映画「クリード チャンプを継ぐ男」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
ライアン・クーグラー監督作
「クリード チャンプを継ぐ男」

※ブルーレイ&DVDが発売されたよ※

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全6部作の
ロッキーシリーズは
6作目にあたる
「ロッキー・ザ・ファイナル」でもって
完結したはずだったんだけれども

映画「ロッキー・ザ・ファイナル」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

人智や理屈を超えた
運命のいたずらが
7作目を生みだすことになったことが
今回のふしぎ発見のテーマ
それがこの
「クリード チャンプを継ぐ男」

幼くして母を喪い
児童養護施設では
暴力沙汰を起こしてばかりという
荒れた日々を送っていた
マイケル・B・ジョーダン演じる
アドニス・ジョンソン
※下の画像はマイケルじゃないよ!※
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そんなアドニスを引き取ったのが
メアリー・アン・クリード
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実はこの
メアリー・アン・クリードは
アドニスの父の本妻
そしてアドニスの父とは
ロッキー1、2作目において
シルヴェスター・スタローン演じる
ロッキー・バルボア
伝説の闘いを交えた
今は亡き
元世界チャンピオンの
アポロ・クリード
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愛人の息子でありながら
アポロの忘れ形見として
実の息子のように
愛を受けながら育ち
金銭的にも不自由がない
一見すれば
裕福でありながら
恵まれすぎたその環境は
一流投資銀行での
若くしての昇進という
世間的には「勝ち組」
そう呼ばれる人間の道へと
アドニスを
辿らせてゆくけれども──

サン=テグジュペリ原作の
「星の王子さま」


「大切なものは
目には見えない」



そう言ったように
目には見えるものが
完璧なまでに
満たされているにもかかわらず
誤魔化すことのできない
欠乏感や
虚無感の
容赦なき浮き彫りに
もんもんとした日々を
アドニスは送っていた
んだ
YouTubeにさえ
アクセスすれば
いつでも会いに行ける
父アポロと共に
シャドウボクシングを重ねながら──

そうして
愛する父の
その背中を追うように
会社を退職し
母の反対も押し切って
ボクシングに生きることを
決意するものの
いわくつきの存在である
アドニスは
父アポロのジムにさえ
コーチしてもらうことを
断られてしまうよ

そんなある日
アドニスが閃いたのが
父との一時代を築いた
伝説のボクサー
ロッキー・バルボアに
ボクシングの教えを乞うこと


こうして物語は
大きく動き始めていくよ

ところが
この映画の成り立ちを
追ってゆくと
映画の中身を超えた
必然的ドラマが
見えて来ることになる
んだ

ロッキーシリーズ
その大ファンである父親に
多大な影響を受け
「仮にもし
アポロに隠し子がいたら?」

という発想を思いついたのが
本格的な長編映画は
一本も撮ったことのない
駆け出しの映画監督
ライアン・クーグラー

自主映画であり
のちに処女作となる
「フルートベール駅」
その撮影にあたって
知りあうことになった
映画関係者に
なんともなしに
そんなアイデアを
話してみたところ
その関係者が
シルヴェスター・スタローンとの
繋がりがあることが発覚し──

2012年7月
急遽
スタローンに呼び出された
ライアン・クーグラーは
貧しいながらも
どうにかこうにか
飛行機代をかき集め
オークランドから
ハリウッドまで
スタローンに会いに行くんだ

スタローンからは
しばらく何の音沙汰もなく
流れてしまったかに見えた
ライアン・クーグラーのアイデアは
「お前の言ってた映画をやろう」という
スタローンからの一報で
実現する動きとなっていくよ
しかも
スタローンが
監督・脚本をするのではなく
ライアンクーグラーが
監督・脚本を任される形
でね

すっかり
映画界からは
過去の人になりつつあった
スタローンが
1本も映画を撮ったことがない
27歳の青年に
すべてを賭けることを決めた
その理由を
探っていくと
この比類なき
チャンスの流れが
実は
ロッキー1
そのものであり
スタローンの実人生
そのものであることが
見えて来る


29歳のスタローンは
まったく売れない
無名の俳優だったけれども
有名プロデューサーと
接することができる
その千載一遇のチャンスに
自らを主演として構想を練った
ロッキー1のシナリオを
そのプロデューサーに手渡し
そうして誕生し
アカデミー作品賞を受賞し
世界へと羽ばたくことになった
ロッキーシリーズ

そして
ライアン・クーグラーと
出会うことになった
2012年7月とは
スタローンの実の息子
セイジ・スタローン
心臓発作により
逝去した月
でもあったんだ

スタローンの
その背中を追うように
映画監督の道を
志していた
セイジ・スタローン

このタイミングの中で
ライアン・クーグラーの
そのアイデアを耳にした
シンクロニシティは
スタローン自身が
きっと
誰よりも一番
驚いたにちがいないし
この世の
人智や理屈を超えた
不可視な力に
畏れを覚えるのと同時に
比類なき
救いのようなものすらをも
感じていたのかもしれない

ぼくは思ったよ

こうして
スタローン(ロッキー)
ライアン・クーグラー(アドニス)による
映画と現実の交錯は
「クリード チャンプを継ぐ男」に
結実した


ロッキー伝説から
クリード伝説へ
そしてまた
伝説は以心伝心してゆき
くり返されてゆくよ
ボクシングや映画に限らず
この世界における
あらゆる
「目には見えるもの」を超えて
この先もずっと──

スタローンほどに
サプライズに満ちた人生は
そうそうないけれども
いつだって
不可視な存在は
いまかいまかと
きみにサプライズを
仕掛けるタイミングを
見計らってくれている
んだ

きみの予想や
きみの人生設計は
必ずや裏切られるよ
いい意味にも
わるい意味にもね
なんせ相手は
きみの頭ん中は
すべてお見通し

きみが予測できうることを
そのまんま起こしたところで
そんなものが
サプライズになるはずもないし
そんな人生が
面白いはずもない


この世界は
いつだって
目がくらむようなサプライズに
驚かされてなんぼの世界
なんだ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「FLASH / Perfume(パフューム)」
作詞 中田ヤスタカ(CAPSULE)

FLASH 光る
最高のLightning Game
かざした手を弓矢に変えて
FLASH 超える
最高のLightning Speed
願う 真空の間で 届きそうだ FLASH






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ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
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映画「マッドマックス 怒りのデスロード」が教えてくれたふしぎ発見!だよ パート9

今日は映画に見るふしぎ発見!
ジョージ・ミラー監督作
「マッドマックス 怒りのデスロード」

※何度でも蘇るよ!※

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東日本に刻まれた
悲しみの傷跡も
まだ癒えきらない
深手を負った日本に
追い打ちをかけるような激震が
再び襲いかかり
救援や支援に動き出す人々や
SNSで呼びかける人々や
他人事のように
変わらぬ日常を送る人々が
錯綜する最中

ぼくは
ぼく自身が
純粋に映画を楽しむためだけに
「マッドマックス 怒りのデスロード」
極上爆音アンプリファイ上映される
立川シネマシティの扉を
押し開けたんだ

映画館でも家でも
何度もくり返し観た
映画であるにもかかわらず
ぼくがいま
必要とするものが
立川シネマシティで体感する
「マッドマックス 怒りのデスロード」にあるような
そんな予感がしたから



世紀末世界の支配者
イモータン・ジョー
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彼が最も大切にする
お宝(5人の妻)を奪い
彼の軍団から
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逃走する
彼の配下でもある
裏切り者のフュリオサ大隊長
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この
人間目線の
追走と逃走の
命を懸けた戦いを
まるで知っていたかのように
巨大な砂嵐
両者に襲い掛かる
そんな場面が
この映画にはあって
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人も車も
あっけなく巻き上げられ
容赦なく蹴散らされ
大自然を前にした
人間の無力さと
儚さとを
この場面を見るたびに
ぼくは思い知らされるし
きっと誰しもが
抗いようのない
大きな災厄が
我が身のこととして
降りかかって来たそのとき
同じようなことを
思うんじゃないかな

けれども
大自然(世界)
ちゃんとわかってるんだ

修復すべきものが
そこになかったなら
直す
という行為や
治す
という行為は
生まれえないことを

傷つき
倒れている人が
そこにいなかったなら
落とした涙を
拾い集めるように
うずくまる人が
そこにいなかったなら
手を差し伸べる
という行為や
共に泣く
という行為は
生まれえないことを

絶望の礫が
ふりそそがなかったなら
誰かの楯になる
という行為や
希望を切り開く
という行為は
生まれえないことを


そして
それら
生まれるべき行為たちこそが
肉体を超えた
ぼくたちそのもの


肉体やこころが
ぼくら自身なんじゃないよ
生まれるべき行為たちこそが
ぼくらの実体
なんだ

ぼくらは
本当のぼくら自身を
わかるために
生まれるべき行為たちを
自ら行為することによって
自らを顕現し
自らを思い出している


だって
ぼくたち人間もまた
大自然(世界)そのもの

なんだもの

その「行為」
正式名称こそは
清志郎さんや
ジョン・レノン
高らかに謳いつづけた
あれだよ
あれ!











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Teardrop / Massive Attack(マッシヴ・アタック)」

Love, love is a verb
Love is a doing word
Fearless on my breath
愛、愛は動詞
愛は行為の言葉
私の呼吸は恐れを知らない






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映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
岩井俊二監督作
「リップヴァンウィンクルの花嫁」

※今回はネタバレしたくない気分だからしないよ※

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この映画は
黒木華さん演じる
どこか
心ここにあらずな
派遣教員の皆川七海
お手軽なSNSで
お手軽にできた恋人との
お手軽な結婚契約を経て
その身にふりかかる
様々な困難や
差し出される
悪意なき欺瞞の手に
翻弄されながら
生きる意味を発見してゆくような
そんな物語だよ

映像作家の友人に
この映画の感想のようなものを
簡単に述べたところ
こんな返事が返ってきたんだ
(ちなみに友人は
岩井監督過去作は
いくつか見ているけれども
本作は見ていないよ)

「監督仲間にはどこにでも必ず岩井ファンがいるんですが、
その女性をアイドル化してるというか、美化し過ぎてるというか、岩井ファンの作品はそれが特化していてさらに私は岩井ワールドが苦手域にくい込んでしまいました…」


ようするにこれは
女性美化のさじ加減は
濃いめがお好きですか?
薄めがお好きですか?
という
「好き」「嫌い」の問題

なんせ
映像作家に限らず
すべてのクリエイター
すべての表現者が
自らが「美」とするものを
具現化する
その作業をしていることには
変わりがないから
(ぼくから見た本作は
美化だなんて
なまやさしいものをも超えて
美そのものが現出した」とすら
思えたよ)

結局のところ
人は誰しも
「好き」の判断基準を
持つ者であれば
「好き」とジャッジした
その時点で
その対象物を
多かれ少なかれ
美化してる
その対象物を
多かれ少なかれ
偏った視点
見ることをしている


そして
言わずもがな
「好き」
同時に
「嫌い」もセットで
産み落とす
んだ
肩を組んで歩く
仲良し同士みたいに
食べれば
食べるほどに
もれなく
体脂肪率もセットで
増加するようにね

つまりこのことは
人は誰しも
「嫌い」の判断基準を
持つ者であれば
「嫌い」とジャッジした
その時点で
その対象物を
多かれ少なかれ
醜化してる
その対象物を
多かれ少なかれ
偏った視点
見ることをしている
そのことを意味する


ある登場人物の一人
こんなことを
七海に語りかけるんだ

「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」

この登場人物が
到達した
この領域こそが
「美化」の境地の
その究極
かもしれない

「幸せだらけ」ということは
その人物にとって
「不幸はないにも等しい」のだから
それはもはや
「不幸の対(幸せ)」ですらなくて
「美」「醜」
ないと言っているのに
等しいことだから

現に
この言葉を発した
この登場人物は
それ以上の先が
もうない

究極の境地を
垣間見てしまった者だからこその
あるひとつの選択を
することになる

けれども
人は人
きみはきみ


美を見る限り
醜は避けられない

で あれば
とことんまで
きみが美化したいものを
美化しまくればいいだけのことさ
岩井監督にも
負けないくらいにね

世界中の
一人一人の
美化できるもの
(他人の価値観を
自分の可能な範囲で
受容できること)

この世界に
少しずつでも
増えていったなら
ぼくらは
増えたその分だけ
「幸せだらけの世界」
確かな足取りで
一歩ずつ近づく
んだ











今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう楽曲

「コスモロジー / Cocco(コッコ)」
作詞 Cocco

だから今だけ
聞いていて
あなたへの歌を
だから今だけ
言わないで
"愛してる"なんて
そんな 大きな世界
"愛してる"
今日も 流れ星



Cocco - コスモロジー from Faco Fang on Vimeo.





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映画「ヘイトフルエイト」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
クエンティン・タランティーノ監督作
「ヘイトフルエイト」

※今回はネタバレしたくない気分だからしないよ!※

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「差別」という
人類にとって
もっとも困難な問題
その象徴的戦史である
南北戦争終結後の
ワイオミング州の
豪雪の山奥が
この物語の舞台

物語の中身は
西部劇であり
一級の
密室ミステリー

序盤
賞金首を捕まえることを
生業とする
カート・ラッセル演じる
ジョー・ルース
確かこんなことを言うんだ

「そこに偏見が介入する限り、それは正義ではない。
偏見なきところに本当の正義がある」


きみは
この言葉もまた
偏見であることに
気がつくだろうか

なぜなら
「偏見なきところに本当の正義がある」
という
もっともそうなこの言葉もまた
ひとつの考えであり
ひとつの偏見
だから

たとえばきみが
何かを選択したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が選択したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見の選択にすぎないよ


たとえばきみが
ありのままの誰かを
目撃したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が目撃したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見のその人にすぎないよ


たとえばきみが
常識では考えられない
唯一無二の
超常現象を
体感したとするよ
けれどもそれは
きみ という
いち個人が体感したものである限り
「きみ」という
フィルタリング
がかかった
偏見の体感にすぎないよ



生きることは
偏ることさ

偏りたいがために
わざわざ
「自分」ていう
着脱不可能なフィルタリングを
肉体に埋め込んでまで
生まれて来たんだ
ぼくたち人間は


この映画で
ぼくにとって
もっとも深くに届いた
短い台詞があってね

「うまい創作だな」

どういう展開があって
どういうシチュエーションでの
この台詞なのかを
言いたくてたまらないところだけれども
今回はやめておくことにするよ

けれども
この台詞は
ウソ(創作)にこそ
ホントウの扉を
開き
こっそり覗くことができる
秘密の鍵
それが用意されていることを
改めてぼくに
示してくれた


ホントウとは
自らのウソ(創作)や偏見(創作)
自画自賛して笑ってる
である
ぼくたち自身(ホントウ)
ほかならない
んだ



決して万人受けするような
ファミリームービーではないよ
なんせ
R18指定だし
神経を逆なでするような
過激なバイオレンスに
ゴア描写
意地悪で不謹慎な
異常な世界観に
満ち満ちているから

ぼくはというと
ときに息をのみ
ときに笑い
ほんの少しだけだけど
泣かせてもらい
勇気をもらったよ

タランティーノ作品が
好きな人には
迷わずお勧めだけれども
お初の方は
同じく
人種差別をテーマにした近作
「ジャンゴ 繋がれざる者」が
お勧めかもしれない












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「地獄でなぜ悪い / 星野源」
作詞 星野源

嘘で出来た世界が
目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が
悲しい記憶に勝つ






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映画「ロッキー・ザ・ファイナル」が教えてくれたふしぎ発見!だよ

今日は映画に見るふしぎ発見!
シルヴェスター・スタローン監督作
「ロッキー・ザ・ファイナル」

※ネタバレありだよ!※

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全6部作にもなる
ロッキーシリーズは
数あるスポ根映画の中でも
金字塔的映画

言わずと知れた
シルヴェスター・スタローン
主演を務めていることや
ラジー賞(その年の最低映画や最低俳優を決める賞)に
ノミネートされたり
様々な映像作品やマスメディアなどで
パロディ使用されてきたがために
ときには嘲笑されながらも
普段は映画を見ない人にまで
広く認知された
アメリカンドリームの
象徴的映画でもあるよ

ぼくは
どちらかというと
こてこての根性論は
苦手な性質で
トレーニングシーンなどの
ダイジェスト映像での
勝手なイメージで
なんとなく
敬遠していた作品だったし
もっと言えば
バカにすらしていたかもしれない

けれども昨年
新たなロッキーシリーズの始まりと
噂されていた
スピンオフ作品
映画「クリード チャンプを継ぐ男」
劇場で見てみて
シルヴェスター・スタローンという俳優へ
抱いていた
凝り固まった偏見に
愕然とさせられることになり
今さらながら
ロッキーシリーズを
1から見て行くことを
始めたんだ

5作目まで
見終えて
そして
シリーズ6作目にあたる
「ロッキー・ザ・ファイナル」

自分の体重が
何キロか落ちたんじゃないかと
錯覚するほどに
目から鼻から
水分という水分が
抜け落ち
この6作目の布石ための
1~5作目だったのであろうことを
思い知らされ──

「これはもはや
スポ根映画なんかじゃない
リアル人生ゲームにおける
本当に大切なことが
ここにはすべて詰まってる」


そう思ったぼくは
世間的なイメージに
加担し
今まで抱いてきた
根拠のない偏見を恥じ
スタローンに
土下座したいような
そんな気持ちになったんだ

1作目からの
あらすじはというと
こんな具合

三流ボクサーで
生活は貧窮し
ヤクザに依頼される
取り立て業をこなしながら
その日暮らしな生活を送っていた
シルヴェスター・スタローン演じる
ロッキー・バルボア
そんなロッキー
ある日
世界チャンピオンの
アポロ・クリードとの対戦
その奇跡的なチャンスが
舞い込むことになり
互角の試合をしたことや
その高倉健ばりの
不器用さと純朴さでもって
名実ともに
スター選手の仲間入りを果たすよ

けれども
ボクシングだけが
人生のすべてには
なりえない
ように

ロッキー1作目から
5作目まで
繋がっていくストーリーは
単にボクシングすることのみにあらず
ボクシングに帰結するまでの
ロッキーのバックストーリーがあってこその
ロッキーのボクシング


そしてこのことは
すべての人にとって
同じこと


料理人の世界に
その生きざまを刻む者は
料理人に帰結するまでの
その人のバックストーリーがあってこその
その人の料理があって

サービス業の世界に
その生きざまを刻む者は
サービス業に帰結するまでの
その人のバックストーリーがあってこその
その人のサービスがあって

妻子や友人を持てば
妻子や友人を持ったからこその
苦悩や葛藤があり

裕福になれば
裕福さへの執着
それを失うことの恐怖は生まれ

過去の栄光や
世話になった人があれば
やがてはそれが
手枷足枷となり
更なる困難を呼び込む
材料となる


そして
リアル人生ゲームには
それらあらゆるハードルの
対価であるかのように
そのあらゆるハードルが
硬い岩をも貫く喜びへと変異して
ハードルだったはずのもの
すべてを木っ端みじんに
突き砕いてしまうような
そんな瞬間が
待ち受けていることがあって


6作目の
ロッキー・ザ・ファイナルは
まさに
その珠玉の光が結集した
宝石のような映画だよ

1作目から
ピッタリ30年の時を経た
この6作目は
30年の時があったからこそ
1~5作目までの
試行錯誤や創意工夫が
あったからこその
名シーン
名台詞

あまりに多すぎて
ピックアップすることが
野暮に思えて来るほど

ロッキー
いつだって
一貫して
世間や審査員が下す
勝ち負けの判定には
いっさい興味がなくて──
ロッキーがしたかったことは
もはや
ボクシングですら
なかったのかもしれない


内から湧きいづる
自らを突き動かす衝動
そのままに
何度でも人を愛し
何度でも笑い
何度でも泣き
何度でも挑戦する
ロッキーがしてることは
いつでも
どんなときでも
自らに忠実であること
ただそれだけ

そしてその衝動は
ロッキーを目撃した人にも
そうじゃない人にも
波紋のように
波及してゆくんだ
時空を超えて


ロッキーの無謀な挑戦に
戒めをつぶやいた
ロッキーの息子の言葉

「何をしても それもまた
過去になるんだよ」


確かにこのことは
逃れようもない真実さ
けれどもこの言葉は
こう言い換えることができることを
覚えておいてよ

「何をしても それもまた
未来になるんだよ」




スピンオフでありながら
シリーズ7作目と目され
4月20日に
ブルーレイ&DVDが発売される
「クリード チャンプを継ぐ男」
機会があれば
是非見てみて
誰しもを突き動かす
湧きいづる衝動は
個人を超えて
肉体を超えて
どこまでも
繋がっている
ことを
確信出来るかもしれない
から












今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「Tough Boy / TOM★CAT」
作詞 TOM

Keep you burning 駆け抜けて
この腐敗と自由と暴力のまっただなか
No boy no cry 悲しみは
絶望じゃなくて明日のマニフェスト






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Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




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