「何に意識を向けるか」までもを、創造する原理となるもの

何に意識を向けるかで、
人生は形作られていく。

何を意識するかが
創造原理。




こんなニュアンスの
スピリチュアルメッセージや
人生哲学や
宗教的な教義を
たくさん目にしてきたけれども──




そのたびに
思ったものさ
「誰も本当のことを
言ってくれないんだなあ」って




それもそのはず
なんせ
本当のことを言ってしまったなら
目には見えない世界に関するビジネスは
成り立たないだろうからね

あるいは発信者が
本当にそう思っているかの
どちらか




どういうことかというと
「何を意識するかが創造原理」と
言い切ってしまうその前に
もっと肝心なところを
飛ばしてしまっているんだ




「何に意識を向けているかで
人生は形作られていく」
このことは
確かにそのとおりおだし
ひとつの真実ではあると
ぼくも同じく思うんだ




でもね
考えてもごらんよ

そもそも
「何にフォーカスするか」の前に
「何にフォーカスするかをできるのは何故か」を
問わなければいけないはず

じゃないと
家を建てる土地はないんだけど
家を建設するための工事の流れはわかった
みたいな段階で止まっちゃうことになるんだ




それじゃあ
「意識を何にフォーカスさせるか」を
形作っているものとはなんだろう


はい
「そんなの自分に決まってる」って 
思ったそこのきみ

本当に?
本当にそう思う??



きみが大好きなあの人のことや
きみが夢見る将来の仕事や
きみが今晩食べたいと思うあの食べ物に
意識を向けることができるのは
きみが大好きなあの人や
きみが夢見る将来の仕事や
きみが今晩食べたいと思うあの食べ物に
きみが意識を向けるその前に
それらがあらかじめ
世界に用意されていたからこそ
できることでしょう


もっと言えば
世界が用意し
きみが授かった
その肉体や能力や趣味趣向
境遇や環境や時代や文化
取り巻く人間関係が
きみが何にフォーカスし
きみがどんな人生を形作るのかを
さだめていったとも
言うことができる

つまりは
「何に意識を向けるか」までもが
世界が用意したもの

ということになる




だとすれば
答えは単純明快




「世界こそが創造原理」


DSC_0018_convert_20160607152242.jpg











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「Everything in its right place / Radiohead(レディオヘッド)」
作詞 Tom York

Everything, everything, everything, everything…
すべては すべては すべては すべては…
In its right place
在るべきところに
In its right place
在るべきところに
In its right place
在るべきところに
Right place
ふさわしき場に




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

http://domidorikun.jp/blog-entry-435.html

希望のメールを下さった方へ 
メールを送信してから10日経っても届かないようでしたら、またメールください。




この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

真理を知らぬ者が真理を決める世界だよ

「ここだけの話だが、あの人の言ってることは真理にちがいない」


「なぜ?」


「だって、トークは面白いし言ってることもわかりやすいし、何より博識だ」


「でもさ、トークが面白ければ、わかりやすければ、博識であれば、なんでそれが真理になるの?」


「おまえはあの人がたくさんの人に支持されてるのを知らないのか?」


「でもさ、たくさんの人に支持されてると、どうしてそれが真理になるの?」


「バカかおまえ、あの人の本が売れまくってるのを知らないのか?」


「でもさ、たくさん本が売れるとどうしてそれで真理になるの?」


「有名な高僧やスピリチュアルメッセンジャーや宗教学者なんかも認めてるんだぜ?」


「でもさ、有名な高僧やスピリチュアルメッセンジャーや宗教学者なんかも認めてると、どうしてそれが真理になるの?」


「それだけじゃない。他の真理伝達者よりも深いことを言ってるし、言ってることが老子や道元やラマナ・マハルシの残した言葉と一致するんだ」


「でもさ、他の真理伝達者より深いことを言ってて、言ってることが老子や道元やラマナ・マハルシの残した言葉と一致すると、なんでそれが真理になるの?」


「ああ!もう!イライラするなおまえと話してると。おちょくってるのか?」


「いやいや、ぼくは疑問に思ったことを質問しているまでのことさ」


「言わせてもらうがな、オレはあらゆる真理とされてる言葉のほとんどを探索し尽くして、学んで学んで、厳選して厳選して、ようやくあの人に辿り着いたんだ。その辺の精神世界かぶれと一緒にするな」


「でも、それでもきみは真理を知らないんでしょ?」


「それがどうした」


「真理を知らないきみが、その人の言ってることが真理なのかどうかをジャッジしているのだから、こんな可笑しな話もないよね」


「…」




IMG_20160604_002022_convert_20160604005358.jpg











きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「我が儘 / シシド・カフカ」
作詞 シシド・カフカ

『ありがとう』でも『ごめんなさい』でもない
今の自分に嘘一つない
言葉を見つけたい




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

http://domidorikun.jp/blog-entry-435.html

希望のメールを下さった方へ 
メールを送信してから10日経っても届かないようでしたら、またメールください。




この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

1億円が当たったのは「~した」からなのか。それとも、1億円が当たったことも含めたすべての現象は「セット」だったのか。

たとえばきみが
自らの思考や想念を使ってにしろ
自らの肉体を使ってにしろ
ある有益な行動を取ったことによって
人生の一場面が
大きく好転したとするよ
そうだね
たとえば
宝くじが当たって
1億円が転がり込んだ
としよう

img_0_m_convert_20160531173813.png



ところがその
人生を好転させるような
有益な行動
に至るまでにもまた
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
「あなたも億万長者になれる引き寄せの法則」という本があったとして
その本に書かれた内容を
実直に実行したから
だったとするよ



ところがその
億万長者になれる本を手に取るまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
スピリチュアルに詳しい友人の薦めだったとするよ


ところがその
スピリチュアルに詳しい友人と出会うまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
弁護士仲間だったからだとするよ



ところがその
きみが弁護士になるまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
弁護士が将来の目標だったからだとするよ



ところがその
きみの将来の目標が決まるまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
大好きな俳優さんが
弁護士を演じてかっこよかったから
だとするよ



ところがその
大好きな俳優さんを知るまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
きみの有名進学校をロケ地に
その俳優さんのドラマが撮られたこと
だとするよ



ところがその
きみが有名進学校に入学するまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
陸上選手を夢見ていたきみが
膝を痛めてその夢をあきらめ
身体能力ではなく頭脳を磨こうと
勉強に専念することにしたこと
だとするよ



ところがその
きみが陸上選手を目指すまでにも
複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが
きみが北京オリンピックで
生(なま)のウサインボルトを目撃したこと
だとしよう



ところがそのとき
きみが北京にいたことにも
複雑な原因が絡んでいて───

たとえばその主原因のひとつが○○で



ところがそこには複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが○○で

ところがそこにはまた複雑な原因が絡んでいて

たとえばその主原因のひとつが○○で───






どこまでもどこまでも
こうして辿ってゆくと
行き着くところは
きみの出生へと至ることになるんだけれども

ところがどっこい
きみが出生に至るまでにもまた
両親が出逢い
まぐわうまでの原因究明を
探索しなければならない
んだ

それどころか
宝くじというシステムが考え出されるまでにも
億万長者になれる本を作者が書き
店頭に並ぶまでにも
友人がスピリチュアルに詳しくなるまでにも
弁護士という職種やその仕事場ができるまでにも
憧れの俳優さんが立派な俳優になるまでにも
有名進学校が有名進学校と呼ばれるようになるまでにも
人間界に陸上という競技が誕生するまでにも
ウサイン・ボルトが世界新記録を叩き出すまでにも
オリンピックという祭典が作られ
北京という街が作られるまでにも

枝分かれしつづける
すべての毛細血管を辿っていくかのごとく
無尽の原因
複雑に絡み合っているし
すべてが
網の目のように
緻密に
精密に
ひとつに繋がっている








それじゃあいったい
1億円が当たった原因て
なんだったんだろう


これじゃあ
「億万長者になれる本」
始点から終点にいたるまでに
列車の車窓から一瞬だけ見かけた
一本の樹か
一軒の民家
程度の原因でしかないし
幸運を引き寄せているどころか
突き放すことすらもされていない




過去 未来 現在
すべての森羅万象が
今まさにここで
同時に起きている
としか
言いようがないじゃないか


この二元世界が誕生した──
と 同時に
過去 未来 現在
それらすべては運命(さだ)まった

そうとしか
言いようがないじゃないか












きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「plenty(プレンティ) / よろこびの吟」
作詞 江沼郁弥

ありのままの幼き光は
キミとなりボクを包むだろう
瞬いては終わることのない
いつかの物語になる




パクチーの種を差し上げます。
詳しくはこちらの記事↓を読んでみてください。

http://domidorikun.jp/blog-entry-435.html

希望のメールを下さった方へ 
メールを送信してから10日経っても届かないようでしたら、またメールください。




この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

いち介護従事者の目をとおして見えて来るものがある世界だよ パート3

延命のための
延命措置

ほどこされつづけている
そんな老人が
ぼくが働く施設には
何人かいてね

胃ろうや点滴などで
生きながらえてるだけで
ほとんど意思表示ができない
寝たきりの老人たちと
日々関わりあう
スタッフたちの中で
自らの
延命のための
延命措置

願う人は
ぼくの知る限り
一人も会ったことがないよ

現場にかかわる人ほど
その措置の不毛さを
明確に感受している

だからなんじゃないかと
ぼくは思ってる

そして
高齢者の家族もまた
世間的常識
世間的死生観

とらわれるあまり
何を持って
その人の最期とするかを
見極めることが
できずにいるし
延命措置以前の段階の
もっと困難な問題を
抱えている人もいるよ
たとえばこの
渡辺紀夫さんもそう
下のURLをクリックしてみてね↓
http://news.yahoo.co.jp/feature/175

保育や
介護の分野に
従事する
国民の給与を
(ほんのちょっと)上げるだなんていう
政府の
小手先のパフォーマンスに
踊らされない方が
賢明さ

高齢者施設の
人材不足は
ぼくの施設でも
他の施設でも
加速度的に進んでいるよ
これから先
それはますます
止まらなくなっていくんだ
なぜなら
国民を管理する者たちが
人口減少だったり
少子化問題だったりに
歯止めをかけるような
そんな法整備を
推し進めているとは
とても思えない
から

むしろ
人口が減った方が
都合がいい策略

国民を管理する者たちには
あるかのようだよ

人材が足りない中で
施設や介護事業所を
運営していくということは
それだけ
一人の高齢者に対し
スタッフがかかわれる時間が
物理的に削られる
ということ
つまりは
忙殺度数は増していき
比例して
高齢者への
対応やサービスも
雑にならざるをえない
ということ

ぼくの施設が
今まさに
そういう状況下にあるし
介護業界全体に
そういう未来が
待ち受けていることは
否めないと
ぼくは感じているよ

だから
自分が仮にそうなったとき
看取ってくれそうな
誰かがいる方は
自分が元気なうちに
できる限り具体的に
どういう最期を迎えたいのか
自分の希望を
伝えておくこと
そして
きみの両親の
認知機能が正常なうちに
万が一の場合に
どうしてほしいのか
どこまでの救命措置を
希望するのか
ボケてしまったなら
自宅で介護してほしいのか
施設に預けてほしいのか
どの一線を超えたら
自宅介護を諦めるか
どの一線を超えたら
やむなく
施設や事業所の手を借りるか
施設に預けるなら
食事の内容や
処方する薬や
行動の制限などについても
施設と話し合わなければいけないんだ
だからこそ
遅くならないうちに
できる限り具体的に
話し合うことを
お勧めするよ


介護される側が
望んでもいない
延命や介護で
生きていくための
仕事だったり
最低限の生活だったり
ささやかな楽しみまでをも
犠牲にするだなんて
残念すぎる行き違いが
起こらないためにも


けれども
忘れないで


これまでもぼくが
ブログに記してきたように
それでも
この世界には
最善
それだけが
起こりつづけるよ
これからもずっとね

渡辺紀夫さんの
体験
あらゆる人の
こころに
なんらかの作用を
およぼし
また
渡辺紀夫さんの
その記事が
今日のぼくの
投稿へと繋がったこともまた
最善の連鎖であり
最善の連鎖は
どこまでもどこまでも
波及してゆく
んだ

たとえきみが
育ての親を
殺してしまいたいような
絶望的な状況に
追い込まれてしまったとしても

高齢者の比率に対して
それを支える
若い世代が足りない
多死社会
迎えることになろうとも

通貨システムを
操る者たちの
ディストピアワールド
待ち受けているのだとしても

ぼくの目方に反して
ユートピアなワールド
待ち受けているのだとしても

そのどれもが
世界
そうしたかったにすぎないこと

そして
どのワールド
個人規模のワールド
必ずや
凋落を迎えるんだ
どのワールド(幻想)もが
世界(神であるきみ)
ただただ
最高鮮度の体験だけを
求めんがために
創られた
一時的な
借り物のステージだから












きみのその身に
いかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
ぼくは変わらず
いずれきみにおとなうだろう「発見」によりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見」へといざなう音楽

「But I Know Feat. 5lack / BudaMunk」

特に何もねぇ この時代に
生まれ育ったその訳はなんだ
答えならば出せないさ どうせ
できるときやりな 時間はどうせないだろう






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当? パート2

認知症病棟や
介護施設などにおいて
よく見られる光景のひとつに
助けを求めていたり
質問する高齢者を
愛想笑いでかわす
あるいは
素通りする
職員やスタッフ

というものがあるんだけれども

何もこれは
その病棟や施設の
職員やスタッフが
冷たいわけじゃなく
その高齢者が
脳機能の障害として
同じ話を
何度も何度も
何度も何度も
反復してしまうがために
まるでオオカミ少年のように
その高齢者の訴えの
その緊急性は失われ
優先順位として
後回しにされていたり

あるいは
施設内で
業務にあたっている
人数だったり
遂行しなければならない
業務だったり
転倒するリスクや
不穏に陥るリスクが高い
他の高齢者のことなども
見定めながら
優先順位を見い出した結果
そうせざるをえなかっただけ

けれどもいきなり
その現場に遭遇した
まったく事情を知らない
「第三者」
その光景を目撃したなら
「なんてとこだここは!」
「責任者は何をやってるんだ!」

そう思ったとしても
仕方がないことだよね

あるいは
実際に職員に
問題がある場合もあるし
たまたまそのとき
その職員は
心理的
身体的不調を
きたしていたのかもしれない

「第三者」とは
メディアや
人から聞いた情報を
自らの
都合や好みや
偏見を経由し
その物事や
その出来事を
判断する時の
ぼくたち自身のこと


メディアはきみを
過剰に
過激に
刺激するだろうよ
危機意識を煽るだろうよ
視聴率をあげるために
より多くの広告料を得るために
そして
他人の不幸を
他人事に思うことが
まるで悪であるかのように
メディアが勝手に作り上げた
清廉なイメージの人物が
不倫や違法薬物をすれば
やり玉にあげ
憎悪や憤怒の念を
沸き立てなければ
いけないかのように
きみの知らぬ間に
きみの思考回路に潜り込み
きみの常識
きみの価値基準を
敷設していくんだ

メディアに限らないよ
学校教育だってそう
きみを取り巻く
周囲の人々だってそうさ
その人々は
その人々の偏見や
その人々の思い込みを
きみに
押し売りするだろうよ
きみに
同意を求めるだろうよ
その人の正当化を
手伝わせるために
その人の自尊心を
満たさんがために


いかなる情報媒体の
いかなる情報だろうと
いかなる立派な人物の
いかなるありがたい話だろうと
そのどれもが
いち個人による
いち個人が解釈した
ひとつの物語にすぎないし


お時間ある方はパート1のほうもぜひ↓
「真実は人の数だけあり ひとつだけしかないものが事実だ」は本当?

どの物語もが
何億人束になっても
目に見える出来事や
目に見える史実の
真なる正解を確認することは
永久に不可能な
この世界における
微細ないちシーンを
いち個人の
都合や好みや
偏見フィルターによって
ピックアップしたものにすぎない


だからこそ
釈迦
こう云ったんだ

聞いたからとて信じることなかれ
語り継がれたこととて信じることなかれ
人々が噂をしていたからとて信じることなかれ
教本に引用されていたとて信じることなかれ
論理だけで信じることなかれ
推論だけで信じることなかれ
様相だけで信じることなかれ
自分の見方に一致するからとて信じることなかれ
説者が堪能とて信じることなかれ
師なりとて信じることなかれ



釈迦の教えでさえも
安易に信じちゃいけないんだぜ
って

教祖の教えを
信じることが
宗教の大前提
であるはずなのに
「自分の教えも
安易に信じちゃいけない」
なんて言い放った
そんな宗教的指導者を
釈迦以外に
いまのところぼくは知らないよ













今日はどんな一日になるだろうね
あるいは どんな一日だったかな
きみにいかなる逆境や順境が待ち受けているとしても
「ふしぎ発見!」は変わらず
きみの奥深くによりそっているよ

今日のきみを「ふしぎ発見!」へといざなう楽曲を紹介するね

「情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS(ザ・ブルー・ハーツ)」
作詞 甲本ヒロト

永遠なのか 本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いたこと いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう






この土壌(ブログ)に植えられた種(言葉)は、訪れたその人が読むことによってのみ、開花します。
ふたつと同じ花が咲くことはなく、訪れたその人だけの、その人に出逢う運命を担っていた花です。
この土壌に意義を見い出した方は、ご支援のワンクリックをいただけましたら幸いです。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

ワンクリックいただけると励みになります。
最新投稿
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
「どみどりくん」あるいは「じゃっく」へのメッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
どみどりな応援者
RSSリンクの表示
QRコード
QR
やあやあ、よく来てくれたね。

じゃっく&どみどりくん

Author:じゃっく&どみどりくん
オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』の、姉妹ブログ『どみどりくんの、世界ふしぎ発見』に遊びに来てくださりありがとうございます。管理人のじゃっくと申します。

『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』が「表通り」を行くブログなら、こちらのブログは「裏通り」を行くブログです。
両方合わせてようやく私のメッセージの完成形となりますが、選り好みして「表通り」だけ見てもらってもまったく問題ありません。
来るべきときが訪れたなら、おのずと「裏通り」も歩かされている自分を発見されますから(ニヤリ)

で、この「裏通りブログ」が何故に必要なのかと申しますと、早い話が「表通り」だけでは解決できない、処理しきれない問題(絶体絶命のピンチ)に、人は前触れもなく遭遇するからです。
誰しものそのときのためにこそ、私「じゃっく」が、フシギニストである「どみどりくん」に扮し(チャネリング?)ながら、この「裏通りブログ」は存在し続けます。


「世界ふしぎ発見」とは言っても、某テレビ番組が世界における「目に見えるふしぎ」を発見して紹介するのとは趣がちがい、このブログでは世界における「目には見えないふしぎ」の発見を書き記することを趣旨としています。

ですが、「目には見えない」とは言っても、「UFO」「超能力」「幽霊」といった類のものとは趣が違いますし、「スピリチュアル」ともまたちょっと違うのかもしれません。
「哲学」「宗教」とも言い切れませんし、「自己啓発」「人生哲学」ともまた少し違うかもしれません。

しいて言うなら、みなさんが今まで生きてきた中で、学校教育や家庭教育やマスメディアによって抗いようもなく培われ、育くまれた「常識」「当たり前」「思い込み」「偏見」「先入観」などをとっぱらった先にある「あるがままの世界」あるいは「究極の羅針盤」の発見ってところでしょうか。


たとえばですが、

『きみが何を考え、何に思い悩み、何を行為しようとも、きみ自身は実は何もしていないのさ』

いきなりこんなことを断言されたとしたら、どう思うでしょうか。
「うん、そうだと思ってた!」という方は、おそらくは皆無に近いかと思われます。
おそらくは「あ…ちょっとこの人、ヤバイ宗教とか入ってる感じの人なんだろうな。かかわらないようにしよう…」
おおかたそんなところではないでしょうか。

ですが、私は特定の宗教を信仰していませんし、歴史上の人物や現存するいかなる人物も、敬いはしても崇拝するような対象にはなりません。この先もずっと。




そもそもはこの「裏通りブログ」から私のブログ人生が始まり、私を通路として見い出されるふしぎ発見を、誰かと分かち合い、この「リアル人生ゲーム」に活かしたいがために、2つ目のブログ『オルタナティヴ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。』を作るにまで発展してきました。

「分かち合い」ほどの、いち人生を賭けるに値する究極の財宝、自他一挙両得のベストバイブスは、他に見当たりませんもの。
自分がまずうれしいし、同時に誰かもうれしいだなんて、はっきり言って
最高!

じゃないですか。







「ふしぎ発見!」の終わりに、みなさまを発見へといざなう楽曲も紹介しています。よろしければあわせて楽しんでください。
※和訳した歌詞は、英語力のない私がグーグル翻訳を参考に、個人的解釈で訳したものなので、ちょっとおかしいよっていう訳もあるかと思いますが、大目に見ていただけましたら幸いです。

カテゴリの中の「スーパーふしぎ発見」には、ブログの核となる発見かな、と思われるものを並べています。まあ、だからどうってわけでもありません。

カテゴリの中の「映画」がいざなうふしぎ発見については、ネタバレしているものがほとんどなので、どうか「この映画これから見ようとしてたのに(泣)」なんてことにならないようお気を付けください。

一度投稿した「ふしぎ発見!」も、一年くらい間隔をあけて読み返すと「うーん…なんでこんなふうに書いたんだろう」「この表現は不適切だなあ」「今ならこんな言葉は使わないなあ」といったことがよくあります。
私はまったくいとわず何度でも記事を修正します。
修正することによって、伝えるべきメッセージが進化しつづけていることを私自身実感できますし、過去記事と現在の記事とで違いすぎるがために読者を混乱におとしいれてしまうような事態も軽減されます。
投稿日に対してコメントの日付が古い記事は、「あ、修正した記事なんだな」と思ってください。




ツイッターもやってます。
業者の方や宣伝目的の方じゃなければ、出来うる限りフォロー返ししています。