によって
犯人側が九死に一生を得たり
ひたすら物語は
観客の気持ちを逆撫でする
それだけを目的としているかのように
進行してゆくよ

ハネケ監督がしたことは
映画(特にハリウッド映画)における
暴力描写のビジネス化
暴力表現の競い合いの激化と
それを期待し
お金を落とし
ある種の快楽を得る観客に対しての
ある種の皮肉
のように
ぼくには感じられて──

ぼくが
このブログでやっていることは
ある意味
ハネケ監督
一緒なのかもしれないよ

学校において
成績がいい人間が
偉くて優秀だとか
ある分野において
多くの功績を残した人間が
価値ある人間だとか
本や雑誌
メディア
ネットから詰め込んだ
情報や知識で競いあい
悦になったり
劣等感を感じたり
そういう世間的通念
思い込み
一般常識に対し
一石を投じる試み

それをしているとも
言えなくもないんだ

だってね
それらのことって結局は
「自分で考えたこと」じゃなく
「誰かの情報を暗記した」
すぎないことだから

だからね
映画の中の2人組のように
こんな裏メッセージを
今日も僕は
ふしぎ発見の中へと
ひそやかに
潜めるんだ

「ところであんた、勉強熱心なのは構わないが、
オレが聞きたいのは、教科書に書かれた言葉でも、SNSの言葉でも、
哲学史でも、科学史でも、宗教史でも、ヤフーニュースでもない。
それらのものは、「あんたの話」じゃなく、「あんたが暗記した話」にすぎない。
そこでだ。
ゲームをしようじゃないか。
何のカテゴリにも属さない、手持ちのものさしでは測れない、あんただけの話をする試みさ。
どこかから拾ってきた話じゃなく、あんたにしかできない、あんたオリジナルの話をな。
それができたなら、あんたは晴れて自由の身だ。
なあに、できるさ。
あんたの人生じゃ、まだ劇場用映画の尺に足りないしな。
納得のいくラストが見たいだろ?」















今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Redemption Song / BOB MARLEY(ボブ・マーリー)」

Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds
思い込みの奴隷状態から
自分自身を解放してごらんよ
自分自身を解き放つことができるのは
他の誰でもなく 
自分自神にしかできないことなんだ






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「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

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やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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